かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

モーツァルト ミサ曲ハ短調K.139(47a)「孤児院ミサ」

モーツァルトのミサ曲を取上げるシリーズの第2回目は、K.139「孤児院ミサ」です。

孤児院のために書かれたのではなく、ウィーンの孤児院教会のために書いた曲です。ですので、障害者とかそういうことと直接関係があるのではありません。

いきなりケッヘル番号があがりました。しかし、モーツァルトはそれほどケッヘル番号が乱れているわけではないので、通常はケッヘル番号が若い順に古いのですが・・・・・

この曲は139というケッヘル番号が与えられているにも関わらず、扱いは第2曲目のミサ曲です。ただ、それには理由がありまして・・・・・

この曲の特に和音進行的に、転調がすばらい点があります。それをもってもう少し後のザルツブルク時代のミサ曲として扱われていた時代があるのです。しかし、新全集では史料と楽譜の紙の科学的研究から1760年代後半とはじき出し、1768年に演奏された「孤児院ミサ」であるとして第2曲目のミサ曲としたのです。

ただ、それには様式的な観点から反論もありますが、私は逆に様式的な観点から新全集を擁護します。それは、「こんな長い曲をコロレドが許すわけない」ということです。

この後のミサ曲で詳しいことは触れますが、モーツァルトはこの曲を作曲した後ザルツブルクへ帰りますが、ザルツブルクではコロレド神父の要請で30分以内で収まる曲にする必要がありました。で、孤児院ミサは45分はかかる大曲なのです。実際、この曲はカテゴリ分けでは「ミサ・ソレムニス」です。

そんな長い曲、コロレド神父の好みではありません。ミサに時間制限を設けた人ですから、45分などという長い曲を許可するわけがないのです。

勿論、人がすることですから絶対はないわけですが、それでもその後作曲された曲の長さを考えますと、どう考えても私はこの曲をコロレド神父が許したとは思えないのです。

しかし、様式的には確かにモーツァルト初期の、まだハイドンやバッハと言った作曲家の様式の強い影響下にあります。そうしますと、時期的に合うのは、1760年代にウィーンに行ったときとしか考えられないのです。

ですから、私としましては、新全集の判断を支持したいと思います。よほど決定的な史料が見つからない限り、私は新全集の判断は正しいと思います。

この曲の長さに匹敵する曲はレクイエムや大ミサハ短調位のもので、いずれも後にウィーンに出た時代に作曲されたものです。そう考えますと、どう考えてもザルツブルクの制約がある条件下で作曲されたとは考えにくいのです。

そんな観点から聴いて見ますと、とてもモーツァルト若書きとは思えません。充分しっかりとしたミサ曲ですし、それにとても実用的です。これはこの時代のミサ曲に基本的に言えることなのですが、ミサ曲は実用音楽です。つまり、実際にミサで使うために作曲されている、ということです。それは、この曲が細切れの構成になっていることからも明らかです。

例えば、孤児院ミサとバッハの「ミサ曲ロ短調」を聴き比べてみればすぐわかります。基本的に、ミサ曲は以下の6曲からなります。

・キリエ
・グローリア
クレド
・サンクトゥス
ベネディクトゥス
・アニュス・デイ

その一つ一つが細切れになっていて、間にミサのいろんな行事をさしはさめるようになっているのです。

しかし、その後のミサ曲は基本的にひとつの曲は完全に連続しており、それは本来ミサ・ブレヴィスの形式なのですが、ミサ・ソレムニスの形式でも同じになります。それを再度崩したのは、ベートーヴェンのあの「ミサ・ソレムニス」になります(正確にはベートーヴェンも細切れにはしていませんが)。

この形式から考えても、基本的にザルツブルク時代の作品とは考えられないのです。

私が聴いている、ノイマン/コレギウム・カルトゥジアヌムとアーノンクール/ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスどちらの演奏ともその解釈にそれほど差はなく、しかもトラック割りに忠実にリッピングしてみますと、いわゆるつなげなくてはいけないトラックがなく、それは各トラックが完全に独立していることを示しています。

そのことからいいましても、ザルツブルク時代ではありえない、と私は思います。

特に、クレドの「十字架に貼り付けられ」という場面の短調は見事です。しかし、それでも例えばもっと後の戴冠ミサとかと比べますとその転調の差は歴然です。

しかし、後年のすばらしい転調の萌芽は表れていて、45分があっという間に過ぎていきます。

ノイマン/コレギウム・カルトゥジアヌムのCDでは史料通りK.117のオッフェルトリウムがさしはさんであり、初演の様子をうかがい知ることができます。ただ、演奏が初演どおりかどうかまでははっきりとは言えませんが・・・・・こればかりは、できればモダンでも演奏が欲しいところです。