かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今日の一枚:バッハ カンタータ全曲演奏シリーズ26

さて、今日はまたその月に私が買ってきたCDをご紹介するシリーズ「今日の一枚」です。今回は毎度おなじみのBCJのバッハ・カンタータ全曲演奏シリーズの26集です。

今回、収録されているのは次の3曲です。いずれもコラールカンタータです。

カンタータ第180番「装いせよ、おお、わが魂よ」BWV180
カンタータ第122番「新たに生まれし嬰児」BWV122
カンタータ第96番「主キリスト、神の独り子」BWV96

全体的には、メッセージ性は薄く、神と信仰を賛美する内容です。

�@カンタータ第180番「装いせよ、おお、わが魂よ」BWV180
初演は1724年10月22日で、内容的には人間の内面を問うているものです。王子の晩餐会に招待客が来ず、人数あわせで集められた人たちばかりで中にはふさわしくない装いの人がいることから喩えて、私たちは装いに関わらず、聖なるものに招かれたら魂をふさわしい装いにしましょう、という音楽です。

音楽自体はとても美しくかつ明るく、晩餐会に招かれた喜びを表しています。

服装だけきちんとしてもだめである。問題は、その内面であると問うているのですね。

�Aカンタータ第122番「新たに生まれし嬰児」BWV122
嬰児。「みどりご」と読みます。意味は、生まれたばかりの子供で、いわゆる赤ちゃんのこと。嬰児はキリストを意味します。初演は1724年12月31日で、この曲はクリスマスから続くキリストの誕生とその後の新たなる年を祝う曲です。

祝う、といっても曲自体はとても厳粛で、特に第2曲目は罪を重ねる人たちへの呼びかけとなっており、単にキリストの誕生を祝うという単純な内容ではありません。このあたり、プロテスタントのバッハらしいところです。

一年間の人間の罪の許しを請い願う内容です。ある意味、私たちが一年間の反省をして、新たな気持ちで神社へ参拝に行くのに似ていますね。

�Bカンタータ第96番「主キリスト、神の独り子」BWV96
初演は1724年10月8日です。ほぼ10年サイクルで再演もなされていて、かなり実用的な曲であることがわかります。まあ、どのカンタータもそうなんですけどね。

基本的に、BWVのナンバーで200番までがカンタータに割り当てられているのですが、これはあくまでも日曜礼拝で使ったという実用に関してであり、「コーヒー・カンタータ」などのいわゆる「世俗カンタータ」は別に番号が振られていて、こちらはほぼある一回の目的のために作曲されたと考えられています。

つまり、バッハのカンタータは必ず複数回の演奏を年頭に入れて作曲されており、実際に演奏の度に変更されている曲も数多くあります。

今回は輸入盤を聴いていますが、国内盤があればできればそちらをお勧めします(もう、図書館ぐらいにしかないでしょうが)。指揮者の鈴木雅明氏が必ず版の解説をされています(輸入盤でもあるのですが、英語なので読みにくい・・・・・読めたり話せたりできる人は、挑戦してみてください)。バッハのカンタータは版の問題は演奏する場合、ごく普通の問題です。

まあ、それくらい演奏されていた、という証でもあるのですが・・・・・

で、この曲は最初とても祝祭的に始まります。第122番などよりもはるかに祝祭的で明るいです。題名の内容どおりストレートな賛美の曲です。でも、温かく、癒される曲でもあります。



今回は全体的に癒されるだけでなく、凛としたものも感じられ、聴いていて楽しいだけでなく、非常に考えさせられる内容でした。

聴いているCD
バッハ カンタータ全曲演奏シリーズ26
鈴木雅明指揮
バッハ・コレギウム・ジャパン
(BIS-CD-1401)