かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

マイ・コレクション:ナクソスのモーツァルト レイクエム

今回のマイ・コレは、ナクソスモツ・レクです。指揮はズデニェク・コシュラー、演奏はスロヴァキア・フィルおよび合唱団他です。しかしこのCDをこのタイミングでご紹介することになろうとは・・・・・・改めて、地震および津波により被害を受けた方および原発事故により避難せざるを得ない方にお見舞い申し上げますとともに、地震および津波による犠牲者に哀悼の意を表します。

私としましては2枚目の「モツ・レク」でした。私に宗教音楽への目を見開かせてくれたこの曲ですが、いろんな演奏が聴きたくて、以前取り上げましたカラヤン/ウィーン・フィルのものとおなじモダンオケということもあってこのCDを買ったのです。おまけに値段も1000円(当時)でしたし^^;

マイ・コレクション:カラヤン/ウィーン・フィルモツレク
http://yaplog.jp/yk6974/archive/438

モツレクに関する説明はここでも端折りたいと思います。この演奏もカラヤンとおなじジュスマイヤー版を使っているということだけにしておきましょう。さすれば当然、カラヤンとの比較ということになりましょうが・・・・・

実は解釈にはそれほど違いがありません。「怒りの日」もフォルテのまま突入しますし、テンポが若干ほかで遅めになっているだけです。ただ、その「テンポ」の違いが、残念ながらカラヤンとは天と地ほどの差を生み出しています。

発声も素晴らしですし合唱団のアンサンブルも申し分ありません。オケも悪いわけではありません。むしろ響き具合からすればこちらのほうがいいくらいです。でも、やはりテンポが遅めであることで冗長に感じてしまうのが欠点です。

テンポは関係ないという人もいますが、緊張感という視点から言いますと、テンポは非常に重要な役割を果たしています。早いパッセージは感情の高まりを表現することが多いのは皆様経験上よく御存じかと思います(あらゆるジャンルでそれは同じです。何もクラシックに限った話ではありません)。その点を考慮しますと、この演奏はこの曲が宗教曲であるということにとらわれすぎてしまった結果であると言えると思います。

評価できる点もあります。それは、ティンパニの連打です。これはカラヤンではやっていなくて、それだけにドラマティックです。しかしこれをやってしまった贖罪なのかわかりませんが、テンポがゆったりとしてしまっているのです。

それは以下の会議が影響を及ぼしていると考えられます。

第2バチカン公会議
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E3%83%90%E3%83%81%E3%82%AB%E3%83%B3%E5%85%AC%E4%BC%9A%E8%AD%B0

この会議において、実は「怒りの日」の使用を制限しようという決定がなされました(事実上の使用禁止といってもいいと思います)。

怒りの日
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%92%E3%82%8A%E3%81%AE%E6%97%A5

上記のこの説明のほうがより詳細が分かり易いでしょう。端的ですしね。こういった背景があることは予想できます。直接演奏に制限がかかっているというより、キリスト教を文化とする人たちの精神に多少の影響を及ぼしているということなのです。逡巡させると言えば分かり易いかと思います。

実際、怒りの日を外してレクイエムを作曲している人もいます。三大レクイエムではフォーレがその人です。そういった例を演奏側が知っているからこそ、ティンパニの連打にしても果たしてそれでいいのかなどの「迷い」が生じるという場面が出てくるのだと思います。

そうなると、実はそういったことにとらわれない、クリシチャンではない人が振るほうがいい結果を残す可能性もあります。たとえば、日本人とか・・・・・

日本人の、特に仏教徒神道を信ずる人が振るほうが、もしかするとこの曲の魅力を引き出すことが出来る可能性も大いにあります。なんといってもモツ・レクは第2バチカン公会議以前の作品なのですから、当然その決定に必ずしもとらわれる必要はないはずですから。カラヤンはそれをティンパニを強く打たせるということで解決しましたが、神道や仏教を信ずる日本人ならば、ティンパニを連打させつつ別のアプローチができるように思います。

こう判断する理由に、この演奏は特にモダンでありながらオルガンの音がはっきりと聞こえるという点が挙げられます。オルガンは通奏低音を担当しますが、かといってモーツァルトの時代すでにメジャーではなくなっていました。それなのにオルガンが聞こえるということは、この曲をモーツァルト自身はっきりと宗教曲として作曲している証拠です。しかし、カラヤンの指揮では実はそれほど分かり易くはありません。ところがこの演奏ではそこかしこにオルガンが聴こえるのです。

その点からしますと、やはりコシュラーが宗教曲ということにとらわれすぎてしまった結果であると、私は思っています。



聴いているCD
ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト作曲
レクイエム ニ短調K626(ジュスマイヤー版)
マグダレーナ・ハヨーショヴァ―(ソプラノ)
ヤロスラヴァ・ホルスカ(アルト)
ヨゼフ・クンドラーク(テノール
ペーター・ミクラ―シュ(バス)
ウラディーミル・ルソー(オルガン)
ズデニェク・コシュラー指揮
スロヴァキア・フィルハーモニー管弦楽団&合唱団
(Naxos 8.550235)



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