かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買い物:シューマンとメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲

今月のお買い物、今日は先月購入した輸入廉価盤2枚のうち、もう一枚のシューマンメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲です。

メンデルスゾーンは有名だと思いますし、すでに私も「マイ・コレクション」でチョン・チョンファの演奏を取上げていますが、シューマンは全くの初めて。ですので、迷わずこれを購入しました。

いえ、じつはこの一枚は以前から物色していました。最近取上げている輸入盤は山野ではなく横浜の「プレミア・ムジーク」で購入しているのですが、そこでもう3ヶ月くらい前から候補に入れていたものです。つまり、輸入廉価盤を取上げ始めてから休載期間を入れて4ヶ月くらいたちますが、取上げ始めたころから狙っていた、ということになります。

「プレミア・ムジーク」は横浜は関内にある輸入CD専門店ですが、そんなお店で買うCDとなると、国内盤では楽しめないものを中心に購入することになります。同じ値段でも安いか、あるいはとても珍しいものかが購入の基準になります。その上で、予算上優先順位を付けていくというのが最近の私の購入の仕方ですが、これはちょっとその優先順位が下がったものでした。

しかし、これは買ってよかったと思っています。演奏機会も少なく、私も「シューマンのヴァイ・コンなんて始めてききました」と告げますと、店員も

「ええ、この曲は日本はもとより、本場でも演奏機会が少ない曲ですから」

といわれたのです。つまり、かなりレアな一枚を購入出来たことになります。

解説はウィキにもあるのでそれほど無名な曲ではないことは推測されますが、ただ、私も全く聴いたことがないですし、確か県立図書館にも所蔵がなかったと思います(もう一度確認してみたいと思います。少なくともOPACでは引っかからなかったと思います)。

シューマンのヴァイオリン協奏曲は、ヨアヒムの要請により、1853年9月下旬から10月初旬のほぼ2週間で書き上げられました。作品番号が付けられていませんが、それはこの曲がシューマンの「遺作」であるからです。この曲はシューマンの入水自殺と関係ありと考えられたらしく、ヨアヒムが封印してしまった上に、クララも「絶対に演奏してはいけない」と家族に言い聞かせていたといいます(実際に自殺するのはこれより約3年後なんですが)。

詳しくはウィキペディアの該当ページhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E5%8D%94%E5%A5%8F%E6%9B%B2_(%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3)を参照ください。

確かに、急〜緩〜急と構造的にすぐれているだけでなく、その音楽自体も交響曲に比べなんと堂々とした上で伸びやかなんでしょうか。ニ短調という英雄調を使っているせいか、第1楽章は堂々としていてかつ悲劇的ではなく、輝かしい未来を予感させるくらいです。またつながっている第2楽章と第3楽章は明るく伸びやかで、3年後入水自殺するような人間の作品なのかと思ってしまいます。何がその3年で彼を変えてしまったのでしょうか・・・・・

ただ、彼は晩年精神的に病んでいたとも言われていますから、それと関係があるのでしょうが、それにしてもなんと前向きな音楽なんでしょう!これで自殺するなんて、信じられません。ただ、よく聴いてみますと、ドラスティックな転調がないんですね。もしかするとそれが自殺のサインなのかもしれません。思いつめる場合はもう覚悟をある程度決めていますから、後は何が「トリガー(引き金)」になるかだけなんですね。つまり、この曲を書いたときにはすでに、シューマンは死ぬ覚悟を決めていたともいえるかもしれません。

それをもし3年もだれにも相談できずに抱えていたとすると、彼の苦しみもわかるような気がします。

第2曲目のメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲はもう説明する必要もないくらい有名な曲ですが、チョンも良かったですがこの演奏もいいです。古い録音ではありますがそんなことは全然気になりません。とてもロマンティックで甘美な曲ですが、その印象をますます強くしました。北島選手の言葉を借りれば「なんもいえねえ」です。

