かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:オネゲル交響曲全集2

神奈川県立図書館所蔵CD、オネゲル交響曲全集の第2集は、第3番と第4番、そしてオネゲルと言えば必ず言われる名作「パシフィック231」とその連作となる「ラグビー」が収録されています。指揮と演奏は前回同様、デュトワ/バイエルン放送響です。

この全集が素晴らしいのは、私はこの第2集の存在だと思います。交響曲だけでなく、「交響的運動」の2曲も収録しているからです。

オネゲルの代表作が「パシフィック231」だとは良く言われますが、ではなぜなの?と考えることはほとんどないかと思います。交響曲を5曲書いているにも関わらず・・・・・

ここに、我が国におけるフランスものの「不当な」評価を見るのです。単に海外で有名だからという理由だけでは、何かしっくりきません。

オネゲルオネゲルらしい、つまり、フランス6人組の一員としての特徴がよく現われているのは明らかに交響曲です。しかし、「交響的運動」では、さらに深い意味を取り扱っています。フランス語ではMouvement Symphoniqueといわれるこのジャンルは、そのMovementにすでに二つの意味が込められています。私は運動と訳していますが、他の訳では「断章」とも言います。交響曲などの楽章を英語でMovementといいますが、まさしくそれなのです。「運動を楽章にて表現する」、それが「交響的断章(あるいは「運動」)」の神髄です。

それは古くは、バロック時代、バッハの音楽などでも用いられているレトリックの一種であり、つまり、パシフィック231はまさしく、彼が新古典主義音楽の作曲家であるということを意味するのです。

その上で、ここに取り上げられている二つの交響曲は、第1集よりもさらに新古典主義音楽の影響下にあることを教えてくれます。

交響曲第3番 (オネゲル)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC3%E7%95%AA_(%E3%82%AA%E3%83%8D%E3%82%B2%E3%83%AB)

交響曲第4番 (オネゲル)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC4%E7%95%AA_(%E3%82%AA%E3%83%8D%E3%82%B2%E3%83%AB)

二つとも3楽章で急〜緩〜急という、フランスバロック〜前古典派に範をとった形式です。第3番では典礼風としながらも、典礼を3楽章形式の中で表現することを目指したものであり、それを人間の苦悩と合わせたものです。それはまさしく、バッハのカンタータを彷彿とさせます。ただ、バッハと違い、ミサ曲的な面をもちつつもグレゴリオ聖歌から採用されていないというのは、私は形式的にはモーツァルトの時代のミサ曲に似せているとも見えるので、宗教への一方での絶望も意味しているように思います。第2次大戦では、キリスト教国に於いてはイエスの名において、そして我が国においては、現人神天皇陛下の名において、残虐な行為を行った戦争でした。しかし、宗教に人の心を癒す効果があるのは間違いなく、それはキリスト教においても、そして神道に於いても同じはずです。そこにオネゲルが思い至ったとすれば、何も不思議なことではないはずだからです。

第4番では、緩徐楽章にパッサカリアが採用されています。これは、ブラームス交響曲第4番でも採用したものです。その意味では、実はブラームスはドイツ音楽というよりも、その後ドイツ以外で花開いて行った諸国の芸術への道を開いたというテクストで評価されるべきなのではないかと思います。以前ご紹介したアルヴェーンしかり、そしてこのオネゲルしかりです。ブラームスからこういった作曲家へと結びつかないのは、とても残念なことだと思いますし、是非ともブラームスから発したこういった作品を聴いてほしいと思います。

さて、交響的断章ですが、オネゲルは3つ書いていますが、ここではそのうち2曲が採用されています。まず、オネゲルの代表作と言われ、私は一番新古典主義音楽らしいと感じる作品である「パシフィック231」ですが、これは蒸気機関車が出発して到着するまでを、単なる描写ではなくさらに機関車の質感までを表現しようとした意欲作です。私のような「鉄」にとっても実はたまらない作品です。そういえば、オネゲルは大の「鉄」だったそうで、ウィキにはこんな記述が載っています。

オネゲルの機関車好きはつとに知られたところであり、「私は常に蒸気機関車を熱愛してきた。私にとって機関車は生き物なのであり、他人が女や馬を愛するように、私は機関車を愛するのだ」と語ったことでも有名である。」

パシフィック231 (オネゲル)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%B7%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF231_(%E3%82%AA%E3%83%8D%E3%82%B2%E3%83%AB)

このオネゲルの言葉は、SL好きだと本当によくわかるんですね。というよりも、SLという機関車は、とても人間臭い「機械」なのです。坂を登る時にはたくさんの石炭をくべなくてはなりませんし、また機関車一台一台がまるで生命を持つかのごとく、調子が異なるのです。

それは、実は現代の電車でも共通する部分ではあるんですが、電車であれば坂を上るには思いっきりマスコントローラーを引っ張ればいいわけですが、SLですとまず石炭をくべて、釜の中の圧力を高めてやらないといけないのです。SLには、運転をする機関士と、それを補助し石炭をくべる機関助士の二人が乗り組んで運転しますが、だからこそ、二人の息が合わないと、特に坂を上る時に動輪が空転を起こし登れないということもしばしばなのです。

