かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買い物:バッハ カンタータ全曲演奏シリーズ32

今月買ったCDをご紹介する「今月のお買い物」、今回は毎度おなじみのバッハ・コレギウム・ジャパンのバッハカンタータ全曲演奏シリーズです。今回はその第32集となります。

このCDから、1725年に作曲されたカンタータになります。しかも、BWVで連番というのも実に珍しい選曲だと思います。

収録されているのは以下の4曲になります。

カンタータ第111番「我が父の御心のままに常にならせたまえ」BWV111
カンタータ第123番「いと尊きインヌマエル、虔しき(ただしき)者らを率いたもう君侯(きみ)」BWV123
カンタータ第124番「我がイエスをば、われは放さず」BWV124
カンタータ第125番「平安と歓喜もて われはいく」BWV125

カンタータの邦題は「バッハ事典」(東京書籍)によりました。今回、購入できたのが輸入盤だったからです。一応、CDDBではデータが来ていますが、今回は一応事典の訳に従いました。

例えば、第111番はCDDBでは「わが神のみこころが、常に成就しますように」となっていて、実はその方が理解しやすいのですが、通常のコンポで聴く場合にはそんなデータは出てきませんから、一応パソコンで聴かない人を基準に邦題を提示させていただきました。

実際に第123番から第125番までは続いて作曲されているのですが、それを取上げるというのもBCJでは珍しい構成です。この4曲が作曲された時期には勿論他にも作曲されていますが、それは恐らく次のアルバムで取上げられていると考えています。どうしても収録時間の関係がありますから。

このアルバムでさえ、合計時間は74分をわずかに28秒オーバーしています。BCJであれば74分超えなどはかなり当たり前ではありますが、それでもこの構成になったのは鈴木氏の意図と収録時間の関係によるものだと思います。

今回も、内容的にはキリスト教、特にプロテスタントの根幹に関わるものが多く、聴き手をあきさせませんし、また考えさせられるものばかりです。私は実際キリスト者ではなくむしろ仏教徒、あるいは神道だと思っていますが、それでも考えさせられる内容ばかりです。特に、1725年の新年に書かれた123番から125番の3曲は、私に生きるとは、死ぬとはと考えさせてくれます。

特に、第124番は原コラールがザクセン選帝侯ヨーハン・ゲオルグの臨終の言葉に由来するだけあって、自分の生と死をどうしても考えてしまいます。また、123番は為政者というもののあるべき姿というのも考えさせられます。

それにしても、今回は忙しかったですね〜。何と、このCDを買ったのは実は一昨日なんです。いつもはもう少し時間に余裕を持ってご紹介するのですが、図書館へ借りに行く関係があり、どうしても忙しい日程となりました。原稿を書き溜めていなかったら、一体どうなったことか・・・・・

ただ、今回は2枚だけとなりましたので、もう一枚は少し時間的な余裕を持ってご紹介できるかと思います。勿論、そのもう一枚はベートーヴェンですが・・・・・・

今回はそういう意味ではかなり古典派とバロックに偏向しています。ただ、なるべくその穴を埋めるのに図書館を有効活用していきたいなと思っています。例えば、ショスタコーヴィッチの交響曲は図書館で借りるとか・・・・・まだ借りると決めたわけではありませんが、実際食指が動きつつあるのは事実です。

バッハを聴きますと、以外にもショスタコなんかも聴きたくなるのが、不思議ですね〜。まあ、今回はショスタコは借りていないんですが・・・・・・

とにかく、購入するのは図書館にないもの、と決めているのであるものはどんなに有名な演奏家のほうがよかろうが、図書館にあるものを借りることにしていますので、当分買うのはBCJばかりになりそうです。でも、毎回聴いて思うのは、それだけお金を出しても全く損はないなということです。これだけ考えさせられる演奏も、そうはありません。

自分は、仏教徒として、あるいは神道を信ずるものとして、鈴木氏のようにできるだろうか・・・・・・そんなことばかり考えています。



聴いているCD
バッハ カンタータ全曲演奏シリーズ32
野々下由香里(ソプラノ)
ロビン・ブレイズ(カウンター・テナー)
アンドレアス・ヴェラー(テノール
ペーター・コーイ(バス)
鈴木雅明指揮
バッハ・コレギウム・ジャパン
(BIS SACD-1501)