かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

マイ・コレクション:コルボのグノーとサン=サーンス

今回のマイ・コレは、ミシェル・コルボが指揮するグノーとサン=サーンスです。

このCDを買いましたのは10年ほど前で、ちょうどいろんな時代のアカペラの曲に興味を示し始めたことがきっかけになっています。収録されているのは決してアカペラではありませんが、実はともにロマン派の時代の作曲家なのです。

グノーはどちらかといえば初期ロマン派、サン=サーンスは後期ロマン派で20世紀の音楽に片足を突っ込んでもいます。

シャルル・グノー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%8E%E3%83%BC

カミーユ・サン=サーンス
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%A6%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%B9

そんな二人の共通項は、教会オルガニストであったということなのです。そしてそのことはこの二人の経歴の中ではスルーされがちです。このCDはそれに異を唱えるものであると言っても差し支えないでしょう。それは全く持ってコルボらしいと思います。なぜなら、コルボといえばフォーレのレクイエムの名盤があるくらい、宗教曲の指揮において特に有名だからです。

ミシェル・コルボ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%83%9C

グノーと言えばオペラというイメージが強いのですが、クラシック初心者であればどこかで「グノーのアヴェ・マリア」を聴いたことがあると思います。そう、グノーの後半生は実はそういった宗教曲の作曲に主に費やされており、合唱団員だった私はむしろ宗教曲作曲家として知っていました。

一方、サン=サーンスは我国では宗教曲作曲家というイメージはなく、オルガニストであったということがかろうじて交響曲第3番「オルガン付」で知られているだけです。「オルガン付き」が有名である割にはキリスト教への不信感からか、サン=サーンスの宗教曲は全くといっていいほど話題に上ることがありません(それは日本が神道の国であることが理由だとは思いますが・・・・・)。

収録されている曲を聴きますと、クラシックがいかに宗教曲をベースにし、しかも古い時代を決して軽んじないことがよくわかります。

まず、グノーの荘厳ミサ曲第4番です。「ミサ・コラリス」と言われるこの曲は、青少年の教育事業を目的とする修道士会を設立したことで知られるカトリックの教育者、ジャン・バティスト・ドゥ・ラ・サルの列福式のために書かれ、1888年6月にランス(ラ・サルの生誕地)で初演されました。ロマン派といえば伴奏は大規模な管弦楽かと思われがちですが、パイプオルガン一つです。

なぜこういった編成を採ったのでしょう?ブックレットにはそこまで触れていませんが、恐らく、ラ・サル(ラ・サールと伸ばしたほうがわが国ではああ!と理解されやすいかもしれません)の業績を勘案してだと思います。

ジャン=バティスト・ド・ラ・サール
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%83%90%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%AB

決して恵まれた人生とは言えない状況の中で、自らの信念を貫いたその姿勢に敬意を表するには、質素ですが壮麗なパイプ・オルガンこそふさわしいと思います。全体的に古風な形式を取りますが、混成合唱はロマン派らしい重厚なものとなっています。それはグノーがローマへ留学した際、パレストリーナの音楽に触れ、生涯範としたからにほかならないでしょう。

一方、サン=サーンスのミサ曲は、もともとは管弦楽曲として書かれました。ここではレオン・ロクの大小二つのオルガンによる編曲を採用しています。これは古典派、特にモーツァルトまでの時代に行なわれていたことをサン=サーンス管弦楽によって再現したもので、実はオルガンによることが多かったのです。そのためか、このオルガン版は全く不自然さを感じません。

勿論、オリジナルのオーケストラ版も聴きたいなと思っていますが、実はしばらくこれで十分と思っていた自分がいます。それくらい、オルガンだけでも十分なのです。

サン=サーンスとグノーは実は関連がありまして、サン=サーンスはグノーの作品の内、宗教曲こそ素晴らしい業績であると評しています。サン=サーンスがグノーの宗教曲を念頭に置いていたことをうかがわせる言葉です。彼の作品全体で言えることだと思いますが、前の次代へのリスペクトとそれを時代に合った形で現出させるという才能には、この曲を聴いてもはっとさせられます。

ただ、私もそれはこのCDを聴いたときにはわかりませんでした。解説を読んでもちんぷんかんぷんです。しかし今、サン=サーンスの他の作品や、20世紀の作曲家の作品を聴いてきて、ようやくその解説を理解しつつあります。サン=サーンスが20世紀にも活躍していたにも関わらずなぜ古風な作品が多いのか、それでいてなぜ前衛作品に寛容だったのか、それが何となくですが理解できているからです。

それはコルボの解釈に余計なものがないからなのかもしれません。コルボという人は大抵あまり奇をてらうような演奏はしませんし、少なくとも素直な解釈をする人です。そのことが曲自体が持つ性質を明らかにさせるように思います。

この演奏でも、合唱団の素直な発声と素直な曲の解釈が、二つの曲の実直な点を浮かび上がらせているように思います。これは演奏するときにはとても難しい点で、どうしても自分の気持ちが入ってしまい、気持ち的に前のめりになる事が多いのですが、この演奏ではそれがみじんもありません。「情熱と冷静の間」が抜群にバランスが取れた演奏で、名演といって差し支えないと思います。

このエントリを上げるために久しぶりに聴きましたが、グノーの宗教曲はM.ハイドンが一息つきましたら、是非とも「今月のお買いもの」で取り上げたいと思いました。まだ絢香も取り上げていないにもかかわらず・・・・・

ま、こういう展開がクラシックを聴く楽しみなんですけれどね。



聴いているCD
シャルル・グノー作曲
コラール・ミサ曲(荘厳ミサ曲第4番)
カミーユ・サン=サーンス作曲
ミサ曲作品4
マリー=クレール・アラン(オルガン)
ミシェル・コルボ指揮
ローザンヌ声楽アンサンブル
(Erato WPCS-11494)



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