かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

マイ・コレクション:コダーイの女声合唱曲

今回のマイ・コレは、コダーイの女声合唱曲です。ミクロ―シュ・サボー指揮、ギョール少女合唱団です。正確には「クワイア」となっていますから聖歌隊と訳すべきかもしれません・・・・・

この一枚でも、ハンガリーという国がいかに合唱というものを重視した音楽教育をやっているか、よくわかるものとなっています。女声合唱では一転、不協和音が鳴り響き、現代的な音響になっています。特に、「偽りの春」から「私は死ぬ」と、「山の夜」は現代音楽的です。いや、現代音楽だといっていいでしょう。

しかし、それがまたとてもいい味が出ているのです。恐らく、彼女たちはアマチュアだと思うのですが、アンサンブルは申し分ないですし、ハーモニーもばっちりです。

特にすばらしいのは、やはり「山の夜」。「ジプシーがチーズを食べる」と同じくらい、合唱好きにとっては有名な曲ですが、いかにも山の中での一夜という感じが出ていて、とても素晴らしいです。

一夜と言いますと、クラシックではムソルグスキーの「はげ山の一夜」がつとに有名ですが、しかし、私は少年時代八ヶ岳に登ったことがあるのですが、山の夜は「はげ山の一夜」ではなく、断然このコダーイの「山の夜」の雰囲気なのです。その点ではまさしく、雰囲気と核心をつく作品だと思います。

不協和音だけではない、そしてメロディだけでもないその音楽によって、「山」という世間とは隔絶された世界が十二分に表現されています。そして、この曲の特徴は歌詞がないことなのです。それがいっそう、山の夜の、不思議で、そして聖なる世界を表現しています。

そのような曲調でほとんどの曲が貫き通されていますが、ただ、このCDではヴォーカリーズで歌詞がない山の夜以外は、ハンガリー語、イタリア語、英語と三か国語で歌詞が付いていまして、コダーイが決してハンガリー民族音楽の作曲家としてではなく、あくまでもハンガリーの作曲家という人間なのであるということを教えてくれます。

すべての作品が20世紀前半〜中盤にかけての作品で、その優れた音楽性と、それをしっかりと表現する合唱団の歌唱力に圧倒されます。最近はアメリカの作曲家が高校生あたりには好まれていますが、例えばNHKの全国学校音楽コンクールに出るのであるならば、コダーイくらいに挑戦してみるのも必要なのではないかと思います。あそこまで女声偏重なコンクールもありません・・・・・それくらいはやってほしいものです。さて、審査員はどんな点数を出すのか、楽しみですね。

コダーイの合唱曲は、前衛的なものからメロディアスなものまで、多種多様です。それが聴く魅力でもありますし、歌う魅力でもあります。実際、山の夜などはわたしは混声合唱でやりましたが、アンサンブルにとても苦労します。が、彼女たちはいとも簡単に歌ってしまっていて、それでいて聴いていて全く飽きが来ないのです。それこそ、実力がある証拠。

きれいなだけではダメなのです。最近、NHK全国学校音楽コンクールではきれいなハーモニー「だけ」にいい点が付くような気がしてならないのです。確かに、それはそれでいいことですが、もっと心に響く「何か」が欠けている・・・・・この演奏を聴きますと、そんな気がするのです。

そういう理由は、次のマイ・コレで明らかにしましょう。



聴いているCD
コダーイゾルターン作曲
合唱作品集 - 6 (女声合唱)
2つのザボール地方の民謡
偽りの春
わたしはみなし児

私は死ぬ
4つのマドリガル
山の夜
楽に興ずるワイナモイネン
ミクロ―シュ・サボー指揮
ギョール少女合唱団、ほか
(Hungaroton HCD 12948)