かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

想い:野球もクラシックも同じ

先月、元読売ジャイアンツ桑田真澄氏が早稲田大学大学院を卒業されました。

素直に、おめでとうございますとお喜び申し上げます。

彼は、私が好きな選手の一人でした。現在ベイスターズファンである私はかつては巨人ファン。そのときに一番好きな選手の一人でした。

彼の野球哲学は、一見すると野球に関係ない部分に関連性を見つけ、それを取り入れようと努力する姿勢です。

呼吸法や古武術など、現役時代をしる元選手からはさまざまな証言が語られ、また私もニュースなどで見たことがあります。

そんな中、卒業したら何をやりたいかと聞かれて、彼は即「お米を育て、ワインも造りたい」と発言しました。なぜか?「全て野球も一緒ですから。」

さすが桑田と思いました。農業はいいものを作るには手間がかかります。そして、忍耐も必要です。それは野球でも同じことが言えるかと思うからです。

例えば、昨年の原巨人。入団時から使い続けている坂本、そして育成枠からレギュラーを取った松本など、原監督が我慢して育て上げた選手が日本一に貢献しました。それだけではありません。WBCで世界一になることにも貢献しています。そのひとりが亀井です。

それを考えますと、桑田が言いたいことはよくわかります。

実は、クラシックでも全く一緒なのです。若い人をじっくりしっかりと育てれば、必ずそれは大輪の花を咲かせます。でも、そのためには私たちファンの育てる気概と忍耐が必要になります。

その格好の舞台がリサイタルであり、または室内楽のサロンやコンサートなのです。私も含め、そこへの投資が決定的に抜け落ちていることは、非常に恥ずかしいことだと思います。

なぜそれが有効なのか、それは野球で言えば基礎を鍛える場所であり、または練習試合と同じ意味合いを持つからです。リサイタルやコンサートはじかにお客様からの反応が返ってきます。たとえ拍手をしていても、いろんな仕草や表情でそれをうかがいしることは充分可能です。また、室内楽のアンサンブルは他流試合といってもよく、初めての相手とどうコミュニケーションをとるのかという訓練の場になります。

さらに初めての相手とする音楽を他の人が直に聴くわけで、反応が即返ってきます。それは時として厳しいものになることもあります。ヨーロッパではそういう場をいろんな人が自ら身銭を切って提供してきた歴史があります。それが個人だったり、国家だったりしただけです。

それと同じことを、桑田は野球において違ったかたちをつかってやろうとしています。論文の内容は明らかではありませんが、常々同じようなことを桑田はいろんな場所で「野球に恩返しをする」という言い方で表してきました。

もし、桑田がクラシックで関わるとしたら、どのような形を考えるのか、尋ねてみたい気がします。恐らく、後ろ向きな姿勢はそこには微塵もないはずです。

少なくとも、彼は解説をするとき、ほとんど選手の批判をしないということだけは、申し添えておきたいと思います。