かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:ベートーヴェン ヴァイオリン・ソナタ全集1-1

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナーは、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタを取り上げます。都合により途中中断も含め、7回取り上げることとしました。

え、ベートーヴェンのヴァイオリンソナタってそんなにあったっけ?という方、はい、そんなにそもそも取り上げる必要など本来ありません。その半分程度で十分です。

ヴァイオリンソナタベートーヴェン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%A5%BD%E6%9B%B2%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.83.B4.E3.82.A1.E3.82.A4.E3.82.AA.E3.83.AA.E3.83.B3.E3.82.BD.E3.83.8A.E3.82.BF

作曲数が10曲で、1曲がだいたい20分程度ですから、3〜4回あれば十分です。ではなぜ、7回取り上げる予定なのかと言えば、音源が二つあるからです。

実は、同じ時期に連続して、モノラル音源とステレオ音源とを借りています。聴き比べというか、特にモノラルのほうは名演とも言われるものであるため、その演奏についても語っていきたいと思ったからです。モノラル音源を1、ステレオ音源を2としまして、それに枝数をハイフンでつけてご紹介したいと思います。

まず、1-1は第1番から第3番と、第6番が収録されています。1の演奏者はすべてヴァイオリンがメニューイン、ピアノがケントナーです。

この1-1では、ヴァイオリン・ソナタについての説明もする必要があるでしょう。というのは、ピアノ・ソナタとヴァイオリン・ソナタは同じソナタという言葉がついていますが実はジャンルが若干異なるからです。ピアノ・ソナタはピアノの独奏曲ですが、ヴァイオリン・ソナタはヴァイオリンとピアノの二重奏であるからです。

ヴァイオリンソナタ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%8A%E3%82%BF

じゃあ、ソナタってどんな曲であるの?という素朴な疑問が出て来ると思います。ソナタとは単に器楽曲で複数楽章があるものを指すのです。楽器の数は特に記載がありません。ただ、3つ以上はソナタであっても「○重奏曲」と言われますので、基本的には1人もしくは2人で演奏される、複数楽章を持つものをさします。古典派以降はその一方の楽器がピアノである曲を「ソナタ」と呼ぶようになりました。

ソナタ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%8A%E3%82%BF

ですので、ヴァイオリンだけで演奏されるソナタは必ず「無伴奏」という文字が付きます。バッハの無伴奏チェロ組曲ソナタ組曲ですが、チェロだけで演奏されるため日本語訳では無伴奏の枕詞が付きます(楽譜には通常、日本の出版社以外のものであれば単に「ソナタ」とあるだけです)。

このベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ無伴奏とは付きませんから、ヴァイオリンとピアノの二重奏であるということになるのです。ですから、ヴァイオリン・ソナタの愉しみというのは、その音楽の素晴らしさもさることながら、ふたつの楽器のセッションを楽しむという点もあるのです。

そもそもソナタにおいては、ピアノは伴奏という側面が強かったのですが、それを共演、つまりセッションへと変えたのが、ベートーヴェンなのです。モーツァルトがまず切り開き、それを固定化して路線を決定づけたのがベートーヴェンです。

実は、私はこの音源を借りるまでは、ソナタをあまり聞かない人間でした。それが、弦楽四重奏曲などで開眼し、セッションの楽しみというものに目覚めていきます。その転回点にもなったのが、この二つの音源によるベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタでした。極端に言えば、ベートーヴェンのピアノ以外のソナタは、現在のクラシック以外のジャンルの隆盛の基礎となったと言って差し支えないと思います。

例えば、ジャズやプログレ(広くロックと言ってもいいかもしれません)などは、アンサンブルよりは各楽器同士が対等にぶつかり合う、セッションを楽しむという音楽です。特にロックは、音楽が生まれた基礎に反骨という側面があることから、セッションというものがどうしてもアンサンブルよりも上位に来ます(必ずしもアンサンブル無視というわけではありませんが)。その路線を決定したのがベートーヴェンであったと、音楽史の側面からは言えるのです。

第1番から第3番までは、1798年に作曲された作品で、3作連作で作品番号12がついてます。音楽的には確かにハイドンモーツァルトといった先人の影響があらわていますが、いきなりヴァイオリンとピアノはセッションしています。特に第1番第1楽章の冒頭は、ヴァイオリンとピアノがいきなりフォルテでじゃーん!と鳴ります。私はこれはベートーヴェンの意思表示のように思えます。新しい音楽がここでは鳴っているのだ、という表明です。

つまり、モーツァルトまでのピアノが伴奏だった時代は終わり、この曲からはヴァイオリンとピアノが対等に渡り合うのだという表明です。いかにも独立心が強いベートーヴェンらしいと思います。ピアニストとしてだれにも支配されないという気持ちの表れという気すらします。ただ、ベートーヴェンは誤解されやすいですが、ピアノが主でヴァイオリンが従ではなく、あくまでも対等であるという点が、その後の作品を見るときについ私たちが見落としてしまう点だと思います。

それが、たとえばこの音源の評価にも表れているように思います。ネットでググってみますと、この二人の演奏はまずメニューインの演奏の素晴らしさが強調されることが多いですが、しかし、知っている方はケントナーが素晴らしい演奏者であることはご存知かと思います。

ルイス・ケントナー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%BC

バルトークのピアノ協奏曲は、その道の方にとっては決して簡単な曲ではないと言います。しかし、それを同郷とはいえ得意としたというのは、まさしく豊かな才能なしには成し遂げられることでありません。それだけの実力者であるからこそ、メニューインと釣り合うと言えるでしょう。単にケントナーの義兄がメニューインであったというだけでは説明がつかない部分が、私には演奏から感じ取られます。リタルダンドの仕方やポルタメントの仕方など、まさしくセッションしています。アンサンブルを大切にしながら、ちゃんとセッションしているのが小気味いいです。

最後の第6番ではそれがさらに前面に現われてきます。1803年の作品ですから、徐々にベートーヴェンの作品に独自色が付いてくる時期になりますが、それがまさしく前面にでた演奏です。この曲ではアンサンブルが素晴らしいのですがそれよりも二人の絶妙のセッションが聴きどころです。

だからと言って何か目立つことをやっているわけではありません。音楽は淡々と過ぎていきます。特に、この4曲ではまだベートーヴェンが聴覚を失っていませんから、音楽がとても明るいのです。けれど軽薄ではなく、そして重々しくもない、華やいだ中に気品と気高さがあり、そして軽さも同居する、素晴らしい作品をそのまま提示しているだけです。その点こそ、この演奏の素晴らしさだと思います。



聴いている音源
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
ヴァイオリンソナタ第1番ニ長調作品12-1
ヴァイオリンソナタ第2番イ長調作品12-2
ヴァイオリンソナタ第3番変ホ長調作品12-3
ヴァイオリンソナタ第6番イ長調作品30-1
イェフディ・メニューイン(ヴァイオリン)
ルイス・ケントナー(ピアノ)



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