かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

マイ・コレクション:小澤/サイトウ・キネン チャイコフスキー・弦楽セレナーデ他

今日のマイ・コレクションは、小澤征爾指揮、サイトウ・キネン・オーケストラの弦楽名曲集です。収録曲はチャイコフスキーの弦楽セレナーデとモーツァルトのディベルティメントK.136、そして「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」です。

このCDの演奏は賛否両論あるでしょうが、私としては今でも好きな演奏の一つです。特に、第1曲目のチャイコフスキーの弦楽セレナーデはこの演奏以上を今のところ聴いたことがないので・・・・・

1992年の録音で、私はほぼ1年位してから買っています。当時社会人一年目。「失われた10年」に突入して2年目で、世の中は賃切り真っ最中。私もボーナスがどんどん減らされていた時代です。そんなときに確か山野でかかっていたと思います。特集も組んでいたと思いますね。確か、ちょうど今時分、「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」の時期に・・・・・

仕事で疲れ果てていた私の心を癒したのが、この演奏だったのです。

恐らく、編成としてはフルオケの弦部では3曲とも大きすぎるとは思いますが、実はこの編成は「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」でN響が随分昔にやっていて、私の父がそれをエアチェックして持っていました。私のためにそれをテープへダビングしてくれたものをそれこそ毎日のように聴いていましたので、その点はさほど気になりませんでした。

このコーナーはあくまでも購入順にご紹介しているのですが、非常にタイムリーな話題になりました。なぜなら、今年のサイトウ・キネン・フェスティバルでもチャイコフスキーの弦楽セレナーデが取上げられたからです。それを私はテレビで聴いて、落涙を抑えることが出来ませんでした。

小澤征爾は、恐らく自分の死期を悟っている・・・・・私にはそう思えました。なぜなら、この弦楽セレナーデは、彼がまだ学生の頃、師匠の斎藤秀雄が死ぬ3、4週間前にこのオーケストラの母体となった学生オケの合宿で指揮した曲だからです。このCDのブックレットで、小澤征爾自身が語っています。

それを私は知っていたからこそ、落涙を抑えることが出来なかったのです。ちょうど、今年小澤はがんの手術を行なっています。年齢から言っていきなり死ぬということはないと思いますが、彼ははっきりと自分の命はあと何年、と悟ったのだと思います。だからこそ、今年この曲を取上げたのだと、私は解釈しています。

このCDはそのサイトウ・キネンと小澤との信頼関係がよく聞き取れる一枚です。アインザッツの素晴らしさといったらありません。お互いが時間がないのにもかかわらずほぼ完璧に隣の音を聴き、まるで一体となっているかのようです。それでいて表現も柔らかく、特にそれはモーツァルトで顕著です。音の終わりも丁寧で、それすらあっているという素晴らしさ!

日本のオケもここまで出来るのか!と当時自分自身の視野の狭さを恥じた一枚です。正直言って、うまいオケはN響だけだなんて思っていた節もありましたので・・・・・それは間違いであるとはっきりと思い知らされたのです。

今であればCDもあるし、you-tubeもあっていろんな演奏を家にいながらにして聴くことができますが、当時はまだそんな時代ではありません。ウィンドウズ95が出るのはもう少しあとですから・・・・・私がパソコンを買ったのだって、この演奏からちょうど10年経ったときです。それくらい、まだ情報は自分の体を動かさないと得られない時代でした。そんな時代に自分で情報を仕入れて買った一枚です。

それだけに、私はこの一枚に思い入れもありますし、またこのときはまだ若かった小澤が、自らの死期を悟る時代になったのだなと、その間が走馬灯のように思い出されるのです。

小澤がつむぎだす音楽には賛否両論あると思いますが、彼がこれから指揮する演奏を、私たちは彼の「遺言」として、襟を正して聴くべきではないかという気が、私はしています。



聴いているCD
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー作曲
弦楽セレナーデハ長調作品48
ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト作曲
ディベルティメント ニ長調K.136
セレナード第13番ト長調K.525「アイネ・クライネ・ナハトムジーク
小澤征爾指揮
サイトウ・キネン・オーケストラ
(Philips PHCP-5158)