神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、集中してグルダのベートーヴェンピアノソナタ全集を取り扱っています。今回はその第5回目です。
第5集は第15番「田園」、第16番、第17番の3曲となっています。この3曲は中期の作品ですが、グルダの演奏には、スピード感が一切ありません。かといって重苦しいわけでもありません。適度に重く、適度に軽い演奏になっています。
それを生み出しているのは、聴いていて感じますが柔らかいタッチだと思います。ベートーヴェンの曲は重いとよく言われますが、グルダの演奏にはここまでそれを強調するようなものはありません。
それはこの第5集でも同様です。でも、決して軽薄ではなく、美しく、荘重さと軽さを持ち合わせているのです。グルダの表現力と、それを可能にする技術が、この演奏を聴きますと見いだすことが出来ます。
私も小学生のころ、音楽室でピアノを触ってみたりしましたが、弦がピン!と張ってあることから、鍵盤は結構重いのですね。しかも、指も広げないと演奏できない。ピアノが演奏できる人はすごいな!と子供心に感じたものです。
だからこそ、鍵盤を使って柔らかいタッチを生み出すためには、指の訓練と技術の習得が欠かせないわけで、その点においてグルダは優れていると思います。
私は合唱屋ですが、ではなぜそういったピアノのことが分かるのかといえば、以前にも触れたと思いますが、特に合唱はスポーツと同じで、歌うたいはアスリートなのです。ピアノも同様です。相手はとても技術的に凝った器械であり、それを指でコントロールしないといけないわけです。合唱で息のスピードや姿勢を正すと言ったことと同じわけです。
私などは声を出すために、職場からの帰り道を2キロ毎日歩いて帰ったことがあります。そうしますと腹筋を鍛えることになり、腰でおなかをきちんと支えることが出来るようになるので、声が遠くへ飛ぶようになるのです。
そういったことを、ピアニストもやっているということなのです。もちろん、合唱とは練習メニューは当然異なりますが、指を鍛えたり、正しい姿勢を取る訓練をするわけです。それが出来ないと、たとえばこのグルダのように、軽いタッチで重々しさや軽妙さ、爽快さや平明さなどを自在に表現することはできません。
いや、そういったことを表現するためには、軽いタッチが絶対条件であると言ってもいいでしょう。私も幾人かのピアニストと話をした経験がありますが、どのピアニストも口をそろえて訓練と正しい姿勢、そしてタッチの柔らかさが大事だと言うのです。それが表現の幅を拡げるのだ、と。
この第5集のグルダは徹頭徹尾タッチは軽いです。しかし、第15番では重々しい部分もありますし、第16番では軽い部分もあります。しかし、第4集までの、快速で簡単に駆け抜けていくようなアップテンポは影を潜め、落ち着いた、すでに私が聴いている山根弥生子さんと大して変りがないテンポとなっています。
これはいったいどう解釈すればいいのでしょう?グルダが解釈を変えたのか?
それは、今まで聴いてきた作曲者の全集を振り返ってみる必要があるでしょう。これは私の推測ですが、グルダはテンポでベートーヴェンのピアノソナタの変遷をあらわし、俯瞰していると思うのです。
一音一音がはっきりと聴こえることも全く変わりないですし、特にグルダが演奏に苦しむような作品ではないように思われるのですが、しかしテンポは確実に落ちています。アコーギクも付き始めていますし、同じようで同じではないのです。
グルダにまるで「あなたはベートーヴェンの進化をどのように解釈していますか」と、突きつけられているような気がします。残念ながら、私はまだその返答に窮しています。
聴いている音源
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
ピアノソナタ第15番ニ長調作品28「田園」
ピアノソナタ第16番ト長調作品31-1
ピアノソナタ第17番ニ短調作品31-2「テンペスト」
フリードリッヒ・グルダ(ピアノ)
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