かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

マイ・コレクション:曽根麻矢子のゴルトベルク変奏曲

今回のマイ・コレは、曽根麻矢子が演奏するバッハのゴルトベルク変奏曲です。

このCDは私のライブラリの中でも特にエポックメイキングな一枚です。なぜならば、初めて買った「ソリストの」CDだったからです。

いや、正確には「自主的に買った」というほうが正しいでしょう。合唱団関係でいわばお付き合いで購入したものは一枚ありますが、本当に自ら欲しい!と思って買ったのはこのCD初めてでした。

その伏線としてはやはりバッハ・コレギウム・ジャパンとの出会いがあります。そのまた伏線を辿りますと、小さいころに聴いていた父がカセットにダビングしてくれたバッハの組曲などがあるのですが・・・・・

そういった幾つかの伏線があって、このCDに辿り着いたのは事実です。

さて、まずゴルトベルク変奏曲について語らないといけませんね。こういう曲の紹介では日本語ウィキも威力を発揮します。

ゴルトベルク変奏曲
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF%E5%A4%89%E5%A5%8F%E6%9B%B2

不眠症解消のためというのは現在ではほぼ完全否定されていますが、こういった貴族のために書かれたことは想像に難くありません。そういった目的の曲はイタリア組曲など他にもあるからです。恐らく、そういった組曲と同じ目的で書かれた者だろうと現在では考えられています。

そして、この曲はそもそもグレン・グールドのピアノの超絶技巧によって一躍有名になりましたが、そもそもはチェンバロのための曲です。ウィキにもあるように、もともとの曲名は「2段鍵盤付きクラヴィチェンバロのためのアリアと種々の変奏」ですから。しかし、この曲がその後ベートーヴェンショパンと言った作曲家に与えた影響は計り知れません。特に、ベートーヴェンはピアノで同じ形式の変奏曲を書いていることが、後の多くの作曲家に多大な影響を与えました。

そのきっかけになったのがこういったバッハの変奏曲であり、その一つがこのゴルトベルクであると言っていいでしょう。

それをスコア通りチェンバロで演奏しようと思い立ったのが、曽根麻矢子女史であった、というわけです。思い立ったなどとたいそうなことを言っていますが、もちろんそれを試みたのは彼女以前にも大勢いましたけれど・・・・・

曽根女史は、ふたつの一見すると相反することをやってのけています。それは、端整さと奔放さです。これは私が常々述べています「情熱と冷静の間」をコントロールできないと、難しいのです。決してグールドのような超絶技巧ではありませんが、淡々と音楽が進んでいるのに、聴いているこちらはだんだんノリノリになってくるのです。その点でも、私は初めて聞いたとき「絶対カイザーリンク伯爵のエピソードは嘘だよね〜」と思ったものでした。

いや、グールドの名演はまさしく嘘だというような演奏ですが、ピアノです。そういった超絶技巧が出来るように開発された楽器です。しかしこのCDの演奏はチェンバロですから、超絶技巧はまず不可能と言っていいでしょう。にも関わらず、です。

チェンバロ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%AD

ウィキのこの説明を見てただければ明らかなように、機構が複雑ですから、当然超絶技巧に楽器が追いついて行かないので不可能なのです。それにも関わらわずこの演奏はノリノリなのですと言えば、分かりやすいかと思います。

それを実現するには、深いスコアリーディングと、楽器についての知識、そして音楽史の見識とバッハの人となりを知っていないと不可能です。私はこの一枚で、いかに演奏家が一つの曲を演奏するのに様々なことを深く追及しているのかを思い知らされたのです。

いや、打ちのめされたとでも言いましょうか。衝撃を受けました。そんなことは常識だろうと思う方もいらっしゃるかと思いますが、チェンバロという過去の、ピアノに劣る楽器で感激を与えてくれるのかと考えた時、私は自らの知識の浅はかさを恥じました。

曽根女史の演奏は、まさしく私たち聴衆の知識の浅はかさを打ちのめすのに十分な破壊力があるものなのです。



聴いているCD
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
ゴルトベルク変奏曲BWV988
曽根麻矢子チェンバロ
(エラート WPCS-10152)

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。