かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

コンサート雑感:ムシカ・ポエティカ2025レクイエムの集い 第2次シュッツ全作品連続演奏 第2回 〜追悼歌〜を聴いて

コンサート雑感、今回は令和7(2025)年10月31日に聴きに行きました、ムシカ・ポエティカ2025レクイエムの集いのレビューです。

ムシカ・ポエティカは東京の古楽団体で、主にハインリッヒ・シュッツの作品を多く手掛けています。また年間を通して荻窪の本郷教会にてバッハのカンタータも演奏されています。

www.musicapoetica.jp

マチュアという言葉を私は使っていませんが基本的にはアマチュア団体なのですが、そこにはプロも一団員として参加するというスタイルを取っていることも特徴なので、あえてアマチュア団体とはしていません。というのも、ムシカ・ポエティカさんは音楽家の淡野弓子さんが主宰されていますがそれを支える団体として大きく分けて以下の3つがあります。

ユビキタス・バッハ
ハインリッヒ・シュッツ合唱団・東京
メンデルスゾーン・コーア

この中でユビキタス・バッハにはムシカ・ポエティカのスタッフプレイヤーと言われるプロが参加しています。一方合唱団はアマチュアが主体ですが、何名かプロも参加しているのが特徴で、特にハインリッヒ・シュッツ合唱団・東京にはバッハ・コレギウム・ジャパンの浦野智行さんが参加していることも特徴です。

今回は管弦楽ユビキタス・バッハを基礎とするアンサンブル・サジタリウス。そこにソリストが殆どプロ、そして合唱団であるハインリッヒ・シュッツ合唱団・東京はアマチュアが主体と、混成かつ新しい風を取り入れた形になっています。

今回は第2次シュッツ全作品連続演奏 第2回 〜追悼歌〜と題して、三鷹市芸術文化センター風のホールで開催されました。昨年も私は足を運んでいますがその際も三鷹市芸術文化センター風のホールでした。確かにバロック音楽を演奏するにはちょうどいい小ささだと個人的には感じます。

今回は作曲家としてはシュッツとヘルツォーゲンベルク、そしてガブリエリの3人の作品が演奏されました。ヘルツォーゲンベルクとガブリエリは私としてはおそらく初めて聴く作曲家でもあり、そのあたりが毎回楽しみな演奏会でもあります。前半はシュッツの作品からイエスの愛と父と子と聖霊への賛美がテーマとなり、後半はヘルツォーゲンベルクとガブリエリも登場して人間の苦悩や疑いに聖霊によって啓かれた言葉が力を与える瞬間がテーマとなっています。

①シュッツ 福者シメオンの讃歌2 今こそこの僕を
シュッツの福者シメオンの讃歌2「今こそこの僕を」は、1657年にザクセン選帝候J.ゲオルグ1世の死を悼んで作曲された作品です。この「レクイエムの集い」はその名の通り、実はパンフレットに亡くなられた人を悼むコーナーが設けられています。今年も様々な人が亡くなられましたが、クラシック関係では秋山和慶氏とロジャー・ノリントンエディット・マティスなどの名前が記載されていました。音楽関係以外も記載があるのが特徴で中には巨人軍で活躍した長嶋茂雄、そしてプロレスターのハンク・ホーガンの名前もありました。ともすればネタとも取れそうな方の名前もしっかりと記載してその死を悼むのはまことにこのコンサートらしいと思います。特にこの第1曲はゲオルグ1世に40年仕えたシュッツだからこそ作曲したと言える曲であるため、更に重要な意味合いを持っています。

アカペラの曲ですが各人のアンサンブルが本当に素晴らしく、ぶら下がるような声も全くないが素晴らしい!静謐な中にも温かみがあるのもいいですね。歌詞のfahrenで必ず三拍子になっているのですがそのあたりのリズムがしっかりと演奏に反映されていることも、作品に血を通わせています。それがアマチュアでやってのけてしまうのですから・・・

②シュッツ シンフォニエ・サクレ第3集「おお愛しきイエス・キリスト
シュッツの「おお愛しきイエス・キリスト」はシンフォニエ・サクレの第3集に収録された作品です。シンフォニエ・サクレとは器楽と声楽による宗教的コンチェルトのことを言います。ですのでここでアンサンブルとさらにはソリストが登場。歌詞を4人のソリストで歌い継ぎながらイエスへの愛を歌っていきます。バスにはバッハ・コレギウム・ジャパンでも活躍された浦野智行さん登場。実は浦野さんの歌唱が聴けるのもこのコンサートの魅力の一つ。まだまだ深く味わい深い声は健在です。オルガンと器楽アンサンブルがまるで人間の鼓動のようにリズムを取り、愛の感情を彩りますが、声楽アンサンブルどちらももう申し分ない美しさとしなやかさ。私も愛の歌唱にうっとりです。

