今月のお買いもの、今回は久しぶりにヴィオッティのものを取り上げます。ナクソスから出ている、彼のヴァイオリン協奏曲とヴァイオリンによる協奏交響曲です。
以前ご紹介したのはヴァイオリン協奏曲でした。
今月のお買いもの:ヴィオッティ ヴァイオリン協奏曲第16番・第24番
http://yaplog.jp/yk6974/archive/638
この時には彼はロマン派のような音楽を書くと述べましたが、このCDでは一転、とても古典派的な音楽を書いています。それも、どちらかと言えばハイドン的な、です。
まず一曲目はヴァイオリン協奏曲第23番です。彼のヴァイオリン協奏曲の中でも特に有名なのが第22番と第23番ですが、このナクソス盤では第23番が収められています。1792年に作曲され、翌年に初演されています。
以前上記のエントリでは、第24番の成立時期を1790年代後半ではないかと予測しましたが、このCDはナクソスなので英語の解説がついています。そこには第23番ははっきりと1792年と書かれています。そこで、ウィキにかろうじて解説のある第22番をもう一度見てみますと、この第23番のほうが成立が早いことになっています。
ヴァイオリン協奏曲第22番 (ヴィオッティ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E5%8D%94%E5%A5%8F%E6%9B%B2%E7%AC%AC22%E7%95%AA_(%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%AA%E3%83%83%E3%83%86%E3%82%A3)
ということは、モーツァルトやハイドン同様、このヴィオッティも、番号順では成立していない可能性が高いということになろうかと思います。そういった解説は一切ないので、困ったことです。そうなると、ますます全集が欲しくなるではありませんか!もちろん、それに解説がついていれば、ですが・・・・・
一旦埋もれていった作曲家なので仕方ないのかもしれませんが、彼が後世の作曲家に大きな影響を残したことを考えると、そういった点はもう少しきちんと整理をした方がいいような気がします。彼の作品の変遷などが辿れなくなる可能性があります。
同時期のモーツァルトなどと比べますと、実に保守的な音楽です。いや、そう書かざるを得なかったのかもしれません。彼はいわゆるその時代では旧体制側のしかも中枢に交友を持っていた人でしたから。
ジョヴァンニ・バッティスタ・ヴィオッティ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%AA%E3%83%83%E3%83%86%E3%82%A3
第24番を聴いた後にこの第23番を聴きますと、ヴィオッティがいかに時代の転換点に生きたのかとまざまざと見せつけられます。まるで音楽が違うのです。彼はフランス革命を受けてイギリスへ亡命せざるを得なくなりましたが、それは守旧派とかかわりがあったということであって、彼自身が守旧派であったのではないのではないかという気がします。それは音楽に如実に表れています。
特にそれを感じますのは後半二つの協奏交響曲で、特に2曲目の協奏交響曲第1番です。ハイドンよりはむしろモーツァルトに近い軽妙さと気品、そして優雅さ。二つのヴァイオリンが織りなす会話は、いかにも古典派です。これこそと言ってもいいと思います。
3曲目の協奏交響曲第2番はもともとヴァイオリン協奏曲第9番からの編曲ですが、実はこの二つは1786年に成立しています。まさしくハイドンやモーツァルトの活躍した時期になるわけで、そんな中で彼の音楽はとても保守的なフランス風を保っています。そもそも協奏交響曲はフランスで発達し持てはやされたジャンルで、それがヨーロッパ全体へと広がっていったのです。
協奏交響曲はヴィオッティだけでなく、同時代のハイドンもモーツァルトも作曲しています。そして三人それぞれに個性がある作品を残しています。このヴィオッティのものは二つとも優雅さを前面に出し、保守的な作品に留まっていることが逆に個性となっています。ハイドンの弦楽器と管楽器によるものはハイドンらしい驚きや当時のヴィルトォーソといったものを前面に出し、モーツァルトのヴァイオリンとヴィオラのためのものはあくまでも自分の持ち味である転調の妙とソリストの出だしと言った点を前面に出しています。
この協奏交響曲は、その構成そのものは普通の協奏曲にロマン派へと移る過程で取り入れられてすたれていきますが、重奏の協奏曲という形で残っていきます。そもそも重奏といった形はバロックからあったわけで、バッハもチェンバロで作曲しています。その伝統に立つ協奏交響曲ですが、やがて演奏者と作曲者の分業が顕著になるにつれてすたれたという側面もあります。つまり、協奏交響曲とは複数のソリスト演奏の妙をオーケストラとの会話の中で楽しむというジャンルであるからでして、それも協奏曲が交響曲よりも上位に来ていた時代の産物だからです。
しかし時代は大きく動き、演奏者は自らの演奏を誇示する時代になり、独奏曲が好まれる時代へと移り、それに伴いオーケストラ曲は特にベートーヴェンの時代を経て交響曲重視の時代と変化し、協奏曲の地位が相対的に低下します。それに伴い、協奏交響曲がもてはやされた時代は終わりを告げます。その最後の時代の作曲家と言ってもいいくらいでしょう。そのきっかけはやはりフランス革命であったと言えるかと思います。
その後、第24番でまるでロマン派のような音楽を書くのですから・・・・・だからこそ、いま私は彼のヴァイオリン協奏曲の成立年代にこだわっているわけなのです。それが分かることで変遷が分かり、そこで彼が本来持っている音楽性を正しく私たちは理解することになるのではないでしょうか。
その点では、ナクソスにはもう少しヴィオッティのラインナップを求めます。英語解説なので詳しいことは時間がかかるので難しいですが、中学校程度の英語力があるのであれば、成立年代くらいは読んで理解することができますので。その点で1200円というナクソスの値段は、決して高くはありません。ほとんど解説らしい解説がないブリリアント・クラシックスに較べれば、1200円という値段は決してブリリアントに引けを取りませんから。
演奏はとにかくのびやかです。アンサンブルが素晴らしいのは最近のナクソス音源の特徴になっていますね。昔は東欧のオケなどを使って安さを実現していましたが、今では実力がありながらなかなか取り上げられることの少ないオケやアーティストを使うことで安さを実現していますね(それでも、これは録音年代が1995年!)。こういった取り組みはもっと評価されてもいいように思います。最近のナクソスは苦しい時のナクソス頼みではなく、ナクソスだからこそ買う、という方向に私は変わってきています。そして、ナクソスが設立以来重視している「文庫本のようなラインナップ」を今なお追い求め、実現させている点も素晴らしいです。
それがよくわかる演奏でもあります。アンサンブルの素晴らしさ、音の伸び、しなやかさ。どれを取っても素晴らしいです。もっとこういった演奏をナクソスは出してほしいなと思います。
いや、多分その安さゆえ、こういった演奏を出すことができるのだと思っています。それだけすそ野は確実に広がるわけで、それでしっかりと文化を資金面で支えることになるのでしょうから。こういった点はまだまだ日本にかけている点だと、買うたびにつくづく思います。
聴いているCD
ジョヴァンニ・バッティスタ・ヴィオッティ作曲
ヴァイオリン協奏曲第23番ト長調G.98
協奏交響曲第1番ヘ長調G.76
協奏交響曲第2番変ロ長調G.77
マウロ・ラニエリ(ヴァイオリン、第23番)
ロベルト・バラルディ(ヴァイオリン、協奏交響曲)
アルベルト・マルティーニ(ヴァイオリン、協奏交響曲)
アルド・シシッロ指揮
アカデミア・フィラルモニチ
(Naxos 8.553861)
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