東京の図書館から、今回は府中市立図書館のライブラリである、吉松隆の交響曲第6番とマリンバ協奏曲を収録したアルバムをご紹介します。
吉松隆はこのブログではあまり登場しない作曲家ではありますが幾度かは登場しています。それは私自身が吉松氏の音楽をあまり好まないからですが、かといって嫌いなのかと言えばそうではありません。他の作曲家に比べると魅力が薄いというだけの話です。
そもそも吉松氏は純然たるクラシック音楽の畑で生きてきた人なので、和声的にどちらかと言えば20世紀音楽の範疇に入る人です。それゆえあまり好んでこなかったというのが実情です。ただ最近ではその20世紀音楽が違和感なくなってきているため、今回吉松氏の比較的新しい作品も聴いてみようと思い立ち借りたと言うことになります。
吉松氏はまさに20世紀に作曲された作品で語られることが多いのですが、21世紀に入っての作品は20世紀音楽のいい面が出ているように感じます。その典型例が今回ご紹介する2作品だと、端的には言えると思います。
①交響曲第6番「鳥と天使たち」
吉松隆の交響曲第6番は、2013年にいずみシンフォニエッタ大阪より委嘱されて作曲されました。ちょうど吉松氏が還暦を迎えたタイミングです。
上記ウィキには、この曲の特徴が集約されていますが、できればCDを買うなり借りるなりしてブックレットを読むほうがいいと思います。空を飛ぶ鳥に自由を感じてということがはっきりとブックレットにも記述されていますので(もっと言えばゆえに三楽章形式だと言えます。フランス風ということなので)。さらに言えば右の舞、左の舞というのは私も見た途端思ったのですがまさに雅楽からインスピレーションを得たものです。ですがなぜ雅楽なのかはウィキペディアでは記載がないためです。
いきなり雅楽が吉松氏から出て来るというわけはなく、そこには伏線がしっかりとあります。実はその直前に手がけていたのが、NHK大河ドラマ「平清盛」の音楽なのです。ちなみにそれは作品112となっています。交響曲第6番は作品113であり、まさに一つ前の作品ということになります。
大河ドラマに関しては、脚本家もそうですが、作曲者もきちんと取材をしたうえで曲を作ります。そのため吉松氏は京都へ取材に訪れています。様々な洒落が作品には仕込まれており左右の舞も実はその一つなのですが、それは京都で見たり聞いたりしたことが下敷きになっているのです。
さらにこの曲には、自作の旧作に加えて、ジャズ、そしてシベリウス、チャイコフスキー、ショスタコーヴィチなどの交響曲第5番の旋律が第2楽章に紛れ込み(特にチャイコフスキーは判りやすく紛れ込んでいます)、まるでパッチワークのようです。ごった煮という表現も適切かもしれません。こういうことで批判されることも吉松氏は多いのですが、ただこの手法はクラシック音楽でとられないわけではなく、バロック、例えばバッハなら普通にやっていた手法ですし、その後もモーツァルトも取り入れていますし、何ならベートーヴェンも、交響曲第3番第4楽章は自作の「プロメテウスの創造物」から旋律を使って展開しているわけで、それははっきりと後世の作曲家たちも真似しています。吉松氏はそれを21世紀という時代で俯瞰してやったにすぎません。旋律がクラシック的ではないからと言って批判するのはお門違いのように思われます。
またそもそも、我が国の文化的発展は、外国のものを取り入れて国風化する歴史です。その国風化したものから新たなものも生まれるという多様性を持つ、豊かな土壌を持っています。それは私たちのアイデンティティであり、精神性だと個人的には思います。特に私は中央大学文学部史学科国史学専攻卒業であり、サークルが史蹟研究会だったからこそ余計に強烈に感じます。この交響曲第6番はそういった私たち日本人のアイデンティティを想起させるに十分な作品であり、また極めて日本人的だと感じます。21世紀を生きる私たちの精神性が現れている作品だと言って差支えないでしょう。新しい政権が発足したからこそ、私たちのアイデンティティとは何かを振り返る必要がありますし、それが間違った熱狂へと足を踏み入れない冷静な態度に繋がり国の安全に資するのではないでしょうか。
恐らくですが、吉松氏も取材を進めていくうちに、平安時代という時代がいかなる時代だったのか、そして平家が果たした役割とはいかなることだったのかを目の当たりにしたに違いありません。その結果生まれたのが、この交響曲第6番のように思えてなりません。私も卒業論文がまさに平家台頭の直前である後三条天皇の時代だったために、この作品に対し共感をするものです。
