コンサート雑感、今回は令和7(2025)年9月23日に聴きに行きました、武蔵野市民合唱団の第49回定期演奏会のレビューです。
武蔵野市民合唱団さんは1979年に発足した東京は武蔵野市のアマチュア合唱団です。拠点は武蔵野市ですが参加者は武蔵野市、三鷹市、小金井市、杉並区、中野区、練馬区の方が参加されています。
私は昨年の第48回に足を運んでいますが、それ以外にも幾度かコンサートに足を運んでいます。というのも、実はピアニストに私が入っていたアマチュア合唱団である宮前フィルハーモニー合唱団「飛翔」のピアニストだった佐藤季里さんが参加されているからです。
今回も佐藤先生がピアニストというのも理由の一つですが、そもそも武蔵野市民合唱団さんのレベルが或る程度高いこともあります。また今回に限っては実はチラシを合奏団ZEROさんの定期演奏会でいただいたということがありました。それは以下のプログラムを見ればわかります。
①吉岡弘行 混声合唱とピアノのための「たいせつなもの」
②飯沼信義 混声合唱組曲「武蔵野」
③ラター レクイエム
ラターのレクイエムは演奏頻度は多い作品ではありますがクラシックファンの中ではあまり知られておらず合唱をやっている人たちに人気の曲ですが、そもそも合唱をやられている人でも実はオーケストラが付く曲であることを知っている人も少ないかと思います。今回武蔵野市民合唱団さんはオーケストラ伴奏を択ばれたということになります。ですがそれが、私もコンサートに足を運んでいます、合奏団ZEROさんだったとは・・・
①吉岡弘行 混声合唱とピアノのための「たいせつなもの」
混声合唱とピアノのための「たいせつなもの」は、武蔵野市民合唱団さんの音楽監督である吉岡弘行さんが2013年に混声合唱団リンリーズさんのために作曲した作品で、その混声合唱団リンリーズさんの第10回定期演奏会で初演された作品です。作詞は門倉さとしさんで、連作詩集「ぽえむ・ぴーす」から5つが選ばれています。当日指揮者で音楽監督で作曲者である吉岡さんがマイクを握られ、東日本大震災をきっかけに人間の本質を平易な歌詞で描いたその内容を曲にしたそうです。
https://www.panamusica.co.jp/ja/product/15889
確かに、第1曲は「まさか」で、歌詞の中にも「まさか」が連発。しかも途中に「まさか いくさがこるとは」とあります。多分ですが、吉岡さんはあの東日本大震災の惨状を見て、1945年の焼野原の風景が浮かんだのだと思います。実際私も同じように感じていましたし、また同じように感じたからこそ、2012年の定期演奏会でオーケストラ・ダスビダーニャはいつもならショスタコーヴィチの作品を演奏するにも関わらず、伊福部昭と外山雄三を選択しています。吉岡さんも同じだったのだなと思うところです。
しかも、「まさか」はおそらく、原発事故にもかけていると感じます。2011年当時「想定外」という言葉がよく使われましたが、言い換えればそれは「まさか」です。
人生にはいくつかの坂がある、「まさか」という坂もとはよく言われる言葉ですが、その「まさか」を第1曲に持ってくるあたりに、東日本大震災を想定して作曲されていることがよくわかる部分です。初演も2013年で震災から2年しか経っていませんし。
歌詞はひらがなが多いのですが、よくよく読めばかなり深い内容になっています。音楽も決して難しい和声が多用されているわけではないのですが、歌詞に合わせて適切な和声が使われており、つい感じ入ってしまいます。そのせいか、レベルが決して低くはない合唱団はつい感情が入っている印象を受けます。歌詞をしっかり理解してパフォーマンスがなされており、特に高音部が美しく適度に力が抜けているがゆえに魂が伝わってきます。合唱指揮の記載がないのでおそらく音楽監督である吉岡さんが直接指導されているか、或いはピアニストが指導されているかだと思います。実際佐藤先生なら指導もできますので、指導者がいいのだろうなあと思います。