ここまでは淡野太郎さんがタクトを振られました。淡野さんのタクトは見やすいように思われます。打点がはっきりしているというわけではないのですがリズムが取りやすいので歌いやすいタクトだと思います。

③シュッツ ドイツミサ
シュッツのドイツミサは、1617年に宗教改革100周年を記念してドレスデン宮廷での演奏記録がある作品です。その日付が10月31日。当日も10月31日なのでこの曲を持ってきたそうですが、なるほどこの伝統は19世紀までも続いていたのだなと気付かされた作品でもあります。なぜなら歌詞はドイツ語で、それは19世紀にメンデルスゾーンが「讃歌」を作曲するきっかけにもつながっているからです。「讃歌」はグーテンベルク活版印刷を記念して作曲されましたがそもそもグーテンベルク活版印刷が聖書の印刷をもたらしプロテスタントが普及していったのですから、実はこのシュッツの作品と全く無関係ではないんですね。

しかも、通常プロテスタントでは6曲あるうち1曲だけが演奏されることが殆どですが、このドイツ・ミサでは実は6曲全て備わっている上に、その内一つは「ニカイア信条」。それはつまり、バッハのミサ曲ロ短調と一緒だということなんです。ということは、当然ですがバッハはこのシュッツのドイツ・ミサも念頭に置いてロ短調ミサを作曲したと言えるでしょう。

ここではソリストが中心とはいえ合唱も入ってきます。そして指揮者は何と!淡野弓子さん登場。合唱団はさらにアンサンブルのレベルが上がり静謐ながらも生命力を感じるまさに讃歌となっているのが印象的。バッハのミサ曲ロ短調にも通じるドイツ語によるミサ曲(一方バッハはラテン語)が愛をもって歌い継がれていき私の魂を貫いていきます。美しさという愛の象徴に私の体が包まれ、とても幸せな瞬間でした。

④シュッツ シンフォニエ・サクレ第3集第14曲「我らの父よ」
シュッツのシンフォニエ・サクレ第3集「我らの父よ」は、ルターの独訳によるイエスが教えた主の祈りが歌われます。一節それぞの開始がVaterになっているのが特徴的。これをどう訳すかはパンフレットを見ていて難しいだろうなあと思います。最初はVater unser, der du bist im Himmelです。普通の日本語訳であれば「天にいますわれらの父よ」と訳すと思いますし日本語としてはそれが普通でそのように訳されていました。ですが次はVater, geheiliget werde dein Nameで「父よ、御名を崇めさせ給え」となっていました。ですが歌では常にVaterにアクセントがついていますし今回もそのように歌われているのが素晴らしいのですが、一方でそれでは日本語訳だとアクセントが異なる、つまり強調しているところが違ってくるという事態が生じてしまいます。

バッハのカンタータの逐語訳をプロジェクトとして敢行している私なら、最初は「我らの父、汝天におわすものよ」と訳します。このほうが演奏を聴いていて違和感がないわけなんです。実際今回もVaterにアクセントがついているということはそこが強調になっているわけですから。その点がぼやけない訳を如何にするのかは毎回私も悩みながらしていますが、今回は聖書の翻訳でもなじみがある文章にしたのだと思います。ただそれだとわかりにくい人もいるのではという気はしています。せっかく「我らの父」を讃美する音楽なのに、どこか違った印象を与えるのであればそれは演奏者としても不本意なのではという気がします。歌詞には韻が踏まれていてその韻を含めてリズムを構築し世界が彩られており演奏として表現されているわけなのに違うものになりかねないのは私はどうなんだろうと思った次第です。

⑤ヘルツォーゲンベルク 人間は無に等しい
ヘルツォーゲンベルクのモテット「人間は無に等しい」は1895~1896年にかけて作曲された「4つのモテット」の中の1曲です。ヘルツォーゲンベルクは19世紀の作曲家でバッハ再興の中でシュッツ再興に資力した人の一人です。

