かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今日の一枚:ハンス・ロット 交響曲第1番

今回と次回と、ロットとラフという二人の作曲家を取上げます。ラフは既にこのシリーズで取上げていますから、このブログを読まれていらっしゃる方は知っているとは思いますが、ロットはあまり知られていない作曲家だと思います。

ラフの時もそうでしたが、私がロットという作曲家を知ったのは、mixiのマイミクさんであるさんようさん主催の同時鑑賞会ででした。ある回の演目が、この交響曲第1番だったのです。

そのときから、CDが欲しいと思ってきました。そして先月、その念願がかなって購入することができました。なんと、1000円。安すぎないか・・・・・

もちろん、もっと高い盤もあります。しかし、私がこの盤にしたのは単に値段ではありません。交響曲第1番だけでなく、管弦楽曲が2曲収録されていたからです。管弦楽のための前奏曲と、「ジュリアス・シーザー」への前奏曲の二つです。

そもそも、ロットが残した曲はわずかです。けれども、作曲は意外と多くなされました。その理由を書こうとすれば、限りなくこのブログは長くなってしまいます。簡単に言えば、彼は薄幸な人生だったのです。才能はあふれるほどあり、天才と呼ばれた人物です。特に、ブルックナーが目をかけた生徒で、ブルックナーは手放しにこう賞賛しています。

「諸君、笑うのはよしたまえ。君たちは今後この人物が創り出すすばらしい音楽を聴くことになるのだから。」(1878年

しかし、コンクールで落選してから、彼の転落の人生が始まります。最終的には発狂し、精神病院に入れられます。その途中で多くの作品が彼自身によって破棄されてしまいます。

そして結核にかかり、精神病院で亡くなります。わずか26歳でした。

私はこの曲を聴いたときに、ピン!と来るものを感じました。多分、そのはつらつとした音楽に対してだと思うのですが。その上、神々しさも感じます。さすがに先生ブルックナーには及びませんが、しかし、ストイックな部分をしっかりと感じるのです。

第1楽章はエデンの東を彷彿とさせるような主題で始まります。しかしそのテンポ指示記号はAlla breve。暗いのかなと一瞬思いますが、それがぜんぜんそうではないのです

面白いのは、イタリア語はこの第1楽章だけであり、その後第2楽章から第4楽章まではドイツ語でテンポ指示を出しているのです。このあたりは、先生ブルックナーを多分に意識していますね。

このGWはすっかり私はブルックナー漬けでした。上記であげました同時鑑賞会にて、ブルックナー・マラソンが開催されたからです。そのためもあり、ロットとの比較が非常に良くできます。そして、何となくですが、ロットが目指した作曲の方向性というものを感じるのです。それは、多分マーラーが切り開いた方向で間違っていないように思います。勿論、マーラーとまったく同じになろうはずはなかったでしょうが。

マーラーはロットの死後、明らかにロットの死は「音楽がこうむった損失」と述べています。その後、マーラーはロット・アンソロジーとも取れる内容を初期交響曲に入れ込んでいるように私には聴こえるのです。特に、マーラーの「巨人」に・・・・・

ロットのこの交響曲第1番の第3楽章は、まるでマーラーの巨人を彷彿とさせます。マーラー交響曲第1番「巨人」の第2楽章そっくりのフレーズが出てきます。もちろん、作曲年代はロットのほうが先です。

では、私はマーラーとどちらが好みなのかといわれれば、その判定は難しいです・・・・・マーラー交響曲でも大学時代に買った中に、5番と1番がありますが、そのほかは全て最近です。なんと20年くらいまったくマーラー交響曲は増えなかったのですが、その一方、買ってあるものは結構聴いています。特に第1番「巨人」は、DATに録音したほどです(第5番は結局、いまだmp3にもしていません)。

そう考えると、ロットの音楽に対して私が好反応したのは、たぶんにマーラーの初期交響曲が好きであると言うことと関係があったのではないかという気がするのです。

その上、今回のブルックナー・マラソンでの収穫は、意外と私はブルックナーという作曲家が好きなのだということでした。モテットだけかと思っていましたら、特に初期から中期の作品にかけてものすごい感動を受けました。今までブルックナーを聴いて(例えば、ふとつけたFMで流れているのを聴いて)も、さほど感動しなかったのです。それが、感動に打ち震えているのです。

恐らく、それは人生経験に基づくものだろうと思います。単なる重厚なものへの憧れではなく、もっと深い精神世界を知ったが故の感動だと私は思っています。そして、ロットにもわずかですがそれを感じるのです。

さらに、彼の音楽に影響を与えた人物を私が好きであると言う点も見逃せないでしょう。それは、彼を狂わせてしまった人物でもあるのですが・・・・・その名は、ブラームス

特に、第4楽章にはブラームスの影響を見て取れます。大学祝典序曲かと聴こえるフレーズ(立派なフーガがあります)があり、またブラームス交響曲と構成が似ているという点もあり、共通点を見つけるのにさほど苦労しないでしょう。しかし、どうやらそれがブラームスの機嫌を損ねたようで、それがコンクール落選の理由とも言われているほどです。実際に、評価しなかったのは事実です。

しかし、私はなんと言ってもこの曲を支持します。とてもすばらしい、素直な作品です。この曲を再評価してあげることこそ、彼への何よりの供養になるのではと言う気がするのです。

二つの前奏曲も秀作です。「管弦楽のための前奏曲」はとても温かみのある曲で、交響曲を書くための習作とも言われていますが、すでにすばらしさが前面に押し出されています。また、「『ジュリアス・シーザー』への前奏曲」はすこしワーグナーの影響がありますが、冒頭部分では交響曲第1番第1楽章のメロディーラインと見まごうフレーズもあり、関係が伺えます。メロディラインもしっかりとしていて、聴きやすい曲です。

しかしなんといっても交響曲です。彼のオーケストレーションのすばらしさを思いっきり堪能できる一枚です。

こんなすばらしい曲の初演が、作曲から約百年後のなんと1989年だったなんて、聴けば皆さん信じられないと思いますよ。ロット21歳の時の作品で、最終成立年は1880年です。


ハンス・ロット 交響曲第1番
セヴァスティアン・ヴァィグレ指揮
ミュンヘン放送管弦楽団
(アルテ・ノヴァ BVCE-38080)