かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:グルダのベートーヴェンピアノソナタ全集2

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、先日からフリードリヒ・グルダのピアノのベートーヴェンピアノソナタ全集を取り上げています。今回は第2回目となります。

収録されているのは、第4番から第6番までですが、これは以前山根弥生子さんの演奏を取り上げた時に、作曲順ではないですよと述べたと思います。実際には第4番は6番目の作品で、その前に第20番と第21番が来ることを説明しています。

神奈川県立図書館所蔵CD:ベートーヴェン ピアノソナタ全集2
http://yaplog.jp/yk6974/archive/342

ところが、ある方が「グルダは順番には演奏していない」と言っていながら、グルダは作曲順ではなく番号順に演奏しているんですね〜。これをいったいどう判断するのか。

演奏は、まったくもって端正です。グルダの所謂変人ぶりからすれば、あっけないほど端正で、奇をてらうことも有りません。山根弥生子さんよりは多少ドラマティックですが、それ以外はいったいどこに所謂「変態」ぶりがあるのかと言えば、どこにもないと言えるでしょう。その淡々とした演奏が詩的であり、ベートーヴェンピアノソナタがいかに素晴らしい作品なのかを私たちに山根弥生子さん同様教えてくれます。

もし、もっとはっきりとした違いをのべよと言われれば、タッチの柔らかさでしょう。特にppの優しい表現は、ffの強いタッチをより鮮明に浮かび上がらせ、それが演奏効果としてドラマティックで詩的な美しさを演出しています。

ということは、グルダベートーヴェンに対しリスペクトしています。いい加減さは聴く限りみじんも感じられません。指が追いついていなくて音が不完全に聴こえるような部分が全くありません。ですから、ベートーヴェンをリスペクトしていると感じるわけです。ではなぜ、作曲順ではなく番号順に弾いているのか?

今では、ウィキの説明ではソナチネに入れ、ピアノソナタからは除外する説明となっていますが、番号が付いたものとして扱うなら、第3番と第4番の間に入るとされています。では、グルダはそういったことを知らなかったのか?

それはあり得ません。第19番と20番が先に来るのは以前から知られていたことです。それでもなお、番号順に弾く理由はただ一つ、「ベートーヴェンの意思を尊重する」ことしかあり得ません。つまり、番号はベートーヴェンが付けたものであるからです。それがいかなる理由であっても、です。出版社が番号を付けたとしても。

それをベートーヴェンは納得して、最後まで訂正しなかった。だから自分は、その意思を尊重する。それがグルダの意思である、ということが浮かび上がります。演奏だけでなく、そういった自分の意思もわかってほしい、そんな気すらしてきます。

これもまた、一つの全集の編集としていいと思います。そして、番号順というのはとても変人グルダらしいとも思います。グルダは番号順でなんて弾かないよ・・・・・いえ、グルダだからこそ、番号順であるのではないのでしょうか。それが、この第2集で高らかに宣誓されているとは考えられないでしょうか。

もし番号順など関係ないのであれば、グルダのことですからいい加減な部分がどこかにあってもいいはずですが、そんな点がみじんも演奏にないことを、では私たちはどう解釈し、受け取ればいいのでしょう?グルダだからこそ、あえて作曲された順番ではなく、ベートーヴェンの「最終意思」を尊重して番号順で弾いたとすれば、納得いくわけです。

やはり、演奏論は聴いてみないとかけないものだなあと、自戒を込めて思います。



聴いている音源
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
ピアノ・ソナタ第4番変ホ長調作品7
ピアノ・ソナタ第5番ハ短調作品10-1
ピアノ・ソナタ第6番ヘ長調作品10-2
フリードリッヒ・グルダ(ピアノ)



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