かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

マイ・コレクション:リムスキー・コルサコフ 交響組曲「シェエラザード」・スペイン奇想曲

今日のマイ・コレは、リムスキー・コルサコフ作曲の交響組曲シェエラザード」とスペイン組曲です。指揮はシャルル・デュトワ、オケはモントリオール交響楽団です。

言わずと知れたリムスキー・コルサコフの名曲でありまた代表作でもありますが、この曲も高校時代に音楽の時間に聴いたときに気に入って、その後買う機会を窺っていたものです。

これは廉価盤で、2297円。確か、廉価盤になるのを待って買ったような気が・・・・・録音が1983年ですからねえ。当時の大学生としては、なかなかそんな最近のものは買うことが出来ないですよ。90年代前半ですから。

ですから、廉価盤が出るまで待ったように記憶しています。一応、他にもたくさん出ていましたから、別にこれにしなくてもという気もしましたが、やっぱり私は他の演奏等でデュトワ/モントリオール響のコンビが気に入ったということと、雑誌等での評価が高かったという理由で、このコンビで欲しかったんですね。

実際、このコンビはロシア物得意ですから。私が聴いた1812年などもこのコンビであったわけで、だから廉価盤で出るのを学生の身分の私は一日千秋の想いで待ったわけです。

この曲がそれだけ私を捉えて離さないのは、その構造にあります。全曲を通して二つの主題が貫かれています。それがさまざまに変化しつつ、音楽を彩っていきます。それは、この曲がやはり題材として「アラビアン・ナイト」を取上げているということが最大の理由です。

アラビアン・ナイトは、言わずと知れた冒険物語。日本では「千夜一夜物語」とも訳されます。それは、この物語が単なる冒険物語ではなく、実はある王とそれに仕えた侍女の対話の物語であって、それが千夜続いたという、物語のテーマからそう訳されています。私は、この日本語訳は絶妙だなと、この曲を聴いて思いました。

実は、私も聴くまでは冒険物語という側面でしかこの物語を捉えていなくて、実際は王様が精神的に病んでいた状況からだんだん立ち上がる物語である、ということを知らなかったからです。

その物語とは・・・・・以下、ブックレットから転載します。

シャリアール王は、稀有の名君として国民の信望を一身に集めていたが、ある日のこと、愛妃が黒人の奴隷と愛欲にふけっているのを知り、怒って妃と奴隷の首をはねてしまう。シャリアールは、それから毎晩、生娘を迎えては、翌朝必ず首をはねてしまうという、恐るべき暴君に一変してしまったのである。そうした状態がつづいたある日のこと、大臣の娘シェエラザードという才色兼備の女性が妹のドニアザードを伴って参内し、その夜、妹と打ち合わせどおり、彼女はシャリアール王におもしろい物語を聞かせたのだった。王は最初、その話にさして興味を示さなかったが、次第に惹きこまれていき、そのつづきを聞きたいばかりに、翌朝、彼女を殺そうとはしなかった。シェエラザードの物語は、それから毎晩延々とつづき、何と一千一夜にも及んだのだった(筆者註:その後、私も大学図書館で原典をあたり、このあたりを確認しています)。
あれほど女という女を憎悪していたシャリアール王は、次第にシャエラザードを愛するようになり、彼女を正妃に迎え、それからは、以前にもまさる名君として国を統治するようになったという。

憎悪から殺してしまう、というのは恐らくショックだったのでしょうね。もしかすると怒っただけでなく、王はPTSD(心的ストレス性後遺症)だったのかもしれません。心が傷ついたのは間違いないでは?と思います。殺すということまでやってしまうということは、それだけもう狂ってしまっている、ということになりますから。もしかすると王も死にたかったのかもしれません。それを必死に生きようとするあまり、人の生命を奪ってしまうという行為に及んでしまった・・・・・

そう考えますと、この物語が単なる説話ではなく、もっと普遍的な人間の根源を描いていると理解できます。心が傷ついた王がどのように立ち直って行くのか、それを華々しい冒険物語を織り交ぜて描いてゆく・・・・・

リムスキー=コルサコフの音楽はそのテクストで貫かれています。まず、第1曲目でシャリアール王とシェエラザードの対話を主題でもって描き、有名なシンドバッドの冒険物語が始まります。しかし、描いているのはそれを聞いている王と、話しているシェエラザードなんですね。最後はシェエラザードの主題で終わります。

第2曲目は、シェエラザードの主題、つまりシェエラザードが「王様、続きでございます」というせりふのような音楽でいきなり始まりますが、それもつかの間、いきなり冒険物語が展開されてゆきます。最後は冒険物語のまま終わりますが、それがフォルティシモで終わりますので、逆に某監督の作画のごとく「待たれよ、次回」という印象を残します。

第3曲目は、聴いたことがある方も多い曲ですが、ゆったりとした旋律で開始されます。これも実はいきなり物語が始まっているので、実は彼女の主題ではないのにもかかわらず、シェエラザードが物語を語りはじめているということを表現しているわけなのです。その証拠に、その後シェエラザードの主題が出てきます。よくドラマであるでしょう?いきなり始まって、しばらくたってナレーターが語り始める、という形式が。それなんです。ここにも、物語だけでなく、王様とシェエラザードの対話が影に描かれているわけなのです。

第4曲目はフィナーレです。アラビアン・ナイトでも有名な船が嵐の中で難破する物語ですが、その嵐がいきなりやってきます。ナレーションなしに物語の中に私たちは王様同様に放り込まれていくことになります。しかし、最後にシェエラザードの主題が出てきますが、それまでこの主題は短調なのですがここで転調して長調になることで、王様の心に変化がおきていることを示しているのです。

これが4楽章でまとまっていることが、さらに私の心を捉えました。いろんな組曲がありますが、もちろん殆どが4楽章です。ただ、この曲はただ4曲ならべているのではなく、4「楽章」なのです。ここに興味を惹かれました。単なる組曲でも良かったはずなのに、なぜ交響組曲なのか・・・・・それは、今私の興味を非常にそそっています。もしかするとラフと関係あるかも・・・・・ないかもしれませんが。

カップリングのスペイン奇想曲ですが、一転して明るい、ある意味お祭り気分が貫かれている作品です。ロシアの作曲家は祖国が寒いせいか、温かい国を題材とする奇想曲を書いていますが(チャイコフスキーなど)、とても明るく、本当にロシアの作曲家なの?という感じを受けます。長くなりますのでこれは簡単にしておきますが、5曲からなる音楽は基本的にスペインの踊りのリズムから構成され、それゆえにとても楽しいものに仕上がっています。

リムスキー=コルサコフは「ロシア5人組」の一人ではありますが、この2曲からは、私は意外と彼は「コスモポリタン」だったのでは?と感じています。



聴いているCD
ニコライ・リムスキー=コルサコフ作曲
交響組曲シェエラザード」作品35
スペイン奇想曲 作品34
シャルル・デュトワ指揮
モントリオール交響楽団
リチャード・ロバーツ(ソロ・ヴァイオリン)
(ロンドン F00L-23050)