かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

交響曲は第九、弦四は「大フーガ」

昨日、大フーガに関して少し書きましたが、今日はもう少し詳しく述べたいと思います。

大フーガ変ロ長調作品133は、もともと弦楽四重奏曲第13番変ロ長調作品130の最終楽章としてかかれました。それが証拠に、気づかれた方も多いと思いますが、同じ「変ロ長調」です。最初の楽章と最終楽章は必ずしも同じ調性になるわけではありませんが、室内楽では同じ調性になることも多く、別に珍しいことではありません。

特に、弦楽四重奏曲第13番は、それまでの弦楽四重奏曲の概念を超える大曲です。楽章数は通常の4楽章ではなく、全部で6楽章あります(分け方によって違いはありますが)。

しかし、演奏時間は特に長くはなく、現在の形であれば、30数分で終わります。楽章数にしては、それほど長くはありません。しかし、最終楽章を大フーガに変えると、45分ほどになり、室内楽としてはかなり長くなります。彼の交響曲でも、45分くらいの曲は実はそうはなく、第3番英雄、第6番田園、そして第9番合唱つきの3つしかないのです。

こう見てきますと、この第13番という曲は最終楽章を大フーガに変えた当時の姿は、かなり異色だといわざるを得ません。

ベートーヴェン交響曲で実験を行い、その実験結果をピアノソナタ弦楽四重奏曲へ応用したという話は有名ですが、そう考えると、この曲がもともと長かったのは、よくわかります。

その直前の交響曲こそ、第9番ニ短調作品125「合唱つき」だからです。

第九では、最終楽章に合唱を取り入れました。そして、その形式はコラールに近いながら切れ目がなく、その上途中二重フーガを採用するという、全く新たな世界を築きました。その結果、交響曲の楽章としては当時最長となりました。現在でも、その演奏時間は第4楽章だけでも25分前後かかります。

その形式を、そっくりそのまま弦楽四重奏曲につぎ込んだのが、第13番だったのではないでしょうか。なぜなら、大フーガは演奏時間が15分ほどかかる、独立曲としてはえらく長い曲だからです。もちろん、もともと第13番の最終楽章なのですから、切れ目などなく、続けて演奏されます。

となると、本来この曲はやはり最終楽章は大フーガをもってきて演奏されるべきものであるように思います。

しかしながら、友人や聴衆から「長すぎる」と批判を受け、出版に際しては変更を余儀なくされます。そこで、最終楽章の時間をほぼ半分にした、現在の第6楽章が生まれます。それもすばらしい曲ながら、大フーガを第13番の最終楽章として聴いてしまうと、物足りなさを感じてしまうのは私だけなのでしょうか。

ベートーヴェンが「やはり、大フーガを最終楽章に持ってきて演奏してくれ」と言っているように、私には聴こえます。

ただ、新しい最終楽章もすばらしい曲です。そのあたり、生活のためにアジャストする能力もさすがです。しかし、その適合性が、大フーガの存在を大きくしているのです。もしかすると、これはベートーヴェンの仕掛けた「罠」なのかもしれませんね。


聴いているCD
弦楽四重奏曲第13番変ロ長調作品130(最終楽章は大フーガ変ロ長調作品133と、現在の第13番)
アルバン・ベルク四重奏団


クレジットを見たとき、「え、何で途中で大フーガが入っているの?」と首を傾げざるを得ませんでした。第5楽章と第6楽章の間に大フーガが入っていたので。もちろん、基礎知識としては大フーガのことを知らなかったわけではありませんが、それにしても途中にもってくることはないだろうと思ったのですが・・・・・

聴いてみて、納得しました。それが、今日のブログを書くきっかけになりました。なぜ、ベートーヴェンの弦四ならアルバン・ベルク四重奏団といわれるのか、わかるような気がします。単に演奏だけなら、スメタナ四重奏団もすばらしいです。しかし、そういった演奏レベルの高さというわけではないところが、アルバン・ベルクのすばらしさのように思います。