かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~:府中市立図書館~:スメタナ 祝典交響曲と売られた花嫁

東京の図書館から、今回は府中市立図書館のライブラリである、スメタナが作曲した祝典交響曲と歌劇「売られた花嫁」の序曲と舞曲を収録したアルバムをご紹介します。

スメタナは近年わが国でも演奏頻度が高くなっている作曲家ですが、それでもそのほとんどは連作交響詩「わが祖国」です。それ以外は全くと言っていいほど演奏されることがありません。歌劇「リブシェ」の序曲が「プラハの春」音楽祭で演奏されることからたまーに演奏される程度です。

ですがスメタナが祖国チェコでは下手すればドヴォルザーク以上に尊敬されている作曲家でもあります。それはチェコの音楽を国際的名声を得た立役者だからです。ですがそれはあくまでも現代の話。スメタナが生きていた時はむしろ弾圧の対象でした。一方は帝政を容認し外国の支配を受け入れる人たち、そして一方はその外国の支配に抵抗する人たち、です。むしろ厳しい目を向けていたのはその外国の支配に抵抗する人たちです。スメタナもその一人だったにもかかわらず・・・

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その理由の一端を知ることができるのが、実は今回のアルバムです。収録曲は述べた通り、「祝典交響曲」と歌劇「売られた花嫁」から序曲と舞曲です。この二つこそ、実はスメタナの立ち位置を知ることができる曲なのです。

①祝典交響曲
スメタナの祝典交響曲は、1853~1854年にかけて作曲された、当時のオーストリアハンガリー皇帝であったフランツ・ヨーゼフ1世の成婚を記念した曲です。

祝典交響曲では単独のページがないので、上記ウィキペディアの「生涯」の項目中の「新進気鋭の作曲家」のところを見ていただきたいのですが、かれは当時、自身は革命に近い思想を持っていながら、プラハ城におけるフェルディナント1世の常任宮廷ピアニストの職を得ます。作曲家の自立もなかなかまだ難しい時代に、家族を養うためにはやむを得ない選択だったろうと思いますし、また独立派の視野が狭いと感じていたことも、就職を後押ししたのではと感じます。実はスメタナ民族派ではありますが、こと芸術に関しては決してヨーロッパの音楽を否定している人ではなかったのです。国民楽派にカテゴライズされるスメタナですが、音楽としては民謡を多用するということはなく、適宜使っていくというスタンスなのです。その「適宜」の結果が、実は連作交響詩「わが祖国」でもあります。祖国を表現するのですから、多用して当然だと言えます。

一方で、この祝典交響曲は皇帝を讃美するもので、その皇帝はオーストリア人です。ゆえにオーストリアの曲を「適宜」使うということになります。ですがそのスメタナのスタンスはこの祝典交響曲に関しては裏目に出ました。せっかく作った作品は、「当時のオーストリア帝国国歌「神よ、皇帝フランツを守り給え」の参照が十分目立っていないという理由で、受け取りを拒否されてしまうのです。

ただ、よーく聴けば、第2楽章と第4楽章でははっきりと国歌を聴き取ることができます。特に第4楽章最後ではもうほぼまんまです。なのに受け取りを拒否されたのは、恐らく政権側はもっと民族色の強い作品、つまり国歌が随所に出て来る作品を期待していたと言えるでしょう。ですがそれこそ、スメタナの芸術スタンスとしては「軽薄」となってしまうのでできなかったと言えるでしょう。チェコの民謡ですら随所に使うことをしないスメタナです。それをオーストリア国歌に対してもスタンスを変えなかったということなのです。

この祝典交響曲は第3楽章が単独で収録されることもあります。そもそも私がこのアルバムを借りようと思い立ったのも、その第3楽章をすでに購入していたから、です。

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いやあ、民族派だけじゃなかったのねと、本当に私はスメタナに共感します。それじゃあ、スウェーデンに行きたくなるわと思います・・・ほんとこの曲だって素晴らしいのに、そんな表面的なことで批判するのかよって思います。現代日本も、右にも左にもそんな連中ばかりで、私もどこかへ逃げ出したくなることもあります・・・でも幸い、私の周りには同志たちが居るので、日本に留まり続けています。幸い現代にはSNSもあるため、同志とはネットでつながることもできます。スメタナの時代にSNSがあったら、もっと生きやすかったかもしれません・・・それが真に、SNSがあってよかったねって話だと私は思っています。オールドメディアに対するというだけではありません。SNSそのものも、下手すれば民族派や右が弾圧に使うツールになっていますから。ですが一方でSNSは同志たちともつながれるツールです。その点こそ真の素晴らしさのはずなんですけどね・・・スメタナが置かれた状況に比べれば、なんともありません。

