東京の図書館から、小金井市立図書館のライブラリをご紹介しています。今回はレスピーギの作品を収録したアルバムの2枚目です。
2枚目には、「リュートのための古風な舞曲とアリア」の全曲、そしてローマ三部作の残り1曲、「ローマの松」です。
1曲目の「リュートのための古風な舞曲とアリア」は、その名前の通りにではありません。リュートのための作品ではなく、管弦楽作品だからです。この作品集は「作品集」とはなっていますがレスピーギの管弦楽作品集です。ですから、この作品も管弦楽のための作品です。ただ、原曲がありましてそれはリュートのための作品です。
ですから、正確には原曲がリュートのための古風な舞曲とアリア、なのであって、それを管弦楽へとレスピーギがオーケストレーションした作品、ということになります。この手の作品を結構レスピーギは書いているんだなあと思う反面、そのオーケストレーションの色彩の豊かさには舌を巻きます。
とはいえ、原曲がそもそも「リュートのための古風な舞曲とアリア」という題名をつけていたわけではなく、ウィキが示す通り、16世紀~17世紀にかけてのリュートの作品をレスピーギが集め、その集合体を「リュートのための古風な舞曲とアリア」と便宜的に名付けただけなのです。そして作品自体は、その便宜的に名づけた集合体を20世紀の管弦楽のオーケストレーションで彩った作品です。
とはいえ、完全に20世紀へと替えるのではなく、20世紀までに人間が取得した様々なオーケストレーションの手法を縦横無尽、自由自在に使っているのが特徴で、音楽学者としても活躍したレスピーギらしい作品に仕上がっています。それだけになつかしさがあったりもして、どこか田園風景を想起させるような作品に仕上がっているのも、また魅力です。
このアルバムでも、演奏はいくつかの団体が務め、この「リュートのための古風な舞曲とアリア」はヘスス・ロペス・コボス指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団が担当。ヘスス・ロペス=コボスは20世紀スペインの指揮者で、調べてみるとそうそうたる歌劇場などでタクトを振った実力派。軽妙さも加えたうえでロンドン・フィルを存分に鳴らし、歌わせています。これは歌劇場たたき上げの指揮者によくみられる解釈ですが、実にそれがマッチしています。このアルバムの編集者があえていくつかのオケの演奏を採用しているとここでも判断できるかと思います。
そして全体最後の「ローマの松」。特に最終曲の「アッピア街道の松」が壮麗にて圧巻なのがこの曲なのですが、演奏はロリン・マゼール指揮クリ―ヴランド管弦楽団。クリーヴランド管だからなのか、多少引き気味で演奏しているのが印象的。むしろアッピア街道の松の様子を、カメラで追っているかのよう。しかも少し引いたとこからカメラで撮っている感じの演奏なんです。決して情熱的すぎず、多少抑制的な演奏は一度聴きますとあれ?って思ってしまいますが、何度か聴きますとなるほど、ちょっと引いているんだなとわかります。そこを私たち聴衆が受け止めるか否かで評価は分かれる演奏だと思いますが、悪くはないと思います。ただ、これを好む聴衆はどれだけいるんだろうなとは思います。
ですがここまでくれば、その演奏をあえて編集者が置いているとすれば、その演奏にこそ意味があるわけなのです。レスピーギは熱狂を常に表現した作曲家であったのか、です。むしろレスピーギは音楽学者でもあったわけで、だからこそ1枚目では組曲「鳥」があり、そして2枚目には「リュートのための古風な舞曲とアリア」があるわけで、それも聴いて総合的に判断してほしいという編集方針が見えてきます。
だとすれば、レスピーギに対する私たち日本人のとらえ方というものも、変化を求められるのかもしれないと私は思います。レスピーギと言えば「ローマ三部作」しか知られていない作曲家のような気すらします。しかし本来は音楽学者であり、その深いアカデミズムから、「ローマ三部作」は現出しているのだとすれば、その三部作が意味するものは全く変わってしまいます。むしろローマという都市の変貌というものがテーマになっているのでは?という気すらするわけで、熱狂はその一部を意味するものでしかないのだとすれば、私たちはレスピーギという作曲家とその作品に対する見方と態度を変える必要があるように思います。
それは視点を変えれば、現代日本のクラシック作曲家への、突きつける刃だと言ってもいいでしょう。温故知新を徹底的に避け続ける日本のクラシック作曲家、特に右寄りの作曲家たちに対する刃です。本来この国が自由であるならば、たとえば平安時代に成立した雅楽の旋律を使った管弦楽作品や、あるいは室町時代あたりの旋律を使った室内楽などがあってもいいはずです。しかし左翼がと言って徹底的に逃げ回っているのは作曲家たちです。しかし左翼系の作曲家たちと親交を持ちながら、黛氏は曼荼羅や声明を題材に交響曲を書いています。それに続く作曲家たちが出ないんです。それは左翼のせいではありません。右翼のやる気がないだけです。それを左翼のせいにするのは逃げているのと一緒です。
レスピーギは決して逃げずに、イタリアに息づく温故知新というものを、二つの楽曲でやってのけていることを考えると、日本の右翼クラシック作曲家はなんと怠惰なのだろうと思います。黛氏の二つの交響曲を、左翼は叩いていますか?いませんよね?それを考えれば、誰のせいなのかは一目瞭然です。右翼作曲家の猛省と奮起を求めます。有職故実を親しんだ私に対して、逃げられませんよ。温故知新のいい作品を書いてください。
聴いている音源
オットリーノ・レスピーギ作曲
リュートのための古風な舞曲とアリア
第1組曲
第2組曲
第3組曲
交響詩「ローマの松」
ヘスス・ロペス・コボス指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団(リュートのための古風な舞曲とアリア)
ロリン・マゼール指揮
クリ―ヴランド管弦楽団(ローマの松)
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