かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

想い:御柱の年には、第九をやって欲しい〜サイトウ・キネン・フェスティバル松本〜

今年も秋に、サイトウ・キネン・フェスティバル松本が開催されます。ほぼ全プログラムが発表になり、私も今度ばかりは行きたいなと思うものがいくつかあります。

そんな中で、私は以前からおもっていることがあります。会場のうちのひとつに、岡谷市のカノラホールがあるのですが、このホールはアマチュアオーケストラ諏訪交響楽団の本拠地でもあります。

つまり、岡谷市というのは諏訪地方の一角であるわけなのです。そして、今年はその諏訪地方の一大イベントは、サイトウ・キネン・フェスティバルではなくなんといっても御柱なのです。

岡谷市諏訪大社のうち下社の地域に当たり、今年は一年中御柱で各家庭は大変です。え、もう御柱は終わっているでしょ?という、ア・ナ・タ。まだ終わっていないのです。これから、小宮の御柱が始まるのです。

実は、諏訪地方を旅しますとわかるのですが、どんな御社にも御柱が立っています。その御社がある地域は、これからその御社の御柱があるというわけなのです。岡谷市も例外ではありません。そして、その小宮の御柱は秋まで続く、一大イベントなのです。

そう、諏訪大社だけが御柱ではないのです。本当の地元の人の信仰による、地元の人のための御柱がこれから始まるのです。それが終わるのが、クラシックで言えば新シーズンが始まる秋なのです。

サイトウ・キネン・フェスティバル松本はそんな時期に行われる音楽祭である、ということだけは知っておいたほうがよろしいと思います。そういう意味では、私は御柱の年にはできれば必ずベートーヴェンの第九を演奏して欲しいのです。

御柱は決して上社下社で分かれていてそれぞれの地域が協力しないというものではありません。5月の里引きでも、下社の地域から参加している人たちが大勢いました。上社下社など関係ないのです。どちらも諏訪大社御柱であることには変わりありません。

もともと、諏訪大社はひとつでした。それが大和時代から奈良時代にかけて、中央政権との争いに敗れ、分割されたのが今の姿です。正確には、もともと上社があって、その後下社が強制的に作られた、という形ですが・・・・・

それを諏訪の人たちはよく知っています。だからこそ、諏訪大社はひとつと考えるわけです。たとえ4つに別れようとも、諏訪大社には変わりありません。

だからこそ、相互に協力し合います。今回曳いた本宮一の御柱でも、下社の方と上社の方の会話が聞こえてきました。

「私これ(筆者註:上社本宮一の御柱)ひくからさ、あんたも下社は引くんだよ。うち、あんたのために駐車場あけて待ってるから」

そういっている人は下社の地域の方だとすぐわかりました。これが、御柱の本当の姿です。私は上社だから、私は下社だから、お互い関係ないなんてことはありません。

これは、第九の歌詞そのものです。

喜びよ、神々の麗しい輝きよ!
楽園の娘らよ!
われらはみな、感動に酔い、
天の高みの神殿に踏み入ろう!

この世に厳しく引き裂かれたものらを
神秘なる御身の力、ふたたび結び合わせる
御身のやさしい翼の憩うところ
全てのものは同胞となる

大いなる天の接吻をうけた者らよ、
真実の友情を勝ち得た者らよ、
女の優しい愛を得た者らよ、
喜びの歌を、ともに歌え!

しかり、たとえ、ただ一人の魂でさえも
地上の友と呼べるものを持つことができるならば!
だが、それさえ持つことのできなかった者は、
涙しつつ、足音をしのばせ、立ち去るがよい!

この精神を片時も忘れない、諏訪の人たちに敬意を表し、御柱の年でも開催させていただける喜びを表すために、今年はもう難しいでしょうが、次の御柱のときでも結構です。実現していただけると、諏訪の人間の血が入っている私としては、ありがたいなと思います。