かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

想い:オリンピックとパラリンピックの開閉会式を考える

久しぶりに「想い」を掲載します。テーマはオリンピックとパラリンピックの開閉会式です。

私も全部見たわけではなかったのですが、それでもオリンピックの閉会式はほぼ全部見て、開会式はダイジェストで見ました。パラリンピックも開会式は入場行進までは見て、閉会式もちょっとだけ見ました。

それですべては語れませんが、それでも感じたのは、オリンピックの開会式のお粗末さと同居するいい部分でした。その意味ではオリンピックの開会式は折角東京でやるのに中途半端な気がしました。それでダイジェストで見ることに決めたのです。

小山田氏に対しては多くを語ることはやめにします。勿論、彼が過去に発言したことは私もいじめられっ子だったので許すわけにはいきません。とはいえ、彼の創作まで「殺す」とはないだろうと思っています。ただ、その彼の創作が、いじめるということも含めての意味を持つのだとすれば、やはりオリンピックにはふさわしくありません。その意味で差し替えたのはよかったと思います。

その差し替えられたものの一部が、日本人作曲家の吉松隆交響曲交響曲第2番「地球にて」でありそのうえその演奏の指揮者が、私が学生時代第九を振られた藤岡幸夫氏だった、ということです。やればできるではないか!と思いました。今のところ吉松隆氏の交響曲はその藤岡氏が振られた交響曲第1番しか持っていないのですが、こうなると第2番以降も欲しくなりました。できればハイレゾで手に入れることができればと思います。

現代日本、そして東京を語る上で、モザイク模様というのは外せないと思います。その「モザイク模様」をどう描こうかと、開会式は苦心していたように思います。

しかし閉会式では一転、スカパラ東京スカパラダイスオーケストラ)が出てきたり、今新進気鋭のグループCreepy Nutsの片方であるDJ松永(もう片方はフリースタイルの帝王R-指定)で、これはいいセンスしているぞ!と思いました。これを待っていた!と。

もちろん、そこにいるのはクラシックの演奏家ではありません。しかし、スカパラと言えばスタイリッシュな楽曲を自分たちの音楽でしっかりと表現する日本を代表するグループですし、DJ松永はDJの世界選手権で優勝経験を持つ経験豊富なDJであり、Creepy NutsR-1グランプリのために書き下ろした楽曲「バレる!」でもR-指定のラップにしっかりといいセンスでDJをつけていたりと、二つとも素晴らしい才能の持ち主です。

これを開会式でやれればなあと、本当に残念でなりません。どうしても国威発揚の方へ行ってしまったようです。それは本当にCovid-19の変異株が猛威を振るう、現状に合っていたのかどうか、私には疑問です。無観客だからこそ開催できたオリンピック、そしてパラリンピックなのです。

そしてそのパラリンピックは、開会式はギュッとコンパクトにして、障害者たちが世界中から選手が東京へ集まるのを、航空機が着陸するという様子を表すことで表現していたのが印象的です。こういうセンスを待っていた!と思いました。断然開会式はパラリンピックのほうがよかったですし、閉会式もちょっとだけですがいいセンスをしていたと思います。

その意味では、今回パラリンピックのほうが全体的に国際規格に合っていたように思います。SDGsという視点ではあまりいい大会ではなかった点も見られましたが、しかし開会式、閉会式、そしてNHKの放映も開会式はよかったと思います。しかし閉会式で手話放送が教育のほうでなかったのは残念です。開会式でいろんな議論を巻き起こしましたが開会式の手話放送こそ、オリンピックの理念にかなうものだったのです。それを閉会式の放送で放棄したNHKには、今後厳しい目を向ける必要があるでしょう。

確かにオリンピックでも、そしてパラリンピックではオリンピック以上に、日本の選手たちが活躍してくれて、うれしい面もあるのですが、それでもこの大会はCovid-19の変異株が猛威を振るうという中で開催された大会です。私自身も罹患し16日間の入院を余儀なくされました。中等症2でしたので下手すればこの世にいなかったかもしれないという症状の中で、選手たちとは異なり生きるための戦いをし続けました。そういう経験からしますと、本当に「開催できた喜び」というものを大会関係者は感じていたのだろうかと、疑問を持たざるを得ません。それはそれで大会運営は大変だとは思いますが・・・・・

長野オリンピックで、開催反対を唱える人たちはごく少数でした。オリンピックではないですがサッカーワールドカップ日韓大会でも開催反対は少数でした。しかし今回のオリンピック東京大会に関しては、直前まで反対が多数を占め、始まっても一定数の反対意見が出るという、異様な大会でした。下手すればもう一度延期、あるいは中止という選択もあった中での開催は、無観客だからこそ実現しえたと言えるでしょう。つまり、反対を唱えた人たちのおかげで無観客が実現し、開催までこぎつけることができたということへの感謝の念というものは、賛成派の人たち、あるいは大会関係者の方々に果たしてあったのかどうか、はなはだ疑問です。

その感謝の念がないまま、開催の総括をするのは、2030年に札幌冬季の招致という話も出ている現状では、おかしな方向へ行くはずだと確信しています。


地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。