県立図書館所蔵CDハイドン弦四シリーズの今回は第6回目です。作品17の前半3曲を取り上げます。
3曲いずれも4楽章となっており、しかも形がほぼ整ってきていることが最大の特徴でしょう。第1楽章にはソナタ形式がきちんと備わり、気品と気高さも備わってくるようになり、単なる温かい音楽ということではなくなってきます。
また、変奏曲も巧みに取り入れられていて、サロン音楽でありながら、そこから派生してもっと高い位置へと昇っていくような、そんな音楽になっています。
この3曲に関してはそれぞれ語るよりその全体像を述べたほうがいいと思います。それぞれはあまり個性がないのですが、この作品17は全体としてはとても個性を放っています。古典派らしいという個性です。
それは特に個性ではないのでは?と思いがちですがそうではありません。それまでロココ調だった音楽がここから古典派らしいものへと変質していくからです。明るく温かく、そしてモーツァルトのようなドラスティックな転調がないだけにそれは認識しにくいですが、音楽は確かに次の時代を切り開くものになっています。
これを聴くのがハイドンはたまらないのです!一見個性が無いようで実はある・・・・・それに気づいたとき、ハイドンがにやりと微笑みかけてくるように思えるのです。
特に圧巻は第26番第4楽章の変奏曲です。これでもかこれでもかと旋律を繰り返し、盛り上がってゆきますが、最終的には落ち着きを取り戻し終わるなんて、粋ですし、ベートーヴェンへつながる終わり方でもあります。え、こんな感じで終わるの?って感じです。しかし、それはベートーヴェンのほうがよくある形ですし、モーツァルトにはあまり見られません(モーツァルトのほうがむしろもっときっちりと終わってくれます)。その点からも、ハイドンの弦楽四重奏曲はまっすぐベートーヴェンへとつながるといっていいと思います。
エオリアンはそれをメリハリつけて演奏しています。それからいずる音楽は、決してつまらないものではありません。むしろ高貴さあふれる、気品に満ち慈愛に満ちたものです。
平和だなあと、思わずぼーっとしてしまいますし、ぼんやりと何かを眺めたくなります。しかし、そこでただぼーっとしているのではなく、自分の中に何かが満ちてくるような、そんな感情も湧き上がってくるのですから、エオリアンの演奏は不思議です。いったい、わたしはハイドンの音楽でこれほどの感情を得ることが出来るとは想像したであろうかと思います。
ハイドンの音楽は退屈だ、つまらないと言われますが、それはもしかするとハイドンの音楽が持っている「人間的な優しさ」のせいなのかもしれません。
聴いている音源
フランツ・ヨゼフ・ハイドン作曲
6つの弦楽四重奏曲作品17 第1集
弦楽四重奏曲第25番ホ長調作品17-1 Hob.III.25
弦楽四重奏曲第26番ヘ長調作品17-2 Hob.III.26
弦楽四重奏曲第27番変ホ長調作品17-3 Hob.III.27
エオリアン弦楽四重奏団
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