かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:スクリャービン 交響曲第1番

今回の神奈川県立図書館所蔵CDはスクリャービン交響曲第1番です。ムーティ指揮、フィラデルフィア管弦楽団他の演奏です。

この曲は演奏機会が少ない曲なのだそうですが、私としてはスクリャービンという作曲家がどんな作曲家をリスペクトしていたかがよくわかる曲だろうと思っています。

交響曲第1番 (スクリャービン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC1%E7%95%AA_(%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%B3)

聴いてすぐわかることはとりあえずウィキの通りでしょう。ワーグナーベートーヴェンは間違いないところでしょう。特に、最終楽章に合唱が使われている点からは、第九の影響がうかがわれます。しかし、このウィキの解説からはもっと重要な作曲家の影響が抜け落ちているように思うのです。

それは、ハイドンです。この曲は構成的には4楽章にそれぞれ序奏と後奏がくっついたような恰好をしています。そして、4楽章では最終楽章に来るはずの第5楽章は、最終楽章の序奏の役割をも果たしています。

そんなことを、ハイドン交響曲を確立させる過程でやっていたことは以前全集をご紹介した時に述べましたし、またその時にこのサイトをご紹介することでそれを証明しました。

ハイドン交響曲
http://www.kanzaki.com/music/mw/sym/haydn

聴けば聴くほど、この第1番にはハイドンの影もしっかりと反映されているように私には思えてなりません。旋律だけで判断するとその影響が分かりにくいような気がします。

ではなぜ、ハイドンなのでしょうか?ハイドンピアノ曲ソナタなど多く残していますが、もともとは管弦楽が得意だった人です。交響曲弦楽四重奏曲が数多く残されていることからそれがうかがえます。ではなぜ、そんなハイドンをピアニストであったスクリャービンが範をとったのでしょう?

そこが謎であるからこそ、ハイドンには触れられていないのかもしれません。しかし、構成的にはハイドンの影を感じるということは、これがスクリャービンにとって初めての交響曲だったということも有るのかもしれません。そしてその構成がベートーヴェンの第九に似ているということも、あるのかもしれません。

きちんとしたソナタ形式や、三部形式はこの曲がまぎれもなく交響曲であり、しかも後半に重点が置かれていることからロマン派の交響曲でもあるわけで、そもそもその点に私はスクリャービンがここで表現しようとしているものを感じるのです。最終楽章に合唱が入っていますが、その内容は実に第九ではなくそのひな形になった「合唱幻想曲」にむしろ似ています。

合唱幻想曲
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%88%E5%94%B1%E5%B9%BB%E6%83%B3%E6%9B%B2

そのベートーヴェンが範としたのは紛れもなくハイドン交響曲であったわけで、そういった知識と教養を、モスクワ音楽院の教授であったスクリャービンが持っていないはずはありません。だからこそこういった構成になったということは、想像に難くありません。この曲はむしろ、ベートーヴェンが合唱幻想曲でやろうとした実験のその延長線上にあるものととらえたほうが適切なような気がします。

だからこそ、最終楽章の合唱の歌詞は、芸術を賛美する内容になっていると考えるほうが自然です。そこに、さらにスクリャービンが影響を受けた作曲家のエッセンスが入っている曲だと思います(さらには、最終楽章からはバッハの影響すら感じられます)。

それを、ムーティはとてもロマンティックに演奏しています。おや、第2番や法悦の詩よりも神秘的です。それはおそらく作品の後先ではなく、やはりオーケストラが所属する国家というものが影響を及ぼしているなと感じています。ですから先日、別にCDも買って聴いてみたくなっていますと述べたわけなのです。

なるほど、この演奏では本当にロマンティシズムだけではなく一種のエクスタシーすら感じます。どうオーケストラを鳴らすかで音楽ががらりと変わってしまう典型例のような気がします。

その上で、アンサンブルも素晴らしく、かつ全体と細部が浮かび上がってきています。スクリャービンはその音楽的特性から、旧西側のオーケストラのほうが彼の音楽性を十分に表現できるのかもしれません。

少なくともスクリャービン交響曲からは、ロシア的なものをさほど感じず、むしろコスモポリタン的なものを感じてしまうのです。その点を、彼の祖国のオーケストラはかつては十分に認識していなかったか、あるいは「政治将校」によってそれが制限されていたか、どちらかだったのではないのかなあと思っています。



聴いている音源
アレクサンドル・スクリャービン作曲
交響曲第1番ホ長調作品26「芸術讃歌」
ステファニア・トチスカ(メゾ・ソプラノ)
マイケル・マイヤース(テノール
ウェストミンスター合唱団
リッカルド・ムーティ指揮
フィラデルフィア管弦楽団



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