かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:バッハ カンタータ全曲演奏シリーズ53

今月のお買いもの、今回は毎度おなじみのBCJによるバッハの教会カンタータ全曲演奏シリーズ第53集を取り上げます。

収録されているのは、収録順で第97番、第177番、第9番の3曲で、いづれも1730年代の作曲です。

この3曲には、共通点があります。それはいずれもコラール・カンタータであるということです。

そういえば、ずいぶん取り上げていませんね、という方がいらっしゃれば、脱帽です。そうです、このブログでも久しくコラール・カンタータを取り上げていません。最近、メンデルスゾーンの合唱曲では触れていますが、その程度です。

以前、バッハのカンタータの場合には、この辺でコラール・カンタータは終わっていますということでその後は取り上げていません。それは当然ですが、バッハが作曲をしていないからです。

では、なぜここで出て来るかと言えば、実は、コラール・カンタータ年巻というのは以前取り上げた段階では完成していないからです。ほとんどは出来ていたわけなのですが、詩の編者などが死去したなど、完成に至るのに必要なことが不足していたのが主な原因です。そこでバッハは、機会があった時に少しずつ埋めていくという方法を取ったのでした。そのうちの3つが、今回取り上げる3曲ということになります。

それにしても、1730年代に固め打ちで出てくるのも不思議なのですが、おそらくそれが可能になる何らかの条件がそろったのだと思います。少なくとも研究書としても一級であるブックレットには何も触れられていませんが、何かがそろったと推測することはむずかしいことではありません。

さて、コラール・カンタータと言うことになると、その「形」が重要なのですが、すべて曲数は奇数となっており、中間の曲を転回点として、鏡像になる形がコラール・カンタータの基本形であると以前説明したことがあったかと思いますが、基本、その基本形にそっています。

時代が1730年代になると、新しい音楽様式が世の中でははやっていまして、例えば、以前シュターミッツを取り上げたことがあったかと思いますが、そういった「多感様式」で作曲をする作曲家が出て来た時代でもあったため、3曲とも時代の影響を受けた音楽になっています。

が、形式的には、バッハはバロックから大きくはみ出すことはせず、コラール・カンタータの基本形を大きく崩すことをしていません。少なくとも、第177番と第9番は完全に鏡像になっています。第97番に関しては、必ずしも鏡像とは言えませんが、ほぼ鏡像に近い形を取っています。

まずその鏡像が少し崩れた第97番「わがなすすべての営みにおいて」BWV97は、1734年という年代が直筆譜に記されている以外、あまり情報がありません。学者の調査で、コラール・カンタータが多く書かれた1724年〜25年頃ではなく、やはりその年代、つまり1730年代の作曲であろうと推測されており、少なくとも1734年に演奏もしくは何らかの成立を見たということとされています。冒頭合唱がとても印象的で、しかも前奏と旋律があっていないという、歌うほうとしてはかなり難易度が高い作品です(勿論、BCJですからそれは全く問題なく演奏していますが)。

その難易度が高い冒頭合唱は、フランス様式となっており、その点も学者の間で注目されている点です。バッハがフランス様式を使う場合、何等か新たな始まりを意味することが多いのですが、この曲の場合は、教会関係の新人事ではないかと推測されています。冒頭合唱以外は実に堅実な音楽となっており、最後のコラールはそのまま。その点からも、私も学者の意見を支持したいと思います。歌詞の内容はとても深く、人間の傲慢さを手放して神に委ねようというもので、冒頭合唱が奇をてらっている反面、とても生真面目とも言うべきものです。

第2曲目の第177番「我はあなたを叫び求めん、主イエス・キリストよ」BWV177です。これは用途がはっきりとしており、三位一体後第4日曜日用です。1732年に作曲、初演されています。「叫び求める」と訳されていますが、原語ではRufとなっており、直訳すると「呼びかける」です。むしろこの訳の方が異教徒である私たちにはしっくりくるかもしれませんが、もっと切実な思いを表現するため、こういった意訳になっているようです。完全に鏡像となっているこの曲のテーマは「赦し」。私たちはどうしても他人を裁き、レッテルをはろうとしますが、レッテルを貼ることを手放し、相手を赦す勇気を、強烈に神に求める、なぜならば私たちの心はとても弱いからだ、というのがコアなテクストです。

最期の第3曲目の第9番「救いは我らに来たれり」BWV9は、1735年を中心に成立年が幾つかに説が分かれている作品です。ただ、用途は三位一体後第6日曜日用とわかっています(1724年のその日が抜けているため)。歌詞の内容が所謂プロテスタントのコアな部分、「行ないよりも信仰」というものであるためか、普通レチタティーヴォテノールが多いのですがこの曲ではすべてバスとなっています。それはイエスを彷彿とさせるというか、この曲では明らかにばすはイエスの役割を担っています。ブックレットではそこまで踏み込んだ説明をしていませんが、通常カンタータではバスはイエスの役割を担うことが多いことから、私は言い切りたいと思います。

演奏は、前回の第52集にあったような、肩に力が入ったものは一切なく、BCJのメンバーが震災後落ち着いている様子が手に取るようにわかります。伸びやかな合唱はいつも通りですし、軽めの演奏がかえってリズミカルでありそれ故緊張感すら漂わせているのも彼等らしい特徴ですし、非の打ちようがありません。多感様式が入ってきているといっても、何ら彼らの長所がぶれることもなく(すでにベートーヴェンの第九までは演奏済みなので、ぶれる筈もありません)、ただ彼らの長所が演奏にきちんと反映されているだけです。

とは言え、それがなかなか難しいものですが、シリーズものでしっかりと自分たちのパフォーマンスを維持して聴衆に提示するというのはうなるしかありません。楽器と異なり、歌唱の場合はどうしても体調面に左右されるからです。それが全くないのは彼らの高いプロ意識故です。

夫々がソリストでありながら、全体でもある・・・・・まさしく、英語のeveryを地で行く、日本を代表する国際的団体だと思います。



聴いているCD
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
カンタータ第97番「わがなすすべての営みにおいて」BWV97
カンタータ第177番「我はあなたを叫び求めん、主イエス・キリストよ」BWV177
カンタータ第9番「救いは我らに来たれり」BWV9
ハナ・ブラシコヴァ(ソプラノ)
ロビン・ブレイズカウンターテナー
ゲルト・テュルクテノール
ペーター・コーイ(バス)
鈴木雅明指揮
バッハ・コレギウム・ジャパン
(キングレコード KKC-5350)※輸入盤ではBIS-SACD1991

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。



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