かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

マイ・コレクション:モーツァルトミサ曲全集1

今回からマイ・コレはしばらく、かつてEMIから出ていたモーツァルトのミサ曲全集をとりあげます。まずはその第1集となります。

この全集は2つに分かれていまして、そのまずは第1部を買ったのですが、実はこれ結局全部そろえることが出来なかったものです。ただ、それでも有名曲は入っていますので今でもレファレンスとしても、またその演奏レヴェルも一級だと思っています。

演奏はコレギウム・カルトゥジアヌム。ピリオド演奏の団体です。合唱団はケルン室内合唱団。正直言いましてこのCDを買った時期まではそれほどピリオドの演奏は好きではなかったのですが、そのイメージをいい意味で覆してくれたシリーズです。

そして特徴としましては、教会ソナタがミサ曲の中に必ず入っているという点でしょう。この第1集でもK.140とK.220「雀ミサ」に挿入されています。

まず、教会ソナタとはどんなものかを説明しましょう。基本的にミサ曲の中に挿入されている、教会において演奏される器楽のみの音楽のことです。なぜそんな面倒な言い方をするかといいますと、これは日本人にはわかりづらい点だと思いますが、キリスト教では人の声が最も聖なるものとされているためです(一方、神道は逆に器楽ですね。雅楽を聞けば分かり易いと思います)。形式的にはもちろん、ソナタ形式であり、4楽章であることが多いとされていますが、モーツァルトの場合は1楽章のみのソナタ形式をもつミサ曲中の器楽のみの曲のことを「教会ソナタ」と呼びます。

実はこのシリーズ、何度かご紹介したことがあります、彼のミサ曲を特集した時に聴き比べという形でいくつか紹介していますが、その時には「ミサ曲」だったので教会ソナタはあえて取り上げていません。今回は演奏を述べるのが中心になりますので、「ミサ曲全集」と銘打っていますが、教会ソナタも取り上げます。

つまり、このシリーズを監修したひとからすれば、教会ソナタを挿入した形こそ、本来の演奏の形であると考えているからにほかなりません。実はこれはすべて輸入盤でして、こういった点に着目するのも輸入盤のいい点です(それがいずれ、私をして国内盤重視から転換させるきっかけにもなっています)。

まず1曲目のK.49とK.65には教会ソナタが入っていません。いずれもミサ・ブレヴィスでしかも彼のミサブレヴィスの中で第1作と第2作(「ミサ・ソレムニス」である孤児院ミサを間にはさめばミサ曲としては3曲目)となります。この二つの本当に小さなミサはそれぞれ長調短調コントラストがありますが(K.69は受難節にかかわる儀式「四十時間の祈祷」の開始を告げる音楽であるため通常のミサ曲でありながらニ短調)、これを生き生きと演奏しています。それこそ、以前シュライヤーの戴冠ミサのときに触れましたが、八分音符をはねるような感じで、軽めに演奏指せています。このあたり、指揮者のペーター・ノイマンのスコアリーディングの高さを感じます(ただ、その割には実はその戴冠ミサでは残念なことになっているのですが・・・・・)。

つづくK.140「田園ミサ」も同様の弦捌きとなっていて、荘重な感じがありません。しかしこれが本来のモーツァルトの音楽だと私は思っています。それなのに軽薄さがないのが、本来モーツァルトの音楽の素晴らしさだと思います。こういった点はやはり宗教音楽を聴かないとわからないのでないかと思います。