そういった、SLの質感や表情といったものまでを表現したのが、「パシフィック231」なのです。それは、ウィキのこの表現に集約されています。

「二分音符=80にテンポアップし「運動」が始まる。
ここから曲のテンポは「四分音符=(160 )→152 →144 →138 →132 →126 」と、段階的に落ちていく。つまり、音楽自体はゆっくりになっていくのだが、楽譜のリズムは逆に細かくなっていくため、聴いている者には音楽が加速しているように感じられるようになっている。この仕掛けこそが作曲者の意図なのである。」

なぜだと思いますか?音楽に於いてまず表現されているのは、蒸気機関車の「運動」によって生じる音、動輪やシリンダーなどの音や、蒸気音です。それを表現するのに、まず長音を使います。しかしスピードアップしてくると運動音は細かくなります。そうなると短音を使うわけですから、実は音は細かくて済むわけですから、長さは長くなって当然なのですが、その分重さが表現できるわけです。そこに、オネゲルが意図した「質感」というものが表現されるわけです。

こういったことは、バッハがやっているわけではありませんが、音符を何かになぞらえるというのはよくやることです。ですから、バッハからの伝統を実は色濃く受け継いだ作品であるということが言えるわけなのです。

実音はどんなものなのか聴いてみたいという方には、youtubeがお勧めです。実は、この作品で表現されている機関車は、全く同じではないですが同形式が日本にも存在したからです。231とは「に、さん、いち」と読み、前軸2輪、動輪3輪、受け軸1輪という動輪形式を意味しますが、国鉄に於いて、C51からC59までの各形式が、まさしく「パシフィック」だからです。

国鉄C51形蒸気機関車
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%84C51%E5%BD%A2%E8%92%B8%E6%B0%97%E6%A9%9F%E9%96%A2%E8%BB%8A

この内、私が調べた中では、ちょっと珍しい3シリンダーという形式ではあるんですが、C53という機関車があります。「C53」で検索しますと、一番最初に、音だけのものがありますので、聴いてみてくださいませ。オネゲルはこの音と同時に、その質感も音楽によって表現したかったのだということがよく理解できるものと思います。

国鉄C53形蒸気機関車
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%84C53%E5%BD%A2%E8%92%B8%E6%B0%97%E6%A9%9F%E9%96%A2%E8%BB%8A

次に、「ラグビー」ですが、これもラグビーというスポーツに関係する動きを、楽章で表現したものです。

ラグビー (オネゲル)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%B0%E3%83%93%E3%83%BC_(%E3%82%AA%E3%83%8D%E3%82%B2%E3%83%AB)

二つの主題からなり、それを対位法によってスポーツとして表現しているのがこの作品です。いわば、「スポーツ」という題でもいいような楽曲です。それゆえでしょうか、「パシフィック231」に較べると演奏機会は少ないようです。

楽曲としては決して悪くないので、もっと演奏回数が増えてもいい作品だとは思いますが、「ラグビー」という題がそれを妨げているのではと思わなくもありません。ウィキの説明を読みますと、楽器の受け渡しは低音から高音へとなっているのです。これを、高音から低音へと受け渡せば、さらによかったのになあと思います。なぜならば、ラグビーとは反則に「スローフォワード」があるように、前へ投げては行けなくて常に後ろへボールを受け渡すスポーツだからなのです。

ラグビー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%B0%E3%83%93%E3%83%BC

となると、編成で後ろにある楽器から前にある楽器へ受け渡すのは反則です。前から後ろへと受け渡さないといけないのです。そして最後に、高音部、つまりウィンドがトライを決める!という形になっていれば、もっと演奏機会は増えるのになあと思います。まあ、このあたりは作曲家がどれだけそのスポーツを知っているかという部分にかかわるので、フランスの作曲家であったオネゲルにそこまで求めるのは難しかったかもしれませんね。兎に角、「スポーツを音楽にできますか」と問われて、それなりの内容をたたき出しているのですから、それでまずは十分でしょう。

この第2集でも、デュトワバイエルン放送響のコンビは素晴らしい効果を表わしています。色彩感と重厚さが同居した、落ち着いてかつキラキラした音楽がつむぎだされています。テンポも決して急がず、細部までが聴き取りやすいその演奏は、一つ一つを積み上げるかのように堅実で、堅牢な世界を構築しています。その堅牢な世界は、明るくかつ色合い鮮やかで、私たちに「オネゲル」という作曲家が提示している世界を、見事に現出させてくれています。

バイエルンという地域は、歌劇場もそうですが本当に堅実なオケを輩出するなあと思います。この演奏でも、ドイツの重厚なオケの雰囲気をもちつつ、キラキラした色彩感を忘れません。落ち着いて聴いていられるのは素晴らしいと思います。



聴いている音源
アルデュール・オネゲル作曲
交響曲第3番「典礼風」
交響曲第4番「バーセルの喜び」
交響的運動第1番「パシフィック231
交響的運動第2番「ラグビー
シャルル・デュトワ指揮
バイエルン放送交響楽団



このブログは「にほんブログ村」に参加しています。

にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ クラシックCD鑑賞へ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ 合唱・コーラスへ
にほんブログ村

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。