かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

マイ・コレクション:ヴィヴァルディ 四季 イ・ムジチ/カルミレッリ

今回のマイ・コレは、ヴィヴァルディの「四季」です。イ・ムジチ、ピーナ・カルミレッリのコンビです。

これは確か社会人となってから初めて買ったCDだと思います。つまり、マーラーの5番以来の山野です。

この「四季」ですが、本来は「和声とインヴェンションの試み」のうちの、協奏曲集8曲のうち、四季の名称がついたものをさします。しかし、今改めて聴いてみますと、そんなことより、この曲がいかに革新的だったのかを実感しています。

この曲は、ヴィヴァルディの作曲ですから当然バロックの曲ですし、編成もいかにもバロックです。しかし、その構造は・・・・・あれ、これってバロックだったっけ?

ヴァイオリンが必ずしも独立せず、オケとアンサンブルをしている・・・・・つまり、はっきり言って「ヴァイオリン協奏曲」であるわけです。そうなりますと、もう古典派、あるいは前期ロマン派です。少なくとも、バロックであるにも関わらず、構造的にベートーヴェンの時代とほぼ一緒・・・・・・

これは、前にモーツァルトのピアノ協奏曲でも少し触れたことがあったと思いますが、古典派以前は、独奏楽器の演奏があるときには通常オケはお休みです。それが、これはバロックであるにもかかわらず、オケと普通に一緒に演奏しています。

私はこれを初めて聴いたとき、「それは当たり前だ」と思っていましたが、協奏曲の歴史を紐解いていきますと、それは当たり前ではないということに気がつきました。なんとこの曲は革新的だったのか・・・・・

曲の解説などは他にまかせて、私はこのブログではこの革新性を強調したいと思います。しかも更に革新的なのは、それぞれにソネットが書き込まれていて、標題音楽となっている点です。これもバロックではあまりないですし、またその写実性も素晴らしいがゆえに、バロックの範疇を超えています。

これだけのことを私は通り過ぎていたのかと思うと、もっとバロックの音楽へのアプローチを変えるべきなのではないかと私自身は思っています。

でも、恐らくこれに気がついたというのは、社会人になって自分で稼ぐようになったからこそなのではないか?と思います。実はこの革新性はブックレットに書いてあるのですが、当時はそれはスルーでした。ところが、最近になって協奏曲を聴く度合いが増えてきてから、待てよ、「四季」って、これら古典派やそれ以降の協奏曲と形式・構造において遜色ないんじゃないのかと気がついたというわけです。

それだけ、買うなり借りるなりして多くの曲を聴いたからこそ、たどり着いたのだと思います。実際、この曲をこのように革新性に焦点をあてて解説しているものは当時余りありませんでした。今、その革新性をひしひしと聴いて感じています。

そういった解説があるこの演奏はお勧めなんですが(勿論、紙面の関係でのせられませんが演奏自体も)、これでなくても他の演奏でもかまいません。革新性に注目して聴いてみますと、また違った世界をこの曲はみせてくれるものと思います。



聴いているCD
アントニオ・ヴィヴァルディ作曲
協奏曲集「四季」作品8
ピーナ・カルミレッリ(ヴァイオリン)
イ・ムジチ合奏団
(フィリップス PHCP-9001)