かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

ベートーヴェン ピアノソナタ第8番ハ短調作品13「悲愴」

今日からベートーヴェンピアノソナタに戻りたいと思います。今日は第8番「悲愴」です。

悲愴といいますと、交響曲ではチャイコフスキーを思い浮かべますが、ベートーヴェンピアノソナタにもあるのです。

悲愴という名にふさわしく、第1楽章は「グラーヴェ」で始まります。この指示が全てを物語っているように思います。そして、この曲からだんだんベートーヴェンピアノソナタはだんだん進化を遂げていくと感じています。

グラーヴェの序奏も含め、ソナタ形式になっているあたり、この指示にかけるベートーヴェンの思いがひしひしと伝わってきます。

確かにこの曲はいかにもベートーヴェンという曲調なのですが、私が驚くのは、この時期のベートーヴェンはデビュー間もない時期で、家族を養う存在だったということです。後年、カールを育てた期間を除き、ベートーヴェンは未婚でしたから、基本的には芸術家として生きており、職人としては生きていません。しかし、この時期は職人として生きなければならない時期でもあったのに、ここまで芸術家として作品を残したと言う点です。

そう考えると、私はこの曲を聴いて涙を流さずにはいられません。どんな思いでかれは作曲していたのだろう、と。それは、彼がこの「悲愴」という標題を自らつけたことからも、非常に大事な点だと思います。

ウィキペディアで調べてみますと、なぜこの標題がつけられたのかはわかっていないそうで、それがゆえに私はどんな気持ちで作曲したのか、知りたくなります。

最近、モーツァルトのピアノ協奏曲でですが、ピアノフォルテによる演奏を聴いているのですが、実際ベートーヴェンピアノソナタピアノフォルテで演奏したら、どんな演奏になるのかに興味があります。実際、CDで出ているのは月光だけのようですが。しかし、その思いは聴けば聴くほど強くなります。

そして、この悲愴を聴きますと、もっとその思いは募ってゆきます。

第2楽章は静かな曲で、有名な部分ですが、静かであるがゆえに悲愴感が高まってゆきます。第3楽章はリズムカルになり、悲愴感は幾分少なくなりますが、その分悲しみがにじみ出る感じを受けますし、また彼独特の高貴な面を聴くことができます。

形式的には三楽章なのに、ベートーヴェンの感情がむき出しになっていて、ロマン派ピアノ書法の原点ともいわれますが、確かにこの曲あたりから曲に変化が訪れるのは間違いないと思います。

何の因果か、先日26日はベートーヴェンの命日。そして、昨日29日は実際にベートーヴェンが埋葬された日です。そして、その29日に私の母の七回忌を行いました。実際になくなりましたのは4月6日だったのですが、今年は予定がつかず、ベートーヴェンが埋葬された日に七回忌を行うことになりました。

そして、そんな時期に取上げる曲が、第8番「悲愴」とは。

これも何かの縁なのではないかと思っています。