かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

モーツァルト ピアノ協奏曲第17番ト長調K.453

今日は、モーツァルトのピアノ協奏曲第17番です。この曲は第15番と共に、愛弟子であるバルバラ・フォン・ブロイヤー嬢のために書かれています。

第15番はそんな感じも受けるのですが、この第17番はさらに堂々としていて、単に個人演奏会だけのためにかかれたように思えません。木管楽器の効果的な用法だけでなく、やはりすばらしいのは独奏ピアノなのです。

ピアノだけは確かにそれまでの技巧的な路線から一線を画し、メロディーがやさしいものになっています。でも、そこであきさせないのがモーツァルトです。第1楽章、独奏ピアノが入るまでのオケ、そしてピアノの入り方、とても印象的です。

そういう意味では、第16番から始まるシンフォニックな路線はきちんと踏襲されています。そのうえ、それはさらに磨きがかけられています。

この曲も、ともすれば彼のピアノ協奏曲の中では埋もれてしまいそうな曲ですが、私は非常に重要な曲であると思います。

聴きながら毎度書いているわけなのですが、この曲の本当のすごさは、恐らく聞き流しているうちに楽しい気分になることなのではないかと思います。例えば、普通に他のジャンルの曲をラジオから聴きながら、洗濯物を干している・・・・・なんか、今日は天気もいいし、すがすがしいな、なんて・・・・・

そんな気分になるのが、この曲なのです。それが、この曲の本当の実力なのではないかと思います。

モーツァルト自身とてもこの曲は気に入っていたようで、これは私とブロイヤー嬢だけのものであるという書簡も残っています。それはまさしく、上記の点をねらったものと私は推測しています。めまぐるしく転調していくという緊張感が無い一方、どこまでも穏やかで、すがすがしいのです。でも、少しは陰影があったり・・・・・

そこに、モーツァルトがこの曲にこめた気持ちが表れているようで、とても私は気に入っています。弟子に対する愛情のようなものを感じます。いや、相手が女性だったからでしょ?といわれればそれはあるとは思いますが^^;

しかし、それほど鼻の下を伸ばして作った曲のようには私には聴こえません。それは第3楽章を聴きますとよくわかります。明るくすがすがしい曲がそこにはあります。第1楽章よりもそれは顕著です。芳醇な香りすらあります。一部、第20番や第24番を彷彿とさせる部分すらあります。それを聴きますと、やはり弟子のためにまじめに書いた曲であると思います。

本当にふざけた曲のCDを私はもっていますが、それを聴きますと・・・・・いやあ、ここでは書けません。どんなものかご想像にお任せします。そんな部分は一切この曲にはありません。弟子を立てて立ててたてまくっています。しかもそれが嫌味じゃない。

そこに、映画「アマデウス」で見られるようなモーツァルトとは別の顔を見るのです。