さて、このK.140では教会ソナタが入っています。実は器楽曲のみを演奏するというのはバロックからの伝統でして、何も古典派の時代に限ったことではありません。コレッリの有名な「合奏協奏曲」にも例があります。そういった伝統を受け継ぎつつ、しかし音楽としては全く持って古典派のソナタ形式を伴っている点が素晴らしいです。それが全くミサ曲を壊していないのですね。初め聴いたときにはなんじゃこりゃ?と思いましたが、バロックを聴いてきますとなるほど〜とうなってしまいますね。まあ、携帯で聴くような場合はのぞいていますけれど、こういった教会ソナタが入っている形で聴くのもいいですね。確かに、モーツァルト自身がそれを入れて演奏したと記録に残しているわけですし、間違いではないわけです(その教会ソナタが実際に該当ミサ曲に使われたかどうかは別として)。このK.140にはK.144の教会ソナタが使われています。それがあっているかどうかまではわかってはいませんし、「モーツァルト事典」でもそこまで触れられていません。

つづくK.220はかなり荘重な音楽となっています。合唱団の部分が少しはねていることを考慮したのか、オケはややべったり気味の演奏です。しかしそれほどしつこくはなく、はねるところ、べったりとするところを巧みに使い分けています。こういったあたりに、指揮者の能力の高さを感じます。リズムの対比という、素晴らしい作品には必ずといっていい点をきちんと考慮しているからです。それをもっとも物語るのがグローリアで、合唱団は長音を十分伸ばし、オケははね気味です。これがいいコントラストになっているのです。

そして教会ソナタはK224が使われています。ただ、K220が1775年の作曲であるにもかかわず、K.224は1780年の作曲なんですね。この点、果たしてその組み合わせがあっているのかどうかは議論が分かれるところでしょう。その教会ソナタも、本来18世紀や17世紀的なとされているのにもかかわらずすでに古典派の音楽であって、それも、かなり八分音符をはね気味に演奏しています。こういった点がモダンの演奏に衝撃を与えた点でもあるのですね。その点では、モダンの演奏はかなりベートーヴェンの「亡霊」が割拠しているなあと思っています(悪い意味ではないんですけどね)。

ここで面白いのは、教会ソナタはこのCDではあくまでもK.140以降に挿入されているという点です。つまり、ザルツブルク大司教がシュラッテンバッハからコロレドに変わったということを重視しているのですね。この点につきましては、恐らく事典を参考にされていると想定される以下のサイトが詳しいです。

教会ソナタ(全17曲)
http://www.mirai.ne.jp/~nal/mozart_K_kyoukaisonata.htm

教会ソナタが挿入されるきっかけを作ったのは実はコロレドです。少なくともモーツァルトの手紙からうかがい知れる範囲内ではそういわれていますが、実際は最初の3作品、K.67とK.68、K.69はそれよりも古い1767年という年代も言われています。ただ、彼の最初のミサ曲と言われているミサ・ブレヴィスであるK49が1768年。それよりも古いとなるといったいその教会ソナタは何に使われたのかが問題になります。このCDにはそのどれも使われていないことを考えますと、仮に遡った年代が正しかったとしても、指揮者ノイマンはミサ曲の中ではないと判断していると考えてよさそうです。実際、器楽演奏だけというのもありますから。モーツァルトの年齢を考え併せてみても、その可能性は間違ってはいないのではと思います。

こういったちょっと専門的になりますが、クラシック音楽の構造や神髄を聴くのには、とても適した教材だと今でも思っています。次回以降も、演奏と教会ソナタを中心にその点を重点的に述べたいと思います。



聴いているCD
ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト作曲
ミサ・ブレヴィス ト長調K.49(47d)
ミサ・ブレヴィス ニ短調K.65(61a)
ミサ・ブレヴィス ト長調K.140(Ahn.235d)「田園ミサ」
教会ソナタK.144
ミサ・ブレヴィス ハ長調K.220(196b)「雀ミサ」
教会ソナタK.224
アン・モノイオス(ソプラノ、K.65・140・220)
アグネス・メロン(ソプラノ、K.49)
エリザベス・グラフ(アルト)
オリイ・プファッフ(テノール
フランツ=ヨゼフ・ゼーリヒ(バス)
ケルン室内合唱団
ペーター・ノイマン指揮
コレギウム・カルトゥジアヌム
(EMI CDC 7 54100 2)



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