かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

コンサート雑感:アンサンブル・ディマンシュ第97回演奏会を聴いて

コンサート雑感、今回は令和7(2025)年9月21日に聴きに行きました、アンサンブル・ディマンシュさんの第97回定期演奏会のレビューです。

アンサンブル・ディマンシュさんは東京のアマチュアオーケストラです。アンサンブルと言っても大きな編成のオーケストラもある中で、アンサンブル・ディマンシュさんは本当に編成は室内管弦楽団の大きさで活動されている団体です。

www.e-dimanche.jp

私は前回の第96回を聴きに行っています。

ykanchan.hatenablog.com

今回も実はFBFの方から教えていただき、足を運びました。前回のいい印象もあり、即決です。しかも今回は、室内管弦楽団としての実力がいかんなく発揮されるプログラムなのも魅力でした。

モーツァルト 歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲
ハイドン 交響曲第103番「太鼓連打」(ロンドン初演版)
シューベルト 交響曲第4番「悲劇的」

交響曲を2つというのはおなか一杯だと一瞬思ってしまいがちですが、しかし古典派なのでそれほど長いわけでもないですし。またシューベルトの第5番も作曲時期的には実は古典派とかぶっており、アマチュアが演奏するにはうってつけだと言えます。最近、このように交響曲を二つ入れてどちらかは短い曲をとするケースは多くなっています。

ただ、今回が多少特殊なのは、交響曲は二つとも短い作品である、ということです。これは明らかに、練習時間を採るためだと考えていいでしょう。

また、ホールは調布市文化会館たづくり、くすのきホール。実はバッハ・コレギウム・ジャパンが中心となって参画する調布国際音楽祭の主会場でもあるため、クラシックのコンサートが多く開催されているホールなのですが、その至近にある調布市グリーンホールしか私は行ったことがなく(ってか、調布市もお金持ち・・・)、場所を知っているだけでした。一度は足を運びたいと思っていたホールだったので、それも楽しみでした。

モーツァルト 歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲
モーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」は1787年に作曲され、正確にはオペラ・ブッファ(庶民派オペラ)です。

ja.wikipedia.org

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オペラ・ブッファとはいいながらも、その序曲は深刻な短調で開始されます。その後、明るい曲になっていくのですが、そのあたりをどのように「はっちゃけるか」という所が聴きどころだと言えますし、また序曲だけを演奏するのであれば注目点だと思います。

今回の演奏は、はっちゃけよりも内容を鑑みて明るさと気品の両立を図ったと言えます。指揮者は2代目音楽監督の平川範幸さん。第九の時にも感じましたがスコアリーディングがしっかりされている上に、室内管弦楽団という特色をしっかりと捉えていらっしゃるなト思います。年齢的にも若いですが、こういった若い才能を楽しめるのもアマチュアオーケストラのコンサートの魅力です。

またオーケストラも第九の時も感じましたがレベルが高い!前日もアンサンブル・ジュピターさんもそうですが、やせた弦の音が一切聴こえてきません。ホールのくすのきホールは決して残響時間が長いホールというわけではないので、粗が出やすいホールであるはずなのですが、聴こえてこないのです。これは本当に素晴らしい!

また、くすのきホールもデッドなホールとはいえ、正直グリーンホールよりは響きもあります。ちょうど前のほうに座りましたが意外と残響があるのに驚きました。これは調布国際音楽祭でメインホールになるわけだと思いました。暖かい響きが特徴で、その響きをうまく使った演奏でもありました。これもまた、オーケストラの実力の高さを物語るものでした。

ハイドン 交響曲第103番「太鼓連打」ロンドン初演版
ハイドン交響曲第103番「太鼓連打」は、1795年に作曲されました。いわゆる「ロンドン交響曲」の一つです。

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あれ?モーツァルトよりも新しい作品なので嘘では?という方もいらっしゃるかもしれませんが、実際に1曲目の「ドン・ジョヴァンニ」序曲よりも新しい時代の作品です。ハイドンモーツァルトよりも長生きした作曲家でモーツァルト亡き後も活動していた作曲家なのです。そしてこの「ロンドン交響曲」の一群は、モーツァルトの影響を受けて成立している作品ばかりなのです。その証拠に、この「太鼓連打」にはクラリネットが使われています。