②飯沼信義 混声合唱組曲「武蔵野」
飯沼信義の「武蔵野」は、1979年に東村山市民合唱団の委嘱で作曲されました。作詞は島崎光正で、作曲家も作詞かも長野県出身(島崎は正確には出生は福岡県で後に長野へ移り住んでいます)で東村山に居を構えた人でした。そのこともあり東村山市民合唱団さんは委嘱したものと思われます。
武蔵野市民合唱団さんが拠点とする武蔵野市は言うまでもなく武蔵野にある自治体ですが、さらに曲が作られたのが1979年と、武蔵野市民合唱団さんが創立された年でもあるわけです。パンフレットや当日の吉岡さんのマイクでは言及はありませんでしたが自身の団体名と創立年に因んでということは十分考えられるでしょう。
この曲でピアノを当日弾いたのが、私も宮前フィルハーモニー合唱団「飛翔」でお世話になりました佐藤季里先生。ステディかつ表現力のあるピアノがしっかり合唱団を支えます。曲が武蔵野の四季を歌い上げる内容になっていることもあり実に抒情的ですが、同時に詩人である島崎の生い立ちも反映されている曲でもあるので、その曲に込められた精神性も同時に表現する必要があると言う、意外と難しい曲ですが、その精神性をしっかりと自家薬籠中のものとして表現し歌い上げるのはさすがです。できれば「島崎光正」で検索していただけると理解しやすいかと思います。
アマチュアではよくソプラノがぶら下がり気味になることが多いのですが今年も武蔵野市民合唱団さんの演奏ではあまりぶら下がった声が聴こえてこず、素晴らしいパフォーマンス。正直平均年齢は高いのですがそれをものともせず美しく力強くもあるアンサンブルを聴かせていただけたのは幸せです。それは指揮者の指導もさることながらそもそも合唱団のレベルの高さ、そして佐藤先生のピアノが歌いやすいという点もあったのではと思います。佐藤先生はこちらが歌うのに合わせてフレージングを合わせて下さるので私も歌いやすかったのですが、恐らく武蔵野市民合唱団さんも同じなのでは?と思います。少なくとも今回演奏された小介川淳子さんと佐藤先生共に合唱団が歌いやすくピアノを弾くか方だと感じます。それって本当に幸せなことで、私は大田区民第九合唱団にも所属しましたがそちらでは合唱団と一緒に弾くということがどういうことかを理解せずにフレージングを重視せず勝手に弾く練習ピアニストもいたことがあるので、両ピアニストの「合唱団に合わせてフレージングを取ることができる」という能力は合唱団にとってとても素晴らしいことだと強調しておきたく存じます。
③ラター レクイエム
ジョン・ラターは20世紀イギリスの作曲家で、主に合唱曲を作曲し指揮にも携わっている方です。え?現在進行形ってことはまだ生きているのかですって?おっしゃる通りです、まだご存命なのです。
冒頭でも述べましたが、ラターはクラシックファンよりは合唱に携わっている方に特に知られている作曲家ですが、とくに有名なのがレクイエムです。このブログでもCDそして中央大学混声合唱団の定期演奏会で演奏されたのをエントリでご紹介しています。
通常、合唱団で演奏されるときは、あまりお金がない団体が多いこともあり、ピアノ伴奏で演奏されることが多いのですが、今回の武蔵野市民合唱団さんは中央大学混声合唱団同様、管弦楽を入れるという選択をされました。しかも、編成では断然中央大学混声合唱団よりも大きかったのです。今回の管弦楽は合奏団ZEROさん。私は8月に定期演奏会を聴きに行ったばかりですが、そこで今回のチラシをいただいたのです。考えてみれば合奏団ZEROさんが参加されるのでチラシが入っていたというわけです。通常オーケストラの定期演奏会で合唱が入る曲もないのにチラシが入っているということはほぼないので。
