かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:べリオ ヴァイオリン協奏曲第2番、第3番、第5番

今月のお買いもの、今回はべリオのヴァイオリン協奏曲の第2番と第3番、第5番です。クィントのヴァイオリン、トレヴァー指揮、スロヴァキア放送響の演奏です。

今回も体調を崩す前の3月に購入したもので、本来は4月に3月分としてご紹介する予定だったものです。

最近、ヴュータンやべリオと言った作曲家の作品が聴きたくなっていまして、幾つかこのコーナーでもご紹介しています。その理由は極めて明快でして、音楽自体の魅力もさることながら、ピアノに比べてヴァイオリンに関してはオーソリティが作曲した作品をあまりに私も含め、日本のクラシックファンが知らなすぎるということがあります。

勿論、知っている人は知っています。しかし、ポピュラーなのかといえば答えは否でしょう。このべリオにしてもそうです。

例えば、ピアノは有名なオーソリティがまたぞろいます。広く鍵盤楽器としてチェンバロも含めれば古くはバッハがいますし、モーツァルトベートーヴェンシューマンショパンラヴェルドビュッシーと次々に出てきます。では、ヴァイオリンはどうでしょう?どれだけの人が複数あげられますか?

バロックではヴィヴァルディをはじめ幾人かいますが、古典派からロマン派に掛けてはオーソリティとしてはモーツァルトベートーヴェンですが、協奏曲に関してはあまり残されていません。ソナタは結構ありますが・・・・・ロマン派になりますと、ヴァイオリン協奏曲で有名なものはいくつかありますが、オーソリティとしてはパガニーニくらいしか知られていません。

ところが、20世紀になるといきなりイザイが出てきますが、そもそもロマン派でも多くの作曲家がヴァイオリン協奏曲を書いているのに、いきなりイザイが出て来るなんてこと、あるわけがありません。それなりのすそ野がなければ、傑出した作曲家や演奏家が出るわけはないのです。その裾野に居た一人がべリオであり、また演奏家として傑出したうえに作曲もした人に以前ご紹介したヴィエニャフスキがいます。しかし、二人とも日本の聴衆にはあまり知られていません。演奏家は当たり前に知っていますが・・・・・

そこに、演奏家と聴衆とのギャップが生まれてしまっているわけです。演奏家は例えばヴィエニャフスキやべリオ(あるいはヴュータン)といった作曲家の作品もどんどん紹介したいのに、聴衆は「いや、パガニーニモーツァルトなどじゃないと聴かないよ」なんですね。これでは、大阪の橋下市長を批判できません。

私はそういったギャップを埋めたくて、最近つとにロマン派の埋もれたというより、本場では知られているけれども日本ではあまり知られていない作曲家を聴き、そして取り上げるのです。

さて、べリオですが、19世紀のヴァイオリニストであり、作曲家です。また教育者としても知られており、ヴュータンやイザイを育てています。

シャルル=オーギュスト・ド・ベリオ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%AB%EF%BC%9D%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%AE%E3%83%A5%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%AA%E3%82%AA

検索しますと、幾つかブログがヒットしますが、いずれも私同様、ナクソス音源を聴いてという人が多いようです。しかも、参考にしているのも私同様ウィキというありさま・・・・・

いや、それを批判しているのではなくて、その現状を嘆いているのです。恐らく、特に日本であまり知られていないのは、以下のブログが一番参考になるのではと思います。

ふんだりけったり
しゃるるるるる・オーギュスト・ド・ベリオ
http://ameblo.jp/albert-jacques-clemens/entry-10946895807.html

べリオは善人ではない・・・・・といっても、何も犯罪を犯したわけでなく、弟子ヴュータンの面倒を放棄したという、無責任な一面があったというだけです(それはそれで確かに問題ではあるんですが)。しかしこれは、西洋から先進文化を取り入れたかった明治政府の方針にはそぐわなかったことでしょう。ベートーヴェンの月光のエピソードなどをはじめとする、修身、つまり「道徳」の時間で取り上げることはできないからです。

そろそろ、それだけで音楽を取捨選択する時代は終わりを告げねばなりません。親鸞の「悪人正機」をきちんと理解できる現代の私たちであれば、それは可能なはずです。

実際、ここに収録されている3つの作品はどれも華麗なうえに、形式的にもきちんとした素晴らしいものばかりですし、さらに言えば誰かの真似でもありません。強烈な個性がない代わりに、優雅さはロマン派のどの作曲家にも負けません。なかば捨てられたヴュータンでさえ、音楽的にはこのべリオを継いでいます。

もし似ているとすれば、明らかにパガニーニでしょうが、私としてはバロック音楽中欧に持ち込まれ、それが古典派に受けつがれていったように、音楽の中心が明らかに南欧から中欧へと移った象徴である証拠だと思っています。

音楽史的にはイタリアからドイツに移ったと言われますが、確かにモーツァルトなどを見ればそのように見えるでしょう。しかし、モーツァルトの時代ですら、ドイツやオーストリアと言った地域は音楽の後進地域であり、先進はいまだイタリアであったということを念頭に置かねばなりません。ドイツを中心としたいわゆる「中欧」へと音楽の中心が移るのは、19世紀のしかも半ばを待たねばならないのです。その時代がちょうどべリオが活躍した時期なのです。

日本は長い歴史を持っていると言われていますが、果たしてその歴史を本当に理解しているか、こういった音楽を取り上げるナクソスのアルバムを聴くたびに、史学科出身の私としては反省させられるのです。




聴いているCD
シャルル=オーギュスト・ド・ベリオ作曲
ヴァイオリン協奏曲第2番ロ短調作品32
ヴァイオリン協奏曲第3番ホ短調作品44
ヴァイオリン協奏曲第5番ニ長調作品55
フィリッペ・クィント(ヴァイオリン)
カーク・トレヴァー指揮
スロヴァキア放送交響楽団
(Naxos 8.570360)


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