今回の県立図書館所蔵CDは、マーラーの交響曲第8番と第10番です。指揮はレナード・バーンスタイン、演奏はウィーン・フィルハーモニー管弦楽団他です。
本当はこれこそインバルで欲しかったのですが・・・・・それを覆してバーンスタインという選択をしたのは、実はその前に聴いた「大地の歌」にありました。それがとてもよかったので、指揮者にあまりこだわる必要がないかなと思い、この音源を選びました。
実際、図書館には8番でインバルがありませんし・・・・・それを買う、となると2枚組みになるのは明らかだったので、金銭的な理由から、大地の歌の結果を信じて借りた一枚です。
その結果は、大正解でした。ウィーン・フィルの芳醇な響きは、どちらの曲でも全く問題なく、いわゆる崩壊しそうでしないマーラーを、きっちりと聴かせてくれるものだったのです。
ただ、10番はそのすばらしい演奏ゆえに、「マーラーさん、あなた随分と遠くへ来てしまいましたね」といいたいです。既に現代音楽に片足を突っ込んいるその音楽は、崩壊しかけているのではなく既に半分崩壊している、という感覚で、後期ロマン派と現代音楽が同居している、という感じです。
なるほど、これがやがて「カルミナ・ブラーナ」へとつながってゆくんだなと思います。つまり、10番であまりにもマーラーはメロディを壊してしまったんですね。そのくせ、残してもいます。その分、中途半端な面は否めません。ですから、メロディがわかりやすく、リズムに重きを持つカルミナ・ブラーナのような音楽も一方で生まれた、と。
でも、音楽自体はまるで天空からの音楽のようにやわらかく降り注ぎます。それは確実にリヒャルト・シュトラウスに受け継がれてゆきます。
この音源を借りるきっかけになった同時鑑賞会で聴いた第8番のときに、一つの宗教観だ、あるいは宇宙だという意見が飛び交いましたが、まさしくこの10番ほどそれを感じるものはありません。神なき時代の宗教音楽というべきかもしれません。
厭世観も感じるのですが、それだけではない、何かを感じるわけです。もっと何かを志向している・・・・・でも、それが何かはわからない。でも、私たちをやさしく包んでゆきます。それをウィーン・フィルのまたすばらしいアンサンブルが輪をかけてやさしいものにしています。
第8番はまさしく同時鑑賞会で出た上記の意見に納得できるものでした。ウィーン・フィルというのがまたそれをよく表現していると思います。録音としては1970年代なので決してデジタル録音ではないのですが、それを全く感じさせません。マスタリングがすばらしいのだと思います。
タッチもとてもやさしく、かといって金管はきっちりとマーラーらしい「いきなり出てくる」感じをよく表現しています。このあたりが、さすがウィーン・フィルだと思います。
実は、これも高校時代最初に買うときに候補にあがった曲でした。でも、私は5番を買ってしまった・・・・・恐らく、彼の交響曲の中で、5番はちょうど過渡期の音楽だったのだと思います。ですから、最初聴いたときには何がなんだかわからなかったのだと思います。その後聴く1番と2番、そして同時鑑賞会後にはまった6番以降を考えますと、どう考えましても、5番というのはすばらしいが、彼の作品の中では過渡期の作品であると位置づけることができるかと思います。
そうすると、アルマ・マーラーが言ったこの言葉が妙に納得できるのです。
「5番で新たなマーラーが始まります」
これは、実は5番の解説書で引用していた彼女の言葉なのですが、今までその意味がわかりませんでした。今になってようやく、その意味がわかったような気がします。
やはり、作曲家がいくつか残している作品というのは、なるべく全部聴かないとだめだなあと思います。
聴いている音源
グスタフ・マーラー作曲
交響曲第8番・第10番
マーガレット・プライス、ユディス・ブレゲン、ゲルティ・ツォイマー(ソプラノ)
トルデリーゼ・シュミット、アグネス・バルツァ(アルト)
ケネス・リーゲル(テノール)
ヘルマン・プライ(バス)
ウィーン合唱協会
ウィーン少年合唱団
ウィーン国立歌劇場合唱団
ルドルフ・ショルツ(オルガン)
レナード・バーンスタイン指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団