かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:コープマンが再構築したマルコ受難曲

今回の神奈川県立図書館所蔵CDコーナーは、バッハのマルコ受難曲です。トン・コープマン指揮、アムステルダム・バロック管弦楽団・合唱団、ブレダサクラメント少年聖歌隊他です。

バッハはその生涯で5つ受難曲を作曲したと言われていますが、きちんとした形で残っているのはヨハネとマタイの二つだけです。後は2つほどが不完全な形で残されており、ルカは他人の作品の加筆、そして今回紹介するマルコは歌詞だけという形です。

バッハの作品にはこのマルコのように歌詞だけというのがたまにあるのです。その理由として、曲はすでにあるからない、ということが多いのです。

そのせいか、バッハ事典でもマルコに関しては、ほとんど旧作からの転用だと結論付けています。そのため、マルコ受難曲を演奏するとなりますと、どの旧作を使うのかというのが問題になります。

さて、このマルコ受難曲に関しては、二つの説があるように思います。バッハ事典でもその二つが入り混じっています。バッハ事典の該当項目を見てみますと、1731年3月23日ライプツィヒとありますが、一方バッハの受難曲全体についての説明では、1717年のヴァイマールでの演奏に触れています。

これがいろんな演奏に影響を与えているように思います。今CDで出ている演奏は大きく分けて、1717年にヴァイマールであったであろう演奏と、1731年にはっきりと演奏されたと記録に残っているものとに分かれます。このコープマンのものは後者になります。しかし、多くは1717年にあったで「あろう」演奏のスタイルを取っています。

記録に残っているのは、1717年にバッハが当時ラインハルト・カイザーが作曲したマルコ受難曲を写譜し、加筆して演奏したということと、1731年の受難週にライプツィヒで演奏されたということの二つです。これをどう推理するかで、スタンスは違ってきます。

実はこの演奏、国内盤も出ているはずなのですが図書館にあったのは確か輸入盤だったと思います。そのため、コピーもしなかったという経緯があります。以下のサイトであるように、実はコープマンは旧作は何かを対応表で解説してくれているのです。

J.S.バッハ「マルコ受難曲」
http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/bes4mark.htm

上記サイトもこの二つの事実をすっ飛ばしてしまっているのですが(まあ、それは私もやってしまうことがあるので仕方ない部分もありますが)、この二つの演奏は全く同じものだったのかが問題になります。つまり、1731年の演奏は1717年の演奏の再演だったのか、それとも別のものだったのかということです。その吟味をしなければならないことを意味します。

コープマンは全く別物と考えたのです。その理由までは返却してしまっているので覚えていませんし、仮に手元にあったとしても、英語表記ですから何となくでしかわかりません。ただ、一つ考えられる理由が東京書籍「バッハ事典」の該当項目に載っています。それは、1731年の演奏は、BWV198から5曲、BWV54から1曲転用されているという「事実」です。

BWV198は世俗カンタータ「候妃よ、さらに一条の光を」のことで1727年10月17日にライプツィヒで初演されたものです。一方BWV54はヴァイマル時代の教会カンタータ第54番「罪に手向かうべし」で、初演は1714年とされています。つまり、1731年の演奏には1717年以降に作曲されたカンタータが転用されているということなのです。

もし、これを1717年演奏が本物としてしまいますと、この事実との整合性が取れなくなります。以前モーツァルトの戴冠ミサを取り上げた時にも同じような論戦がエントリアップ後ありましたが、このバッハの場合モーツァルトのような作曲の仕方はしませんから、作曲以前にすでに一部のものは出来上がっていたということを証明するためには、似たような旋律をバッハ自身の作曲で発見する必要が出てきます。バッハの場合はあきらかにアレンジャーの側面がありますので、その点は重要なのです。

つまり、BWV198がそもそも旧作の転用であるということが証明されないと、1717年の演奏が1731年にも演奏されているので、コープマンの再構築は間違っているということにはならないということになるのです。ということは、どちらの再構築もありうる、ということになります。むしろ、このコープマンの再構築の方が事実により近いと判断せざるを得ないと私は思っています。

あるいは、そもそも1731年の演奏も基本はカイザーのものだったが、そこにさらにBWV198から転用したことで再加筆したのか、ということです。それがまずブックレット等で確認できませんと、基本的にはどちらの判断も正しいのではないかということになろうかと思います。今は、私はコープマンのほうを評価していたいと思っています(ただ、上記サイトの、使っているカンタータの種類についての疑念には同感です)。

コープマンは全く別物と考えているためか、旧作はあくまでもバッハの以前に作曲されたカンタータあるいは受難曲からの転用になっていまして、その点がとても面白いです。一度これどこかで聞いたぞと思って、他の演奏を引っ張り出して来たりとかしますと、さらに面白いです。バッハのアレンジャーとしての側面にきっと興味をそそられることでしょう。

演奏で注目はイエスがペーター・コーイであるということです。BCJもペーター・コーイがイエスを担当することが多いですし、またカンタータでもバスはイエスを象徴していることがほとんどですから、その意味ではペーター・コーイがここでもイエスの役をやっているというのはコープマンのセンスの良さを感じます。と同時に、なぜワイルの「森の中で死す」でもバスを担当したのかが浮かび上がってきます。

今月のお買いもの:ワイル ベルリン・レクイエム他
http://yaplog.jp/yk6974/archive/660

こういった実績の評価が、ワイルという一癖も二癖もある音楽での抜擢ということに繋がっているのだろうなと思います。



聴いている音源
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
マルコ受難曲(トン・コープマン編)BWV247
シビッラ・ルーベンス(ソプラノ:テスティス�T、アンチッラ))
ベルンハルト・ランタウエル(アルト)
クリストフ・プレーガルディエン(テノールエヴァンゲリスト
ポウル・アニュー(テノール:ペトロ、ユダ、ミレス、セントゥリオ)
ペーター・コーイ(バス:キリスト)
クラウス・メルテンス(ポンティフェクス、ピラト、テスティス�U)
トン・コープマン指揮
アムステルダム・バロック管弦楽団・合唱団
レダサクラメント少年聖歌隊



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