「太鼓連打」というのは第1楽章冒頭のティンパニ連打から名づけられており、それは確かに印象的なのですが、むしろこの曲で重要なのは当時の新参者だったクラリネットを編成に入れているという点なのです。これはあくまでも私の私見ですが、ハイドンはそのクラリネットの存在を聴衆に気づかせる意味で、第1楽章冒頭に太鼓連打を持ってきた可能性があると考えています。「ロンドン交響曲」の内第2期の作品中、第102番を除く5曲にクラリネットが使われているのですが、そのうち第103番は4つ目。なので何か聴衆を太鼓連打でひきつけて置いて、クラリネットに注目させる意図があったのではと思うわけなのです。当日のブックレットの解説では指揮者の登場を知らせる意味合いもあったのではとの記載がありますが初演当時はまだ指揮者の地位はそれほど高くはないので、そこまで指揮者を注目させる意図を果たして持っていたのかと言えば私は疑問に感じます。全くその意図がなかったと断定はできませんが(指揮者の地位が低いので注目させるという考え方も成立はするので)、ただそれよりも新しいことをやっていることを明確にするという点ではむしろ指揮者に注目ではなくクラリネットに注目というほうが自然だからです。

ハイドンが「ロンドン交響曲」あるいは「ザロモン・セット」を書いた理由は単に経済的な側面だけではなく、盟友と考えていたモーツァルトの死もあったのではという気がしているのです。モーツァルトが始めた新しいことを、エステルハージ家から自由になったからこそ自分が広めるのだという自負があったとすれば、腑に落ちるのです。

その視点でこのプログラムを眺めると、アンサンブル・ディマンシュさんの意図も感じます。わかる人ならばこれは時系列で並べたのだな、と。モーツァルトクラリネットを正式にオーケストラに使用したのが、交響曲では第40番と第41番。この二つの成立年は1788年です。その時から「太鼓連打」の成立までは7年という歳月が経っています。モーツァルトの理念は大きな編成でこそ生きると、ハイドンが考えていたとすれば、「ロンドン交響曲」でクラリネットを使用し始めても何ら不思議はないのです。むしろザロモンから話をもらった時点で、裕福で耳の肥えたロンドン市民であれば新しいことを受け入れる素地があると判断したと考えられるでしょう。

その後、ベートーヴェン交響曲第9番を作曲したのは、ロンドンからの委嘱がきっかけだったことを考えると、やはり当時のウィーンの音楽家たちは、ロンドンをどこか「先進地域」と考えていたようにも思われるのです。そのウィーンの音楽家の想いを今回反映させるために、ロンドン初演版を選択したと考えられます。ロンドン初演版とは、20世紀になって出版された楽譜で、第4楽章にコーダが存在する版です。元々「太鼓連打」にはコーダがあったのですが、ウィーンで初演された時には割愛され、それ以来その割愛された版が正式な楽譜となったため割愛された版で演奏し続けられてきましたが、それはハイドンが「太鼓連打」という曲に込めた真意だったのだろうかという疑念が、指揮者平川さんや団員の皆さんにあったのでは?と思います。冒頭の太鼓連打のみならず、演奏が進むにつれてまた生命力を増していく演奏です。それでいて気品も存在する演奏は、聴いていて実に楽しく魂が喜びを感じるものでした。ハイドンは長らく古い作曲家だというレッテルを張られてきましたが、それは真にハイドンの実情を示すことなのか?という「問いかけ」でもありました。

ちょうど日本センチュリー交響楽団さんの「ハイドン・マラソン」が今年終了しましたが、そんな年にアマチュアもまた、ハイドンの真の姿に迫ろうとする素晴らしい演奏が聴けたのは幸いです。これもまた、アマチュアオーケストラの演奏を聴く醍醐味でした。

