金曜日の「友人提供音源」、今回は私をものすごい世界へと連れて行った一枚をご紹介します。2001年4月29日の演奏で、指揮はニコラウス・アーノンクール、オケはベルリン・フィルです。
モーツァルトのディヴェルティメントとハイドンの交響曲がメインで、特にその二つが私に影響を与えました。
モーツァルトは「音楽の冗談」K.522。編成としてはディヴェルティメントの一つに数えられます。これが、私に衝撃を与えました。ものすごい音楽・・・・・
一言で言えば、パロディです。下手な音楽家の演奏や作曲家の手法を笑い飛ばすというもの。構造的にはしっかりとしていますが、内容はものすごいです。以下にも小学生が作曲したのではないかという音形や、ひっくり返りそうなホルン、繰り返しのようなコーダ・・・・・何度聴きましても抱腹絶倒です。
それが、またベルリン・フィルの演奏がすばらしいのです。アンサンブルのすばらしさもさることながら、音楽自体が持つ「壊れ具合」の表現が絶妙なのです。本当は携帯に入れておきたいくらいですが、人前で一人で腹を抱えるほど笑っているのもまた変ですので・・・・・
それくらい、壊れているのです。それがすばらしいのです。いやあ、これはもう一度聴いてみればわかるのですが、その壊れ方がたまりません。
会場の聴衆もやんややんや。ブラヴォー!の嵐。私もそこにいれば終わった瞬間同様に叫んでいたでしょう。高い技術を持つベルリン・フィルだからこその名演かと思います。
実際、この曲をきちんと演奏することは難しいのではと思います。実際、私はべつにCDをもっていますが、それより断然こちらのほうが好きです。アンサンブルとアインザッツのすばらしさと、それが故の絶妙な壊れ方。他の追随を寄せ付けないのではと思います。
その一方で、その次の歌曲の美しさ・・・・・同じ作曲家なのです。信じられません。ですが、この演奏をして私をもっとモーツァルトが聴きたいという気持ちにさせたのも事実で、その後交響曲やピアノ協奏曲も全曲集めることへとつながってゆきます。それと、トンでもないCDを買うことへとも・・・・・それについては、別の機会にお話しすることもありましょう。
ちょうどその中間に挟まっているベートーヴェンの歌曲は、またこれがすばらしく、今ふたたび聴いてみますと、彼の歌曲ももっと聴きたいと思います。彼の歌曲はオペラが1曲しかない関係でモーツァルトほどはありませんが、しかしながら音楽劇のようなものはたくさん残していますので、それに関係する歌曲は数多く残されています。
そして、ハイドンです。交響曲第82番「熊」。ベルリン・フィルの演奏技術の高さを誇る演奏といっていいと思います。速いパッセージでも一つ一つの音が聞こえてくる確実さ。一見すると軽薄に聴こえてしまうハイドンを何と魅力的に演奏していることでしょう。この演奏こそ、私を彼の交響曲の森へと導いていったものです。この演奏に出会っていなかったら、多分私はハイドンの交響曲を全曲集めたいとは思わなかったでしょう。
ハイドンのすばらしい世界を垣間見させてくれています。確かに精神性という点ではそれほどでもないかもしれません。しかしながらこのCDに収められている演奏のうち、高い精神性と言っていいのは最後のバッハだけで、それ以外はそれほど高い精神性と言えるようなものはありません。ベートーヴェンもです。しかしながら、ではくだらないのかといえばそれも違います。
ここには、ヨーロッパの「パロディ文化」が顔を覗かせています。単なるお笑いではなく、そこから何か新しいものを生み出そうという、むしろ前向きな姿勢が見てとれます。モーツァルトにしても、ある意味どうしようもない人たちを「仕方ないよね〜」って笑い飛ばしているのですが、調性的に長調(主調はヘ長調)を使っている点からも、決して嘆いているのではないのがよくわかります。
欧米人も私たちと同じように笑い飛ばしもするし、苦労もしている・・・・・そんな背景すら見えてくる名演です。
ただ、私がそれを理解するまで、数年を要しました。それがわかるヨーロッパの聴衆・・・・・
まだまだ私は不勉強であると実感させられた一枚です。
聴いているCD
アーノンクール、ベルリンフィル、2001年4月29日
ニコラウス・アーノンクール指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団他
(友人提供のCD−R。確か、FM音源だったと思います)