かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

コンサート雑感:オーケストラ・エレティール第72回定期演奏会を聴いて

コンサート雑感、今回は令和7(2025)年9月28日に聴きに行きました、オーケストラ・エレティールさんの第72回定期演奏会のレビューです。

オーケストラ・エレティールさんは東京のアマチュアオーケストラです。電気通信大学出身者が学生時代に共演した白百合女子大学実践女子大学の卒業生に声をかけて立ち上げたオーケストラです。

www.eltl.org

電気通信大学が調布にあるせいか、会場も多摩地域で行われることが多いのも特徴です。前回はティアラこうとうでしたが、今回は昨年の第69回以来の調布市グリーンホールでの開催でした。

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その後、第70回にも足を運んでいます。

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前回第71回は確か予算の都合上見送ったと思います。過去のエントリ等を見ても該当日に他に行った記録がないため、予算の都合上見送った以外には考えられません。あるいは忘れていたかです。ちょうどこのころ、万博へ行く計画を立てていた一方、ちょうど受難節でバッハの受難曲をいくつか足を運んでいたことがあります。

さて、この2度の経験で私は中央大学出身者でありながらなぜ電気通信大学を主とした出身者が設立した団体を聞きに行くかと言えば、やはりその実力の高さと表現力です。そして今回はその上で、私の好きな2曲をプラグラムに入れてきました。そのうえで無料公演。行くしか選択肢が考えられませんでした。

ベートーヴェン 交響曲第5番
チャイコフスキー 交響曲第5番

第5番特集です。クラシックファンだとよく知られている曲ではありますがこうプログラムで一緒になるということは極めて珍しいと言えます。まさしくアマチュアらしい選曲です。また、調布市グリーンホールでチャイコフスキーの第5番が演奏されると言うのは、実は私が中央大学に入学したその年のスプリングコンサートで、中央大学管弦楽団が小松先生の指揮で演奏した曲でもあるのです。どこか懐かしさも感じました。

ベートーヴェン 交響曲第5番
ベートーヴェン交響曲第5番は、1807~1808年に作曲された交響曲です。古典派の頂点を示す交響曲と言われますが、同時に第6番「田園」を作曲しており、その田園はロマン派の扉を開けた作品と言われます。同時期に二つの時代の作品を書き上げていることが、シンドラーの改ざんにつながったのでしょうが、私自身はその物語性から「運命」という表題を使うことを好んでいます。今回はエレティールさんが記載していないので第5番とだけ記載します。

ja.wikipedia.org

それは編成でも示されていると個人的には感じますし、またオーケストラ・エレティールさんの団員さんたち、少なくとも当日のパンフレットの解説を書かれた方は感じているのでは?と思います。実はパンフレットでクイズが出されました。第5番の中で、第4楽章でしか登場しない楽器はなーんだ?というもの。さて皆さま、答えられますか?

正解は・・・ピッコロとコントラファゴット、そしてトロンボーンです。

ではなぜ、その編成が時代の変わり目を意味するか、です。実は交響曲の歴史に於いて、特にトロンボーンは当初使われていなかったのです。さらには高音のピッコロや極低音のコントラファゴットも、ようやくベートーヴェンの時代になって編成に加わってきた楽器です。

その理由は二つあります。

1.トロンボーンはそもそも教会音楽で使われてきたので世俗の管弦楽団で使われることがはばかられてきたから
2.ピッコロとコントラファゴットは、その音を出せる楽器を作ることのできる技術が発達したから

この2つが、ベートーヴェンの時代に進んできた、というわけなのです。ゆえに確かに古典派交響曲の頂点でありつつも、実は時代を開いたのは第6番ではなく第5番であるという指摘もできるのです。

初演では第6番が第5番とされ、第5番が第6番とされましたが、実は演奏順は現在の第5番が先です。上記ウィキペディアに記載がありますので転載します。

交響曲第5番ヘ長調『田園』(注:現在の第6番)
アリア "Ah, perfido"(作品65)
ミサ曲ハ長調(作品86)より、グロリア
ピアノ協奏曲第4番
(休憩)
交響曲第6番ハ短調(注:現在の第5番)
ミサ曲ハ長調より、サンクトゥスとベネディクトゥス
合唱幻想曲

このプログラムはいろんな見方がありますが今回第5番に絞って言えば、まさに第5番から第6番へというのがベートーヴェンの提示した時代の移り変わり、つまり当時の「現代」を意味していたと言えるわけなんです。最後に合唱幻想曲が来ていることもその延長線上にあると言えるでしょう。新しいことを追及したプログラムだったと言えますし、恐らく初演のいろんなトラブルもその「新しさ」に起因したのではないかと推測します。

