かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

古典派ではなく、バロックと古典派の「つなぎ役」

ハイドンのミサ曲を今日は聴いています。曲は、第1番「ミサ・ブレヴィス」と第11番「天地創造ミサ」。

第1番となるミサ・ブレヴィスはその名の通り、本当に小さなミサ曲です。15分ほどで終わってしまう曲で、「え、もう終わり?」と思ってしまいます。

形式的には、合唱部分はポリフォニーなのですが、通奏低音部分がバロック的だったりと、いわゆる私たちが聴きなれている古典派的な響きではありません。ハイドンの若いころの音楽とはこういうものが主流であったということがよくわかる1曲なのではないか、と思います。

全体のバランスも、クレド信仰告白)に重点を置く基本に忠実なつくりです。

一方の天地創造ミサは、第11番とあって、曲の長さも45分とながく、かなり長いミサ用に作曲されたことが想定されます。このあたりはまだまだ勉強不足なので、近日中にハイドン事典を買おうと思っています。

曲の構成も、合唱部分も含め、完全なポリフォニーとなり、重厚さが出ていて、私たちが聴きなれた、モーツァルトベートーヴェンといった作曲家に近くなります。

バランス的にも、クレドだけではなく、グローリアにも重きを置いてあり、もしかすると儀式で差があったのではないかと想定されます。26秒だけ、グローリアの方が長いので、少なくともミサ曲の作曲の基本からは少し外れています。しかし、それには確実な理由があったはずで、お客様は教会だったわけですから、基本に外れてもクレームがなかった原因がそこにはあるわけです。となると、儀式に理由を求めるのが自然です。

ハイドンは古典派とカテゴリーされますが、こうミサ曲を聴いてみると、必ずしもそうではなく、むしろバロックと古典派を結ぶ「つなぎ」の役割を果たしたのではないか、と思います。

ますます、交響曲弦楽四重奏曲は全曲聴きたくなりました。