かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:モーツァルト交響曲全集1

今回の県立図書館所蔵CDは、モーツァルト交響曲全集の第1集です。マリナー指揮、アカデミー室内管弦楽団という、あの「名盤」ですね.

最近、ようやく輸入盤でモーツァルト交響曲全集を見かけるようになりましたが、国内盤ではあまりお目にかかりませんね。ないわけではないですが、モダンでの演奏がないのです。そんな中で、モダンでありなおかつ名盤の誉れ高いこの演奏を県立図書館が持っているなんて、私は神奈川県民であることを誇りに思います。

昔はこれだけではありません。サヴァリッシュ/チェコフィルでもありましたし、ほかでもてんこ盛り。モダンしか注目されなかった時代には、多くの名盤が存在し、売られていました。しかし、現在は店頭ではピリオドしか手に入らないような状況です。

そろそろ、日本も海外のようにどちらもきちんと置くということをしないといけない段階なのではないのかなあと思います。HMVなどの規模縮小もそんな「売り方」を想像させるものです。

さて、この全集の特徴はまず現在「真作」と確認されているモーツァルト交響曲だけでなく、これが発売された当時の段階でモーツァルトの作と判断できるもの、および疑義はあるけれど確認ができないものはすべて収録されている、という点にあります。わたしも外付けに入れるにあたって、アタッチメントに以下の文章を自分で加えました。

※番号表記は東京書籍「モーツァルト事典」による。また、番号あり、なし、偽作等の表記も事典に従い区分。
番号付き:モーツァルト真作
番号なし偽作等:偽作の疑いが濃いが、確証が得られていないもの
番号なし:モーツァルト真作の可能性が濃いが、確証が得られていないもの

ということで、一つずつ紹介するときには、この区分をご紹介することとします。

まず、「第1番」ですが、これは「真作」です。今のところ確認できている中でモーツァルトの第1作目の交響曲になります。ソナタ形式も備わっていますが、音楽的には「シンフォニア」に近い、3楽章形式の短い曲です。それは続く第4番と第5番(ともに真作)も同様であり、この時期のモーツァルトがその才能を開花させながら、先人の音楽を必死に自分のものとさせてゆく過程を見ることができます。基本的にはヨハン・クリスティアン・バッハの音楽を念頭に、カール・フィリップなど、ほかの「大バッハ」の息子たちの音楽に必死になって追いつこうという志を見ることができます。

第6番(真作)になって、一つの展開が始まります。それは、初めて4楽章形式になるということです。音楽的にも深いものが見え隠れするようになり、徐々に大バッハの息子達とは違う音楽が展開されてゆくことになります。シュターミッツによって確立された4楽章形式を試していまして、しかもすでに第3楽章のメヌエットではトリオ形式が見えます。モーツァルトが自分の立ち位置というものをしっかりと認識していた証です。

第7番(真作)は交響曲としてのほかに、オペラ・ブッファ「ラ・フィンタ・センプリーチェ」K.51(46a)の序曲に転用していて、この演奏はそれに依っています。といっても、編成が多少小さくなっているだけで、特に問題があるわけでありません。私たちのような愛好家レヴェルでは全く問題ありません。モーツァルトの時代、交響曲はたびたびオペラの序曲へと転用されているということは、知識として持っていていいと思います。

最後に収録されているのは、現在偽作とされ、父レオポルトの作とされている「新ランバッハ」です。現在発売されている全集では収録されないことが多いこの曲も、この全集では収録されているのもうれしいですね。新全集では「新」はのぞかれていまして、この全集でもケッヘル番号はありません。やれ真作だ、偽作だとなんども論争の種になったこの曲ですが、現在は旧がモーツァルト、新が父レオポルトと結論付けられています。たしかに、この新ではチェンバロが入っているうえで4楽章になっていまして、それはちょっと変な気もします。このCDに収められている曲の中で、チェンバロが使われているのは冒頭の第1番とこの新ランバッハだけで、第4番から第7番までは使われていません。その点からも、その判断は妥当だろうと思います。もちろん専門家はそれだけで断定しているわけではなく、楽典に基づいた研究から判断しています。

全体の演奏としましては、やはりアカデミーのアンサンブルの素晴らしさです。室内オケらしい統率のとれたアンサンブルは、聴いていて小気味いいですし、音楽的にもシンフォニアの延長線上とも言えるこの初期の作品群を演奏するにふさわしいアンサンブルだと思います。もちろん、小編成が何が何でもいいとは言いませんが、当時のフルオーケストラは現在よりも編成が小さいということを考慮しますと、私はこのような室内オケでの演奏こそ、モダンでは一番合うのではと思っています。もし、もっとメジャーな、例えばウィーン・フィルなどがこの時期の作品群を演奏するとするならば、やはり思い切って編成を小さくする、という「大英断」をしないといけないのではないのかなあと、考えたりもします。



聴いている音源
ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト作曲
交響曲第1番変ホ長調K.16
交響曲第4番ニ長調K.19
交響曲第5番変ロ長調K.22
交響曲第6番ヘ長調K.43
交響曲第7番ニ長調K.45
交響曲ト長調「新ランバッハ」Kなし
サー・ネヴィル・マリナー指揮
聖マーティン=イン=ザ=フィールズ教会アカデミー(アカデミー室内管弦楽団