かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館~:ムターとオーキスによるベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全集4

東京の図書館から、4回シリーズで取り上げてきました、アンネ=ゾフィー・ムターランバート・オーキスによるベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全集、第4回の今回は第4集に収録されている第9番と第10番の演奏を取り上げます。

第9番「クロイツェル」と第10番。二つの作品は作曲時期が異なっており、作風も違いますが、しかしベートーヴェンの目指したソナタの理想形が実現されている作品です。しかも、第9番は3楽章制なので、言われているほど重々しい作品ではなくむしろコントラストが明確な作品であり、楽し気な部分もたくさんある作品です。

ムターとオーキスの二人は、そういったベートーヴェンが目指した理想形をよく踏まえたうえで、アーティキュレーションを見事に表現として実現させており、人間の内面というものがいかに深いのかを、楽しさの中に織り込んでいるのが非常に素晴らしい点です。

それを象徴するのが、アンコールに演奏された6つのメヌエットWoO10(ミッシャ・エルマン編曲版)から第2番メヌエットの演奏。ベートーヴェンのいかつい感じではなくむしろ優しい音楽がそこにはあります。ムターとオーキスの二人が持つベートーヴェンの印象が集約されているように思います。

この全集を貫き通しているのはまさに「人間ベートーヴェンへの共感」だと私は受け取っています。だからこそ過度に重々しい演奏に走ることなく、様々な表現を使っての演奏になっていると私は思います。ベートーヴェンの音楽はこうだから!という型を安易に嵌めることなく自在に表現することで、真の人間性、そして精神性の追求に至っています。

こういう演奏こそ、真にプロに求められる演奏でしょう。なんと言っても演奏者は表現者なのですから。楽譜はあくまでもデータでしかありません。そのデータから何を読み、表現するのかは演奏者に任されています。そのアウトプットとしての演奏が演奏者がしっかり咀嚼したうえでのものなのか・・・・・当たり前のように見えますがとても大切なことです。

その「当たり前」なことをしっかりとやり遂げているこの全集は、名盤の一つと言って差し支えないでしょう。一方でこの名盤は、さらなる「ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ沼」へと私を引きずり込むことになるのです。それは次回以降で・・・・・

 


聴いている音源
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
ヴァイオリン・ソナタ第9番イ長調作品47「クロイツェル」
ヴァイオリン・ソナタ第10番ト長調作品96
6つのメヌエットWoO10(ミッシャ・エルマン編曲版)から
 第2番メヌエット ト長調WoO10-2
アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン)
ランバート・オーキス(ピアノ)

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