第4楽章では前3楽章で出てきた旋律が復活しつつも、最後国歌で締められるのですが、それはある意味ベートーヴェンの第九とも似た構成です。このことだけでも、スメタナが欧州の作品に敬意を持っていた証拠です。それでも受け取りを拒否する皇帝側・・・時代を感じざるを得ません。

②歌劇「売られた花嫁
歌劇「売られた花嫁」は、1863~1866年に作曲された作品で、特に序曲が有名です。

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さて、この「売られた花嫁」は祝典交響曲とは反対に、チェコの舞曲が使われている作品です。一方で基本的にはソナタ形式など、ヨーロッパの音楽の基本構造から外れていません。まさにこの曲は、スメタナの芸術姿勢を示している作品なのです。

つまり、このアルバムは、一方はオーストリア側の、一方はチェコ側の旋律をそれぞれ使った作品を並べることで、その旋律がどのように使われているのかを端的に示すアルバムだと言えます。特にこの「売られた花嫁」では、選択されているのが、以下の4つで、実は上記ウィキペディアで触れられている舞曲なのです。

序曲
第1幕:終曲。ポルカ
第2幕:フリアント
第3幕:喜劇役者の踊り

しかし、言語はチェコ語スメタナがどこまで民謡を使うべきなのかを、端的に示した作品です。ですがその使い方が、民族派としては面白くないということになります。日本人からすれば十分チェコ的なのに・・・それは、1曲目の祝典交響曲で皇帝側が受け取りを拒否したのと同じ構図だということなのです。

ですがそのことが、ヨーロッパに於いて、チェコの芸術が受け入れられる素地を作ったのは間違いありません。その路線に乗って飛躍したのがドヴォルザークです。反目したとしても、ドヴォルザークスメタナの音楽の需要のされ方を見て、海外に飛躍のチャンスを見たと言えます。

それがゆえに、この演奏は実に生命力あるものになっています。指揮はダレル・アン。オーケストラは先日も取り上げた、ベルリン放送交響楽団。実はこのアルバムも元音源はナクソスです。祝典交響曲の第3楽章はすでに持っているものもこのベルリン放送交響楽団のも甲乙つけがたく、どちらも味わい深い演奏です。すでに持っているスロヴァキア・フィルのは荘厳さに重きを置いていますが、このベルリン放送交響楽団は成婚の喜びに重きを置いています。

売られた花嫁」では、序曲からノリノリです。下手すれば障害者を批判する内容の曲でもありますが、実際はいろんな意味を含む複雑な作品でもあります。親の言いなりで結婚させられる娘に、親と折り合いがつかなかったいいなずけ・・・最後は大円団ではありますが、現代の視点で見れば「ちょっと待て。それは障害者差別では?」と突っ込みたくなる部分もアリと、盛沢山。その複雑なものを味わい、自分で考える事こそ、芸術の醍醐味です。少なくとも、スメタナが民謡、特に「売られた花嫁」では舞曲がどの場面でどのように使われているかにフォーカスして、その舞曲を生き生きと描き出す演奏は味わい深くそして活力に満ちています。チェコ民衆の底力をスメタナが感じたからこそ、そこに舞曲を使いたいと考えたのではという解釈は、私は好きです。

現代日本人だからこそ、真の愛国とは何か、日本的とは何かを考える一助になるアルバムだと思います。それはドイツという国も一度通ってきた道のりだからこその、説得力のある演奏だと私は思います。

 


聴いている音源
ベルドジヒ・スメタナ作曲
祝典交響曲ホ長調作品6
歌劇「売れれた花嫁」より
 序曲
 第1幕:終曲。ポルカ
 第2幕:フリアント
 第3幕:喜劇役者の踊り
ダレル・アン指揮
ベルリン放送交響楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。