かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

モーツァルト ピアノ協奏曲第8番ハ長調K.246

今日はモーツァルトのピアノ協奏曲第8番です。この曲からソナタ形式の繰り返しなどがしっかりとなされるようになってきます。

また、音楽的にもより深いものになっていて、単なる明るい曲では収まらなくなってきます。まだ雰囲気的にはサロン的なものが残っていますが、しかしそれがまた楽しい部分でもあるので、その雰囲気が一概にだめとは言えないのですね。

そこがモーツァルトを聴く楽しみであったりします。

今日も聴いているのはモダンのぺライア指揮・ピアノ、イギリス室内管弦楽団です。勿論、この演奏にこだわることはないと思います。私は金欠で図書館で借りたのがたまたまコレであっただけで、聴くならどのCDでもモーツァルトは当たりはずれがすくないと思います。特に、このひとけた台は・・・・・

内容的にも、ほぼ急・緩・急という形が出来上がっていますし、各楽章の形式も整ってきています。完成度という点からはベートーヴェンと比べますと物足りなさを感じるかもしれません。しかし、頭の中を空っぽにして聴いてみますと、その音楽がもつ不思議な力に導かれてゆくと思います。この曲もそんな曲です。

まず、第1楽章のユニゾン。これがとても印象的です。そして、ピアノの入り方。オケの後にすかさず入ってくるところなど、特に第1楽章は聴き所満載です。

この曲も初演の様子はよくわかっていませんが、ただ演奏の記録自体が残っているため、ピリオド楽器でもそう違和感なく聴ける曲です。それでも、やはりモダンと比べますと、どうも・・・・・

私はそれだけ、モーツァルトは才能ある人だったと思っています。モーツァルトが天才であることは確かなのですが、その天才ぶりをそのようなところに感じるのです。

よく、ピアノに関してはベートーヴェンのほうがその楽器が持つ能力以上の作品を生み出しているといわれていますが、私はそれはモーツァルトも一緒なのではなかったのかと思うのです。特に、この8番あたりからそれを強烈に感じます。

この作品からモーツァルト自身のカデンツァになります。そういう点からも、彼の自信といったものを感じます。転調もより深くなりますし、形と言う点ではまだ前代を引きずってはいますが、整ってきている点からも彼の「自立心」というものを感じるのです。

青年モーツァルトの、自我の目覚めがだんだんおきている、そんな気すら私には感じられます。ひと桁台の作品は、そのような楽しみにあふれています。