ですが新しさは編成だけではありません。具体的にストーリーを仕立てたこともまた、新しさだったのです。そして第3楽章と第4楽章が繋がっているという形も・・・

私が第5番で語るとき、一番の聴き所は第3楽章と第4楽章ですとよく語っていると思いますが、それこそがこの第5番の新しさなんです。通常の古典派であれば一番重きを置くのは第1楽章です。ですがベートーヴェンは明らかにこの第5番では最も重きをおいているのは第4楽章で、第3楽章はいわばその導入の役割を果たしています。これが第6番「田園」では更にソネットが付き第3楽章から第5楽章までが連続するという形に結実したと言えます。その意味で二つの時代を反映するはずの2つの作品は実は一つとして見るべきだとわかります。

だからこそ、パンフレットであえてクイズを出してみたと考えるのが自然でしょう。そしてそれはテンポにも現れていました。最近は古楽を意識して速いテンポで降る指揮者が多いですが、今回はどっしりとしたテンポが採用されました。指揮者は第69回でスメタナの「わが祖国」を振られた、小森氏。現場感覚で、時代が下がるにしたがってテンポは遅くなっていったと考えれば、今回の採用テンポはむしろ第5番の新しさを明確にするためだと言えるでしょう。様式的には確かに古典派だけれども、細部は十分にロマン派である、という意思表示のように思われます。

私は第5番のテンポ設定に関しては、速いのがダメとも思いませんしまたどっしりとしたのもダメだとは思いません。どっちであってもどれだけ説得力を持つ演奏であるのか。言い換えればどれだけ魅力的なのか、です。それだけが判断材料です。そのために必要な演奏はやはりフェルマータをどれだけ伸ばすのかだと思います。

基本的にフェルマータは「6拍伸ばす」なので、速いテンポだとささっと終わってしまいますが、どっしりとしたテンポだと十分に伸ばすことになります。ただ、第九の第4楽章アラ・マルシアの直前のvor Gott!の部分のように、6拍以上伸ばすケースもあるわけですから速いテンポで6拍以上伸ばすという選択もあるわけです。それを勇気をもって選択できるかが、まずは説得力のある演奏の一つの条件かなと思います。その点で、今回のテンポ設定は十分などっしりさでした。

ただ、第5番という曲は一方で意外とタクトと合わせずらい作品です。なぜなら第1楽章はアウフタクトで始まるから、です。クラシック音楽のヘビーファンの方だと、弦楽器がずれている演奏をたまに聴くことがあるかと思います。それは第5番の第1楽章がアウフタクトで始まるからなんです。演奏者はタクトの打点を見ながら演奏しますが、アウフタクトだと合わせるのが打点だけではなく指揮棒を振り上げるところも見ないといけないため、実は第5番という作品は最初が合わせずらい作品でプロでさえずれる時があります(私が持っているCDだとNHK交響楽団が思いっきりずれた演奏をしています)。

ですが、オーケストラ・エレティールさんは全くずれないんです!アンサンブルが常に秀逸でずれることがないため、各パートの音すら明確に聴こえてきます。ホールはデッドな調布市グリーンホールですが、デッドだということはホールの残響でごまかせないため粗が出やすいとも言えるのです。しかしその条件で全くアンサンブルが出ず粗が出ないということこそ、レベルの高さを物語ります。そして美しい・・・まるでわ(以下自己規制)

それがクライマックスになるのが、第4楽章。ついに休んでいたトロンボーンなども加わります。もうその力強く壮麗なファンファーレがなったとたん、涙が目にたまってきます・・・ステディなテンポなのに、なんと美しく壮麗なのだろうと思うと、もう体が感動で震えてきます。アマチュアでここまでの演奏ができればもう何も言うことはありません。ただただ感動に浸るだけです。

それはおそらく、団員の皆さまも曲が持つ物語に共感しているからではと思います。ですがアマチュアが陥りやすいことはそこで感情に負けて演奏が乱れる事。それが一切ないんです。通常はそういう演奏はだた美しいだけになりますが、そこでしっかりと聴き手の心を動かすなんて・・・次のチャイコフスキーは一体どうなってしまうのかと心配になり・・・ません。むしろワクワクしてきてしまいます。

チャイコフスキー 交響曲第5番

チャイコフスキー交響曲第5番は、ベートーヴェンが第5番を作曲してから80年後の1888年に作曲されました。曲を貫くのは「運命主題」で、明らかにベートーヴェンの第5番に影響を受けている作品だと言えます。