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19世紀の作曲家でありながらこの曲に於いてはバロックの色が濃くなっています。実際にこの曲は宗教的コンチェルトの様式を採っています。そのうえでソリストには悩めるたましい、合唱団には光に照らされた魂という役割が与えられ、かつ「遠くから」という指示があるとのこと。ゆえに当日は合唱団は休憩の後もあり三鷹市芸術文化センター風のホールの2階に陣取りました。ホールには2階席もありますが舞台後方には席が存在せず通路が設置されています。そこに合唱団が陣取ることにより天上から魂に語り掛けるような効果を持っていました。この指示はバッハ研究もおこなったヘルツォーゲンベルクですのでマタイ受難曲を意識しているような気がしますし、この曲からは指揮者は再び淡野太郎さんでしたが淡野さんがヘルツォーゲンベルクの意図をバッハの曲と比較して導き出した編成のように思われます。ソリストの美しく力強い声に合唱が天上の美しさで応答する様子は見事で、ソリストのすばらしさもさることながら、合唱団のレベルの高さも際立っていました。実はこの曲もヘルツォーゲンベルクの妻エリーザベトの3回忌のために作曲され何度も「耐え忍ぶべし」という言葉が出てきます。合唱が担当しますがそこの何と美しいこと・・・自然と耐え忍ぶことの大切さが心に染み入ってきます。これもまた合唱団の素晴らしいところです。

⑥シュッツ シンフォニエ・サクレ第2集第26曲「我、神より離れまじ」
6曲目は再びシュッツのシンフォニエ・サクレ第2集から「我、神より離れまじ」。コラール変奏曲になっており、器楽と合唱のコラボレーションによって神への賛美が歌われていきます。様々に入り乱れるのはペルゴレージの影響とも言われますが、ここはソリストがその喜びをしっかりと歌いあげます。特に女声はソプラノアルトとも生命力がある歌唱で、神への愛がひしひしと伝わってきます。

⑦シュッツ コンチェルト「人生の儚さについて」より「我が事、神に委ねたり」
シュッツの「我が事、神に委ねたり」は、1625年に魏姉妹のアンナ・マリア・ヴィルデグと妻のマクダレーナの死を悼んで作曲されました。間接的に世俗の富を戒め、神に委ねることの大事さを歌い上げます。まるで失った人を悼みつつそれは自分の悲しみを癒そうとする精神の現れであるのですが、その内面が生命力かつ静謐さをもって歌われました。この辺りがこの演奏会のレベルの高さであり魅力です。

⑧ヘルツォーゲンベルク 典礼歌より第3曲「我、天より声を聞きたり」
ヘルツォーゲンベルクの典礼歌は、1896年に作曲された死者の日曜日礼拝式のためのモテット集です。その第3曲「我、天より声を聞きたり」は、歌詞がヨハネの黙示録第14章13節から採られています。これだけ聴くとピンと来ないかもしれませんが、実はその歌詞はブラームスドイツ・レクイエムの最後第7曲とほとんど一緒なのです。違いは「我、天から我に向けて語る声を聞いた。書き記せ」が加えられているだけです。

またわたしは、天からの声がこう言うのを聞いた、「書きしるせ、『今から後、主にあって死ぬ死人はさいわいである』」。御霊も言う、「しかり、彼らはその労苦を解かれて休み、そのわざは彼らについていく」。

www.bible.com

幸いなるかな、死人のうち、
主にありて死ぬるもの、
今よりのちに。
「然り」と霊も言いたもう、
「かれらはその労苦から[解かれて]休まん。
かれらの行い、のちより従うなれば」

ja.wikipedia.org

ブラームスドイツ・レクイエムよりも実はヘルツォーゲンベルクのこの曲のほうが後に成立しているわけですが、しかしなぜブラームスドイツ・レクイエムで世に出たのかがこれでわかるわけです。モテットが歌われる伝統がまだ残っていたため、そこに新しい音楽を付けたブラームスの評価が一気に上がったわけです。一方でヘルツォーゲンベルクはバッハやシュッツの復興に資力した人なのでモテットに関しては保守的な作品を作曲しました。ですがどちらも死者を悼み残された人の魂に安らぎを与えるものになっています。ですがヘルツォーゲンベルクもブラームスドイツ・レクイエムが念頭にあったことは想像されます。この曲はヘルツォーゲンベルクの盟友であり妻エリーザベトの兄であったフィリップ・シュピッタの葬儀で演奏され、さらにシュピッタの墓石に刻まれている歌詞でもあるためで、ブラームスドイツ・レクイエムで使われて以降、ヘルツォーゲンベルクもまた意識していたと考えるのが自然です。

このあたりを、合唱とソリストが美しい声で彩り、天から言葉が降りて来るように聴こえます。世紀末のドイツに於いて、世紀末の気分に浮かれた社会において、魂との対話を重視した人たちがいたことをまるで喜んでいるかのような明るさと明瞭さもある演奏は私の魂にもしっかり響くものでした。

