かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

想い:コンサートマナーは絶対に正しいのか

久しぶりの「想い」、今回はコンサートのマナーについて考えます。

今、ネット上で話題になっているのが、横浜みなとみらいホールの改築で新しくできた「網」です。2階席のバルコニー部分に網をつけ、チラシなどが下に落ちないようにしたものです。

確かに、ホールでチラシをめくる音などは気にする人もいるかと思います。私はあまり気にならないのですが、とはいえ、その音で気にする人もいらっしゃいますので、なるべく落とさないようにはしています。めくる音はある程度自分で軽減できても、バサッと落ちてしまうとその音は結構なものになりますので・・・・・

ついつい、前が見えますともっと見たくて前のめりになる人もいますので、つい落としてしまうということは発生します。それが自分の席ならともかく、下の席まで行ってしまうと、もうそれは「逝ってしまった」という悲惨なことに・・・・・

そのためにホールとしてできることは何かといえば、いかにして落下を防止するかというのがまず真っ先に考えることになるでしょう。その時におそらくホール側が考えるのは、そのホールが何のためにあるのか、だと思います。

意外とこれを考えないで批判したりする人もいるのですが、ホールとは何でしょう?そして何のためにあるのでしょう?ホールとは端的に言えば「一堂に会する室内における場所」です。特に近代においてはある目的のために一堂に会する場所をホールと呼んできました。

それがコンサートのためであればコンサートホール、と呼ばれてきました。しかしホールである以上、静かにしなければならないという決まりはありません。コンサートの時なら静かにしましょう、という「不文律」があるだけです。なぜならクラシック以外のジャンルであればむしろ静かに聞くということはまれだからです。

ですから、ホール側とすれば、多目的ホールであればあまり対策を打てません。一方で目的がある程度はっきりしているホールであれば、いくつかの対策を講じることができます。ですがホールはパブリック、つまり公共のものですから、いろんな人が来るという前提に立たねばなりません。

静けさと公共性をどう両立させるのか・・・・・みなとみらいホールはかなり苦労して結論を出したのだと思います。その結果が、網であった、と考えることができます。コンサートホールとは何の目的で設置されているのでしょう?演奏者をただ単に見に来るだけなのでしょうか?違いますよね。まず「生で聴くため」ですよね。その目的で考えれば、音が聴けて、ある程度姿が見れればいい、というテクストになるでしょう。

もちろん、人によっては演奏者を見に来ている人もいます。特にクラシック以外のジャンルであればむしろ「会いにきている」という人も数多くいます(だからこそAKB48の「会えるアイドル」は成功したのです)。そのバランスをどのように取るのか・・・・・なかなか難しい判断だと思います。

私は残念ながら、昨今の「マナーを守れ警察」が多い状況では、このみなとみらいホールの判断を支持します。見たければ鉄ヲタが「10時打ち」をするように見える場所のチケットを購入するべきだ、と考えます。私はコンサートに行くのはまず「聴きに行く」のであり、その次に「どんなふうに演奏しているのか」です。顔の表情まで見えればいいですが2階席とかから細かいところまでなかなか見ることはかないません。むしろ指揮者がどのようにタクトを振っているか、それに演奏者がどのように答えているかのほうが興味がありますので、それが見えればまあ網でもいいかな、という感じです。どうしても見えづらければもうすこし後ろの席を取る、という方法もあるでしょう。

一つ考えたいのは、コンサートホールの座席は、はたして現代社会において本当に必要なアメニティを満たしているのだろうか?ということです。私は鉄道ファンでもありますから、鉄道が航空や自動車よりも使われなくなってきていることに敏感です。その理由は様々ありますが、一つの理由にアメニティが鉄道のほうが貧弱であることが飛行機や自動車を使う人から指摘されることがあります。座席のコンセントなどの有無、待合室などのサービス、などなどです。例えば鉄道だと途中駅でレストランすらないような駅はたくさんありますが、空港ならまずないということはありませんし、高速道路のSAやPAでも軽食は食べられるというところがほとんどです。

一方、コンサートホールはチラシ配りやプログラム配布を許可している割には、そのチラシやプログラムをおいておける場所がなかったりします。私もプログラムを見ながら聴くことがありますが本当に苦労して見ています。少なくとも鉄道の特急クラスなら最低限置き場所はあります。J-popならまだしも、クラシックのコンサートでプログラムやチラシを配らせておいてその置き場がない、あるいは参照させないようにしているというのは、いろんな意味でクラシックファンのすそ野を狭めているとしか言いようがないのではないか?と思います。改築するのであれば席数を減らしてチラシなどを置ける場所を席に作る、という選択もあったはずです。

今の座席のままでクラシックのコンサートホールがいいというのであれば、まずチラシ配りは禁止すべきだと思います。プログラムはやむを得ないとするだけでもかなりの改善が見込めるはずです。チラシは電子化しても十分です。あるいはホールで自由に手に取るようにしてもいいはずです。配ってしまうからそのまま手に持って席まで行かざるを得ず、しかもしまうのも大変です。時間がなくてギリギリに座る人もいます。それを考えればチラシをいかにするか?という視点もあってもよかったように思います。

ただ、ホールもいろんな声に応えなければならず、やむを得ずみなとみらいホールは今回の結果になったのだと思います。今一度私たちは「ホールとはいろんな人が来る場所なのだ」ということを、お互いに考える時期に来ているのではないでしょうか。単に「あれは迷惑だ!」というだけではなく、では自分はどうだろう?いろんな人が来るということをどれだけ許容しているのだろうか?ということもまた考えるほうがいいような気がします。

 

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。