演奏はまさに、この交響曲第6番の初演を収録したもので、ホールは大阪いずみホール(現三井住友生命いずみホール)です。吉松氏はブックレットに於いて「最初のリハーサルから全く危なげのない精緻な演奏が繰り広げられたことは驚きだった。」と述べています。それはまさに、日本のオーケストラの水準の高さを示すものでもあります。唯一注文を付けたのが「(おバカな引用があちこちに出て来るので)『演奏中に笑い出さないで下さいネ』というくらいだったろうか(笑)」と述べていますが、個人的にはクラシック音楽の歴史を知っている人であればにやりとはすれど敬意を表するものだと思います。それは全く危なげない演奏がすぐ実現したことに現われていますし、また委嘱したオーケストラによる演奏なのですから敬意を払って当然だと言えます。まさに自分たちが望んだ作品が出来上がってきた、しかも想像以上の楽しさをもってと感じたのではないでしょうか。演奏は終始生き生きとしていますし、生命力を感じます。鳥の自由さやその魂の喜び、そしてパッチワークのように織り交ざ手ある様々な旋律・・・聴き手も楽しいですが演奏者も楽しい雰囲気がひしひしと伝わってきます。
②マリンバ協奏曲「バードリズミクス」
マリンバ協奏曲「バードリズミクス」は、2010年に作曲された作品で、マリンバ奏者の三村奈々恵さんの委嘱によるものです。ネット上ではこの曲に関する説明がなく唯一AIによる検索結果提示のみなので、是非ともCDを購入もしくは借りることをお勧めします。
特にこの曲の成立には、指揮者藤岡幸夫が絡んでおり、2008年に喫茶店で藤岡さん(と私はかつて彼の下でベートーヴェンの第九を詠ったので敬意を表してこう表現させていただきます)が三村さんを伴って吉松氏に引き合わせたそうです。なんでも三村さんからの熱烈なラブコールだったそうで・・・しかも注文もかなり情熱的でアグレッシヴだったとのこと。夏の暑さもあってかなりノリノリの作品になったそうですが、それは特に第3楽章に現われています。第2楽章まではどちらかと言えばおとなしいというか、確かにアフリカで生まれた人類の「リズム」が土をつたわって伝播するというようなイメージですが、第3楽章ではそれは思いっきりはっちゃけもう狂乱状態。でも、リズムはそもそも音楽の三要素であり人間が特に重要視する要素でもあると言えます。最終楽章でリズムが爆発するのも当然のように思われます。
私も以前、浜松市楽器博物館を見学していますが、アフリカの楽器を見た時の生命を感じたのは今でも印象に残っています。
マリンバという楽器を吉松氏が好んでいるせいか、その歴史や特性をしっかり踏まえた、リズムが生み出す心地よさ、あるいは鼓動と言ったものが音楽として表現されています。この演奏のソリストはまさに委嘱した三村奈々恵さんその人。指揮は飯森範親氏。オーケストラは1曲目とは異なり山形交響楽団。初演は京都市交響楽団で指揮者は飯森範親氏でしたが、飯森範親氏はそもそも山形交響楽団の音楽監督でもあります。実は山形交響楽団も聴きに行きたいオーケストラの一つなんですが、ほぼ新幹線一択になるのでなかなか足を運べずにいるところです。その山形交響楽団もマリンバの響きに合わすように、時に静かに、時にノリノリでマリンバが奏でる「魂の音楽」を響かせます。ホールは山形テルサホール。若干多目的ホールのような響きかなという印象ですが国内有数の響きとありますので、曲のせいなのかもと思います。ベートーヴェンの第九も響きのいいホールでもそんなに残響時間長かったっけ?と思うように短い残響時間のように聴こえてしまうホールもありますので。ただマリンバはかなりいい響きをもって聴こえてきます。やはり一度山形交響楽団の体公演を聞きに行く必要がありそうです。
2つの曲の2つの異なるオーケストラとホールによる演奏で、吉松氏の芸術の神髄が聴けるアルバムとなっているのは素晴らしい点です。ともに響きとしてはいいホールで収録されどちらもライブ録音ですが、それだけにどちらも演奏者の魂の共感が聴こえてくるのが実に私の魂も貫き喜びで満たしてくれます。21世紀の日本の文化とは何ぞや、そもそも日本の文化とは?と問いかけて来るかのようで、かんがえさせられる演奏でもあります。こういう作品がどんどん生まれて来ることを願ってやみません。
聴いている音源
吉松隆作曲
交響曲第6番「鳥と天使たち」作品113
マリンバ協奏曲「バード・リズミクス」作品109
三村奈々恵(マリンバ)
飯森範親指揮
いずみシンフォニエッタ大阪(交響曲第6番)
山形交響楽団(マリンバ協奏曲)
地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。