かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今日の一枚:バッハ カンタータ全曲演奏シリーズ28

今回は、私が買ってきましたCDをご紹介します。やっと給料が出まして、買ってきました、BCJ。今回は先月買えませんでしたので、2枚買っています。まずは、本来先月分であるはずだった、第28集です。

珍しく4曲収録されています。第62番、第139番、第26番、そして第116番です。

まず、第62番「いざ来ませ、異邦人の救い主よ」です。え、第61番じゃないの?というあなたは相等コアなバッハの音楽好きですね〜。いや、実は私も「これって、確か前に演奏しているよなあ」とおもいました。実は、第61番を基本にした新作になります。第61番が作曲されたのはヴァイマール時代の1714年。この第62番が作曲されたのは、1724年と実に10年の月日が流れています。

実は、第61番は1723年に再演されていまして、その評判が良かったのか、1724年の新年用にその歌詞を持ってまったく新しいカンタータを作曲しました。それが、この第62番になります。勿論、コラール・カンタータとして。

まず、短調ですが堂々たる音楽が鳴り響き、主の来臨を表現しています。その短調の音楽こそコラールなのですが、これがまた味があります。第61番の方が有名ですし、私も好きですが、私はどちらかといいますとこちらのほうが好みかもしれません。リズムとメロディのバランスがやはり抜群なのです。最後の曲で三位一体を賛美するのがとてもキリスト教的です。

構成的には前半重視とも言うべきもので、第1曲と第2曲、そして闘争を表現する第4曲に時間を割いています。そのほかはほぼレチタティーヴとコラールです。

次は第139番「幸いなるかな、おのが御神に」です。今度は一転して平和な音楽が鳴り響きます。それはこの曲が「幼き神への信頼」をテーマにしているという点も大きいでしょう。この曲も基本的には前半重視型とも言うべき曲で、第1曲と第2曲、そして第4曲が長くなっています。これも第62番と共通しているように思います。この時期のバッハがどのようなアイデアで作曲していたかが伺えそうです。

なぜなら、第1曲は合唱、第2曲がテノールソロ、第4曲がバリトンソロと構造がまったく一緒だからです。

その次が第26番「ああいかにはかなき、ああいかに空しき」です。これも構造的には前2曲とまったく同じですが、曲調はがらっとまた変わります。テーマはもうそのまま「空しさ」。かといっていわゆる「ゆく川の流れは絶えずして・・・・・」というものではありませんが、その根底にあるもの、時代背景は実はよく似ていまして、この曲が作曲されました17世紀という時代は戦乱が多く、厭世観が高かった時代です。そんな背景もこの曲には流れています。

その割には、第1曲は激しい曲ですし、第2曲では今度は平明な曲です。嘆き悲しむというよりも、その悲しみの時代をどう前向きに生きてゆくかに主眼が置かれているように思います。

ただ、本当に驚きますのは、実は第2曲目の歌詞の冒頭は「何と速やかに、流れる水が走り去ることか」と始まるのです。鴨長明方丈記「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」とほとんど同じ内容の始まりなのです。勿論、時代的にはバッハの方が遅いわけですから、影響がないとは言えませんが、鎖国の日本からドイツにそう伝わるとは思えず、このあたりは興味が引かれるところです。ジャポニズムがヨーロッパに勃興するのは、もっと先、約150年くらい後の話です。

一つの可能性としては、安土桃山時代に遣欧使節が訪れたこと、そして実は鎖国の時代でもヨーロッパへ日本の情報は流れていたという事実です。それは逆に日本も同じでして、江戸幕府は長崎で情報をオランダ商人から収集し、それを江戸へ報告させています(おらんだ風説書)。ですので、実は相互で情報のやり取りを行っています。方丈記なら別に幕府の重要情報ではありませんから、別にヨーロッパへ伝わったとしてもなんらおかしくはないのです。ただ、オランダ商人がどこで手にいれ、どのように伝えたかはわからない、ということです。

少なくとも、私は大学時代国史学専攻でしたが、そのようなことは習っていませんし、近世でもそのようなことを学んでいません。ただ、そういう情報がどのように流失して行ったかは実はよくわかっておらず、国史学においてもう少し研究がなされませんと関係を述べるわけには行かないでしょう。

最後の曲は第116番「汝、平和の君、イエス・キリスト」です。この曲ほど私たち日本人に理解しにくい曲はないでしょう。ただ、とても示唆に富む曲であることも確かです。それはこの曲の内容、テーマが「最後の審判」だからです。偽預言者が乱立し、この世が乱れるとき、何を信じればいいのかということがテーマです。この曲では勿論それはキリスト教への信仰になっているわけですが・・・・・

ただ、それは現在の日本に置き換えても、まったく通じるのではないでしょうか。それをどのように解釈するかは個人個人で異なるでしょうが、時代が大きく変わる今だからこそ、この曲は聴かれるべき曲であると私は考えます。

構造的は前3曲とまったく変わりません。それでいてまったく違うものに仕上げるところがバッハの魅力です。勿論、音楽の美しさもありますが。

鈴木さんがこの曲をアルバムの最後に持ってきたあたりに、私は時代に対する精神を感じるのです。


聴いているCD
バッハカンタータ全曲演奏シリーズ28
野々下由香里(ソプラノ)
ロビン・ブレイズ(カウンター・テナー)
櫻田亮テノール
ペーター・コーイ(バリトン
鈴木雅明指揮
バッハ・コレギウム・ジャパン
(BIS SACD-1451)
※このCDからSACDとなりました!