実は、このCDはこの2曲だけで終わりません。第3曲目は私が苦手とするバルトークの「6つのルーマニア民謡」です。バルトークといいますと「弦チェレ」でのちょっと現代音楽風を想像してしまいますが、この曲はそんなことありません。日本人は管弦楽が好きなのでどうしてもオーケストラ曲を聴きたがりますが、私はいくつか彼の音楽を聴いて、彼の魅力は管弦楽ではないんじゃないだろうかという印象をうけています。むしろ室内楽にこそ彼の音楽の素晴らしさは詰まっているように思います。

バルトークといいますとトランシルヴァニアの民謡を収集したことで有名な作曲家です。私はその方面につながる曲のほうが好きです。実際、この曲もヴァイオリンとピアノのための曲です。以前「友人提供音源」でも同じ感想を述べたことがあったと思いますが、バルトーク室内楽こそ素晴らしいというのが今の私の印象です。ですので、私はその方面から彼の音楽に親しんで行きたいなと思います。実際、軽妙ですが、それでいて哀愁溢れる曲です。いわゆる血が通っている感じが曲から伝わってきます。

第4曲目はドビュッシーの「レントより遅く」です。もともとはピアノのための曲で1910年の作曲です。このCDではピアノとヴァイオリンのためにアレンジされています。印象派といわれる時代の音楽ですが、しかし私はすっと入って来ました。正直言いますとこの印象派の時代の作曲家は嫌いではないのですがあまり聴かない、つまり得意としない時代なのですが、それでもこんな小品を聴きますと、いやいやどうして、そんなことないね〜というのが正直な印象です。

そういえば、このようにヴァイオリンを中心にいろんな楽曲が入っているCDというのは国内盤ではないなあと思います。

つい最近まで、私は解説書がついていることを重視して国内盤を中心に買ってきたものですから、このような編集のCDを買う機会ってなかったなと思います。ネットの時代になって、必ずしも解説書のあるなしにこだわる必要がなくなってきまして、輸入盤に目を向けてみますと、いやあ、いろんな発見がありますね。勿論、ナクソスは以前から買い求めては来ましたが、それいがいはトンと機会がなかったです。それは横浜のその店へ行き始めてからいきなり窓が開けてきたという感じです。店員もとても詳しいですし(多分、山野よりも詳しいと思います)。

第5曲目はノヴァーチェクの「常動曲(Perpetuum mobile)」です。この方、なんとウィキでも説明がないという作曲家で、一応、ネットのいろんなサイト等の情報から総合して説明しますと、ハンガリーのヴァイオリニスト兼作曲家だそうで、1866に生まれ1900年になくなっています。

レコード会社のレビュー位しかサイトがないということは、日本では殆ど知られていない、コアなクラシックファンにしか知られていない作曲家と言えるでしょう。しかし、旋律もしっかりしていますし、リズミカルで、時代的にはもう無調音楽が足音を立てて近づいている時代でありながら、そんなことは一切感じられません。こんな曲ももっと聴きたいですね。私お得意の「しぶとく長期間探す」ようにしてみたいと思います。

第6曲目はマロクィンの「メキシカン・ララバイ」です。1909年にメキシコに生まれた、現代の作曲家ですが、この「メキシコに」というのがミソですね。全然現代音楽していません。私も随分昔から中南米のクラシックに触れていますが、その魅力を知ったのはつい最近であり、この曲もそのうちの一つになりそうです。解説がこの作曲家も殆どないのですが、恐らくメキシコ民謡からとったと思われる旋律と独特のリズムが、とても切なく、聴くものの心を捉えます。

第7曲目はリムスキー・コルサコフの「くまん蜂は飛ぶ」です。もともとはオペラ「皇帝サルタンの物語」からの一曲ですが、ここではヴァイオリンとピアノのためにアレンジされています。ヴァイオリンの難曲とも言われる曲ですが、そこにピアノが通奏低音で入るだけで上品な室内楽になるなんて、驚きです。この手の廉価盤ではこんな驚きがたくさんあって、飽きません。

シューマンのヴァイオリン協奏曲の珍しさから購入した一枚でしたが、名曲から秘曲まで、ヴァイオリンの魅力をあらためて気づかされた気がします。



聴いているCD
シューマンメンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲
ヘンリク・シェリング(ヴァイオリン)
チャールズ・ライナー(ピアノ)
アンタル・ドラティ指揮
ロンドン交響楽団
(DECCA 480 0453)