⑨シュッツ 詩篇23「主はわが牧者」
シュッツの「主はわが牧者」は、1650年に作曲されたシンフォニエ・サクレ第3集の第1曲として収録された作品です。キリスト教では葬儀で必ず演奏される曲でもあります。

歌詞の内容をかみしめながら明瞭に歌い上げるのはソリストのみならず合唱もであり、そこに器楽も加わり暖かい空気に自分が包まれていきます。ホールがまるで教会のように聴こえるのはこの曲だけはなく全てですが、この曲でも魂が癒される経験をしました。

⑩ガブリエリ シメオンの讃歌「今こそこの僕を」
ガブリエリは16世紀のイタリアで活躍した、シュッツが不滅の神と讃える作曲家です。

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シメオンの讃歌はその晩年に当たる1597年に成立したもので、音楽としてはバロックになっています。ただイタリアの作曲家なので歌詞はラテン語。実はガブリエリはドイツから留学生を迎えてもいましたので、シュッツはこのガブリエリに学んでおり、それゆえシュッツもガブリエリと同じく「シンフォニエ・サクレ」を作曲しています。

その作曲家を今回締めに持ってきた、というわけです。さらに言えば今回は隠しテーマが「師匠」だったということになります。ガブリエリはシュッツの師匠であり、シュッツはヘルツォーゲンベルクの師匠に似た存在だったと言えます。

この曲はイタリアバロックの作品でもあるせいか、器楽にはトロンボーンなども入って壮麗です。そのトロンボーンも音色豊かでそこに明るく生命力のある合唱が加わります。さらにここでは、ソリストは本来合唱と一緒に歌われることが多いのがこのコンサートですが、この曲に於いては合唱団が客席から見て舞台左側に、ソリストとアンサンブルが真ん中、指揮者が左側に陣取りました。まるで教会で聖歌隊の演奏を聴いているかのよう・・・ホールが教会と化しました。

全体的にソリストの男声で若干やせた声があるものの、それ以外は極めてステディで生命力のある歌唱を聴くことが出来ました(特にソプラノは絶品!)。また器楽アンサンブルもいつもながら優れた古楽アンサンブルを聴かせてくれます。パンフレットには今後の予定がズラリと並んでいましたが、全てを聞きに行くのはなかなかしんどいのですがいくつかは足を運びたいと思っています。ただ予算の関係もあるので次がいつになるかは明言できませんが、本郷教会でのなら幾つか足を運べそうです。また来年の3月にも三鷹でシュッツ、そして7月には府中の森芸術劇場メンデルスゾーンの「讃歌」で、これはできるだけ予定を入れておこうと思っております。

 


聴いて来たコンサート
ムシカ・ポエティカ2025レクイエムの集い 第2次シュッツ全作品連続演奏 第2回 〜追悼歌〜
ハインリッヒ・シュッツ作曲
福者シメオンの讃歌2「主よ、今こそこの僕を」SWV433
シンフォニエ・サクレ第3集作品12より第8曲「おお、愛しきイエス・キリスト」SWV405
                  第14曲「我らの父よ」SWV411
                                                               第1曲「主は我が牧者」SWV398
12の宗教曲集作品13よりドイツ・ミサSWV420~425
シンフォニエ・サクレ第2集作品10より第26曲「我、神より離れまじ」SWV366
「人生の儚さについて」より「我が事、主に委ねたり」SWV94

ハインリヒ・フォン・ヘルツォーゲンベルク作曲
4つのモテット作品103より第3曲「人間は無に等しい」
典礼歌作品92より第3曲「我、天より声を聞きたり」
ジョヴァンニ・ガブリエリ作曲
サクレ・シンフォニエ第1集より第60番「今こそこの僕を」
及川豊(テノール
板谷俊祐(テノール
浦野智行(バリトン
中川郁太郎(バス)
石川和彦(ヴァイオリン)
宮下宣子(サクバット)
西澤誠治(ヴィオローネ)
椎名雄一郎(オルガン)
アンサンブル・サジタリウス
淡野太郎指揮、テノール
淡野弓子指揮
ハインリッヒ・シュッツ合唱団・東京
 今村ゆかり(ソプラノアンサンブル)
 柴田圭子(ソプラノアンサンブル)
 笠恵里花(ソプラノアンサンブル)
 依田卓(アルトアンサンブル)

令和7(2025)年10月31日、東京、三鷹三鷹市芸術文化センター風のホール

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。