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勿論その「運命」というワードは、現在は否定されているわけですが、しかし実際にベートーヴェンの第5番が運命に立ち向かうかのような物語を持っているがゆえに、後世の人に影響を与え続けたと言えるでしょう。それなくしてチャイコフスキーの第5番も生まれなかっただろうと私は考えます。

なぜなら、チャイコフスキーベートーヴェン同様、必ずしも世の中の「普通」ではなく、同性愛者だったからです。ゆえにチャイコフスキー自身も世の中の「普通」と闘っている人だったと言えますし、ゆえにこの第5番で「運命主題」を展開させたと言えます。明確に史料に残っていないみたいですが第5番に「運命主題」となれば明かにベートーヴェンを意識していると言えます。

ある意味、この第5番も第6番のような「慟哭」と言った側面も見られます。それが第1楽章の序奏です。これがまた静かに始まるがため難しい曲です。その点でも、最初が難しいという共通点を、ベートーヴェンチャイコフスキーの第5番は持っていると言えます。

その序奏を本当に魅力的に演奏するのもまた素晴らしい!ティンパニベートーヴェンとは交代して、ベートーヴェンでは多少固めの打点でしたがチャイコフスキーでは多少柔らかめ。ですが存在感はしっかりと感じます。これが曲が進むにつれてアクセントになって、聴衆を引き込んでいきます。本当にアマチュアなのかって思うくらい・・・

第2楽章も美しい・・・ホルンは海外オケだとロシアの峰々を想像しますが、今回は木曽の山々が想起されました。どこか日本的。なのにそれが全く嫌に感じず自然なのです。この辺りもチャイコフスキーのこの作品が普遍性を持つところだと感じます。

また全体的にこのチャイコフスキーでも各パートの音がしっかりと聴こえてきます。テンポは多少どっしり目ですが細かく揺れてもいるため速いと感じる部分もあるのですがそれがまた自然で、感情が湧き上がるのを抑えることができないかのような部分もあって魅力的。またまた説得力のある演奏を聴かせてくれます。

圧巻は第4楽章。第2主題が提示されたあたりから涙が止まらず体も震えっぱなし・・・美しく力強いトランペットやトロンボーンなどの金管群。豊潤な木管群に流麗かつ力強い弦楽器も加わり、まるで魂の叫び。私も難病という「運命」を背負ったので、どこか感情移入もするのですが今回の演奏は特に魂を貫いていきます。

ベートーヴェンの第5番でもブラヴォウ!をかけそうになるくらいの魂が震える演奏だったのに、チャイコフスキーではさらにその上を行く演奏で魂を震わせるとは・・・ブラヴォウ!をかけてもいいくらいの演奏でした。おそらく周りの方々も同じだったのでしょう、だけ一人フライングブラヴォウをかけることもなく、また雑音を立てることもない演奏会でした。それは演奏に「惹きつける魅力」があったからこそだと言えます。それをアマチュアが、無料でやってしまう・・・こんな幸せなことはないです。ベートーヴェンの第5番で感じたワクワク感は間違っていませんでした。

アンコールはチャイコフスキーの「四季」より6月「舟歌」。元々はピアノ曲なのを管弦楽に編曲されたものですが、これも各パートの音がしっかりと聴こえてかつ豊潤な歌になっているのが魅力的。

これで、オーケストラ・エレティールさんは私の中で継続的に足を運べる団体に認定されました。ゆえに次もできるだけ足を運びたく思っています。ちょうど中央大学関係とは時期がずれているのも助かる点です。電通大管弦楽団の案内もありましたがさすがにその日は他の演奏会に足を運ぶ予定にしておりますが、次回のオーケストラ・エレティールさんの定期演奏会は足を運びたいと思っています。来年の2月14日のバレンタインデー、シベリウスとニールセンという、アマチュアならではのプログラム。素敵なバレンタインチョコになりそうです(もちろん義理ですが)。しかもホールが府中の森芸術劇場どりーむホール。調布市グリーンホールよりは響きのいいホールで、今度はどんな演奏を聴かせてもらえるのか、楽しみです!

 


聴いて来たコンサート
オーケストラ・エレティール第72回定期演奏会
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
交響曲第5番ハ短調作品67
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー作曲
交響曲第5番ホ短調作品64
「四季」より6月 舟歌(アンコール、アレクサンドル・ガウク編曲)
小森康弘指揮
オーケストラ・エレティー

令和7(2025)年9月28日、東京、調布、調布市グリーンホール

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。