シューベルト 交響曲第4番「悲劇的」
シューベルト交響曲第4番は、1816年に作曲された作品です。あれ?それだと古典派の時代のはずだけど?という方もいらっしゃるかもしれません。そうです、時代的にはベートーヴェンが活躍していた時代ですから古典派の時代ですが、1800年代は古典派からロマン派へ移行する過渡期でもありました。ベートーヴェンシューベルトはその過渡期に活躍した作曲家だったのです。なので二人とも作品にはロマン派的なものと古典派的なものとが存在します。この第4番は、編成的にはロマン派ですが作品としては古典派的な様相を持ちます。

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編成の中にはクラリネットも存在しています。ここで今回の隠れテーマは「クラリネット」だと気付かされます。にくいですねえ。でも、こういうテーマを立てることが、アマチュアオーケストラのいい点であり、また演奏を聴く醍醐味です。

シューベルトは作曲当時19歳。それでまるでベートーヴェンモーツァルト交響曲を思わせるかのような編成と作品を書いてしまうのですから、やはりただモノではないと言えます。ゆえに今日まで演奏され続けているわけですが、正直シューベルト交響曲の内、第5番あたりまでは評価が高いとは言えませんし、シューベルト交響曲自体が低い評価が与えられている現実もあります。ですが今回のアンサンブル・ディマンシュさんはその常識を疑ってくださいというメッセージだと感じています。

しかも、この第4番は主調はハ短調。そして「悲劇的」という表題を鑑みても、ベートーヴェンの影がちらつくわけなのです。それでいてベートーヴェンよりも更にロマンティックな作品に仕上げています。この辺りは19歳という年齢が新しい作風を取り入れる余地があったことを示しており、若い世代だということを意味します。そのシューベルトの進取の気風へのリスペクトという側面が、演奏からしっかり感じられるのです。随所に生き生きとした表現があり、生命力を感じられる演奏になっています。これもまた素晴らしい!

特に、このシューベルトで顕著でしたが、体をゆすっての演奏も、聴いているこちらも楽しくなってきます。正直平均年齢は高い団体ですがとても若々しい!演奏にみずみずしさがあるのです。青春は何時からでも始められるのだ!という宣言にも聴こえ、私自身も勇気をもらえた演奏でした。

ホールが多少デッドにも関わらず、各曲の演奏が終わっても残響を聴衆が楽しんでいるのもまた魅力的。それははっきりと、演奏に「惹きつける魅力」がある故だと思います。よく聴衆の拍手が早いとかフライングブラヴォウがとか雑音がとかわれますが、そもそも演奏にひきつける魅力があるのか?ということもまた、検証されねばならないと思います。演奏が真に味わえるものだったのか?拍手が早いのは本当に聴衆に問題があることなのか?それとも感動のあまりどうしても抑えきれなかったが故なのかは、よくよく顧みないと分からないことだからです。その点でも、私自身もしっかりとさらに演奏に向き合おうと思います。今回も素晴らしい演奏が聴けて本当に幸せです。次回も足を運びたいなと画策しています。次回は2月に光が丘のIMAホール。ここも実は足を運んだことがなかったと思われるホールなので、その点も楽しみです。いろんなホールにアジャストできる演奏もまた、アマチュアオーケストラとしては魅力だと思います。

 


聴いて来たコンサート
アンサンブル・ディマンシュ第97回演奏会
ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト作曲
歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲K.527
フランツ・ヨゼフ・ハイドン作曲
交響曲第103番変ホ長調Hob.I:103「太鼓連打」
フランツ・シューベルト作曲
交響曲第4番ハ短調D.417「悲劇的」
平川範幸指揮
アンサンブル・ディマンシュ

令和7(2025)年9月21日、東京、調布、調布市文化会館たづくり くすのきホール

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。