かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:エルガー 交響曲全集1

東京の図書館から、今回から2回シリーズで、小金井市立図書館のライブラリである、エルガー交響曲全集を取り上げます。まずは第1集です。

とはいえ、エルガー交響曲を2曲しか完成させておらず、第3番は未完成で終わっています。ですので、通常エルガー交響曲全集で収録されるのは第2番まで。この全集でも第2番までしか収録されていません。

この第1集では第1番が収録されていますが、カップリングとして「威風堂々」全曲が入っているのもうれしいところ。なんですが・・・・・

当の作品を、私はあまり楽しめないんです。構造もしっかりしていますし、演奏もプレヴィンとロイヤル・フィルなので申し分ないですし、むしろ歌いまくっていて素晴らしいのですが・・・・・・どうもその国威発揚振りが鼻についてしまうんです。

エルガーはそこまで国威発揚のつもりで書いたつもりはないと思うのですが(保守ではあったでしょうけど)、カップリングの「威風堂々」のほうが素直に聴ける部分があるなあという気がします。

ja.wikipedia.org

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エルガーは楽派のしがらみにとらわれていないと言われますが、わたしからすれば19世紀ヨーロッパ音楽にしっかりと囚われていると感じるのです。だからと言って嫌に感じることは通常ありません。しかしあまりにも歌いすぎているロイヤル・フィルの演奏のせいなのか。どうも鼻につくんです・・・・・

それは現在、新型コロナウイルス蔓延の中、我が国がオリンピックを開催しようとしていることと無関係ではないのかも、と思います。ずっとこの国はオリンピックを国威発揚の装置として使ってきました。特に今回の祖国での開催はそうです。しかも、主導したのが愛国者というよりはナショナリストと言っていい人たちによって、です。その点に対する私の批判精神に、この曲と演奏はどうしても触ってしまう部分があるように思えてしまうのです。

その分、どうしてもネガティヴに感じてしまう部分があるのかも、って思います。むしろ本当に素直な「威風堂々」のほうが聴きやすいのはそのせいでしょう。しかも、通常はプロムスでも演奏される第1番がクローズアップされることが多い中で、しっかりと5曲すべてを提示して、エルガーの真の芸術とは何か?を聴衆に考えさせる内容がいいだけに、過度なナショナリズムへと傾倒しかねない「歌いすぎ」な演奏はどうもなあ、とおもってしまいます。

もちろん、時間が経てば変わることかもしれません。しかし、エルガーの芸術が持つ、19世紀国民国家を反映した精神は、ともすれば鼻につくこともあるだけに、コスモポリタンの部分もある私としては、協奏曲よりは聴けないなあという印象が強いのだと思います。それだけ、エルガーの精神が反映されている作品でもある、ということが交響曲第1番には言えるのだと思いますし、その意味ではオケは十分すぎるほどスコアから行間を掬い取っている演奏だと言えるでしょう。

素晴らしいだけに、相容れなかった・・・・・・そんなこともあります、という感じでしょうか。それが悪いなんて言えませんしね。仕方ありません。

 


聴いている音源
エドワルド・エルガー作曲
交響曲第1番変イ長調作品55
行進曲「威風堂々」作品39
アンドレ・プレヴィン指揮
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。