かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

想い:アーティストを上手にさせる智慧

先日、御柱に行ってきたわけですが、実は木遣り歌には面白い「現象」があります。

それは、ソリストが下手ですと引き手は引かないのです。これは事実です。

実際、私も里引きは数回、そして山出しは今回初めて参加しましたが、下手なソリストが何度「お願いだ〜♪」と歌っても、引き手は「ヨイサ、ヨイサ」の掛け声だけで終わってしまいます。

ところが、上手なソリストが歌うと状況は一変します。ヨイサ、ヨイサの掛け声のもと、進軍ラッパの号令でいっせいに綱が引かれ始めるのです。

完全なお祭りで、昔は酒が入って喧嘩も当たり前だった御柱で、実は引き手はシビアにソリストを見極めています。下手なソリストの下でなんて引くもんか!と思っているわけです。

それを完全に見ることができたのが、本宮一の御柱の「木落とし」です。責任ある柱であるだけに時間を守ることが要求されましたが、それに間に合うよう、木遣り歌が歌われていきます。下手なソリストの下では柱はピクリとも動きません。しかし、上手なソリストですと一気に動き始めます。

最近は、御柱NHKが全国放送するようになりましたから木落としを見たことがあるという方も多いかと思いますが、それでも木遣り歌は端折られることが多いのです。

実際は、数名のソリストが必ず曳行に同行し、その実力次第で動く、動かないが決まるというのは当たり前です。私も山出しで何度もその場面に遭遇しました。

この点は私はNHKの放送には多少不満を持っています。地元ケーブル局LCVは、木遣り歌もきちんと放送しています。できればDVDでご確認願えればと思います(LCVが販売をしています)。

なぜなら、木遣り歌こそ、御柱を動かす原動力だからです。一応、紹介だけはされますが、動く際には必ず上手な木遣り歌が歌われています。できれば、実際に見に行かれますと良いかと思います。上手な木遣り歌と下手な木遣り歌では、どれだけ違うのか。

私は参加していて、アーティストを上手にする智慧が、御柱にはあると感じました。直接下手だといえば角が立ちます。しかし、歌っても動かないよ、というのが下手な証拠であれば、本人は精進するはずです。すぐ上手になれるはずがありません。上手な人のまねをしながら、そこに個性を入れつつ精進するしかありません。いつか、自分の木遣り歌で御柱が動くことを夢見て。

最近、うまい下手を直接いう風潮がありますが、御柱には良い日本人の智慧がたくさん詰まっているなと感じました。アーティストを上手にさせるそこには智慧があり、それが祭りを盛り上げている。

クラシックにも、充分通じる智慧だと思います。