合奏団ZEROさんはいつもよりは編成を小さくされており、2管編成ですが第1・第2ヴァイオリンがそれぞれ5名、ヴィオラとチェロは4名、コントラバスは2名という室内オーケストラの編成です。そこにパーカッションとハープが入るということで、全員で31名。宗教音楽を演奏するには適切な人数だと思います。また指揮者の吉岡さんが合奏団ZEROさんの演奏を聴いてほれ込んで依頼されたとのこと。何度か合奏団ZEROさんの演奏を聴いている私としては確かにと納得しました。実際、今回の演奏も安定した素晴らしい表現力で、透明感と同時に曲の中にある魂を掬い取る演奏でした。作曲家だけあって吉岡さんは見る目がさすがだと思います。
またこの曲はラテン語と英語が同居し、それぞれが関連しあって一つのアーチを形成しています。
第1曲レクイエム・エテルナム(ラテン語)と第7曲たえざる光もて(ラテン語と英語)
第2曲深き淵より(英語)と第6曲主は私の羊飼い(英語)
第3曲ピエ・イエス(ラテン語)と第5曲アニュス・デイ(ラテン語)
第4曲サンクトゥスは中央部
よくラターのレクイエムは癒し系と言われ、実際そうなのですが、実は構造としてはレクイエムというカトリック系の曲であるにも関わらずバッハのカンタータのような形も取っています。それは英語の歌詞はそもそも英国国教会の典礼文から採用されているという点があるのではと個人的には考えます。
今回の演奏でも、単に癒し系としてだけではなく、曲に込められたラターの想いが反映されていたように思います。美しいだけではなっく力強さと短調部分では陰影もしっかりついています。この曲はラターが亡き父を想って作曲されたとされますが、そのラターの悲しみと亡き人が天国へと登っていくことを願う気持ちが反映されているわけで、その魂をしっかりと表現していたのは市民合唱団の強みだと思います。平均年齢が高く下手すれば誰かの死を見送った経験を持つからこその表現の幅を聴かせていただきました。そこにしっかりと寄り添い一緒に表現していく合奏団ZEROさん。このコンビは最高だと思います。
アンコールはこれもラターの「オー・クラップ・ハンズ(さあ手を叩こう)」。ピアノも入る曲ですがここでも佐藤先生登場。宮前フィルハーモニー合唱団「飛翔」でも守谷弘の指揮でオーケストラと共演経験があるのでしっかり合唱団ZEROさんとアンサンブルしてノリノリですし、合唱団もさらにノリノリでまだこれだけエネルギーが残っているのか!と驚くばかりです。
次回第50回は来年とだけクレジットされていて具体的な日にちはまだ決まっていないようですが、メインはモーツァルトの「戴冠ミサ」。できればオーケストラは合奏団ZEROさんを期待したいところです。ただおそらく記念演奏会になりますので、武蔵野市民交響楽団さんとの共演なのかもしれません。武蔵野市民交響楽団さんのレベルが分からないので何とも言えないところですが個人的には再び合奏団ZEROさんとの共演を期待したいところです。オルガンは出来れば佐藤先生に弾いてほしいところですが(確か宮前フィルハーモニー合唱団「飛翔」でオルガンを弾いた経験があったはずです)、それはまた合唱団や音楽監督の吉岡さんに判断していただくことになりましょう。次回も楽しみに待ちたいと思います。できれば多団体とバッティングしないことを祈ります。実はすでに来年の9月22日は予定が決まっております・・・
聴いて来たコンサート
武蔵野市民合唱団第49回定期演奏会
吉岡弘行作曲(門倉さとし作詞)
混声合唱とピアノのための「たいせつなもの」
飯沼信義作曲(島崎光正作詞)
混声合唱組曲「武蔵野」
ジョン・ラター作曲
レクイエム
オー・クラップ・ハンズ(アンコール)
樫木伴実(ソプラノ)
小介川淳子(ピアノ、「たいせつなもの」)
佐藤季里(ピアノ、「武蔵野」「オー・クラップ・ハンズ」)
吉岡弘行指揮
武蔵野市民合唱団
合奏団ZERO
令和7(2025)年9月23日、東京、武蔵野、武蔵野市民文化会館
地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。