かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

マイ・コレクション:石嶺聡子 passion

今年初めのマイ・コレはクラシックではなく、石嶺聡子のサードアルバム「passion」です。

クラシック以外で複数枚CDを一人のアーティストで買うというのは、菊池桃子以来数年ぶりということになった一枚で、それだけ当時彼女の歌声にはまっていたということでもあります。

彼女の歌は、本当に王道なんですよね。歌唱力があって、なおかつ聴けば彼女だとわかる。昭和の歌声ですね。でも、すでに平成でしたけども。

そんな点が、いまだに彼女の曲が古臭くない、力強いものを持っている理由なのだと思います。

さて、このアルバムはサードと言っても、事実上セカンドアルバムになります。そのひとつ前のはミニアルバムのような感じですので、フルアルバムはこのpassionが二つ目だと思います。この時期本気で彼女のアルバムは追いかけていましたから、クラシックにプライオリティを置きつつ、彼女のアルバムを狙っていた私はミニアルバムは「余裕があったら」と思っていました。ですので、これは正確にはセカンドアルバムでいいと思います。

このアルバムではいきなり大人の曲がずらっと並んでいます。元気が出る曲だけなくバラードもあります。9曲目の「欲しいよ」は遠距離恋愛を歌った曲ですが、ふつうなら「会いたいよ」になるはずが、「欲しいよ」っていうのはどきっ!とします。何がほしいの?と思っていたら「愛」と・・・・・

深いです。それをテンポのいい歌で表現しきる歌唱力。まさしく彼女の世界です。

その前の20th Doorは二十歳になった自分の気持ちを歌い上げているものですが、恋に恋する女性のかわいらしさが前面に出ていてなおかつ上品。最近、こんな歌が少ないように思います。恋愛にしても、その歌詞がストレートすぎるんです。まあ、それもいいのですが、私としてはそれはすでにベートーヴェンやほかの作曲家の作品で聴いていますので・・・・・やっぱり、彼女のようなまるでバロック大バッハの息子たちかと思う軽妙でかつ気品のある音楽が聴きたくなります。

たとえば、西野カナを聴いている女の子が、プッチーニの「ラ・ボエーム」を聴いたら、果たして彼女がいいかそれともプッチーニがいいのか・・・・・まあ、そんなことはないでしょうけど、そんな思いもしてしまうのです、石嶺聡子の歌は。

買った当時から、その思いは変わりませんし、今でも彼女の歌を聴くたびに、気品あるなと思います。結局、それが後年悩む原因になったのだろうなと思います。それは全くモーツァルトそっくりです。

私はもう一枚彼女のCDを買って、それ以降はクラシックへと完全にプライオリティを置いてしまいますが、しかし、それでも彼女の歌声は、ほかのアーティストを聴くときの基準になったことは間違いないと思っています。特に、絢香の曲を好きになるということは、石嶺聡子の歌に巡り合ったことが大きいだろうと思っています。


聴いているCD
石嶺聡子 passion
(旧東芝EMI TOCT-9504)



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