かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:クレンペラーが振るドイツ・レクイエム

東京の図書館から、今回は小金井市立図書館のライブラリである、クレンペラーフィルハーモニア管弦楽団で振ったブラームスドイツ・レクイエムの演奏を収録したアルバムをご紹介します。

ドイツ・レクイエムはもう何種類持っているでしょうか?そんな中でさらに増えたのがこのクレンペラーのでした。当時某FBFが盛んにカラヤンを貶めてクレンペラーを持ち上げていましたので(カラヤンは文明の破壊とか)。

なのでどんなもんじゃい、と思って借りたのがこの音源でした。そもそも私は初ドイツ・レクイエムが実はカラヤンだったので・・・・・

カラヤンのドイツレクイエムは意外にもどっしりしていて、悲しみや苦しみというものがしっかりと表現されていたものだったのですが、果たして、民主的と言われるクレンペラーはどうか。

これも、素晴らしい演奏だとは思うんです。決して悪くないし、テンポもいい。演奏時間はカラヤンより実は速く意外と快速な部分もありますが、それは全く気になりません。

気になるのは、とっても細部のこだわりなんですが、たとえば6曲目「この地上には、永遠の都はない」では、カラヤンはもとより例えば飯森範親指揮山形交響楽団でも、怒涛のような悲しみや苦しみが襲ってきていて、苦しい様子が、低音部をしっかり録音することで実現しているのですが、このクレンペラーのではそれがないんです。

実演でもかなり低音部が響いてくることもある部分で、私も親を失った悲しみがフラッシュバックして、つい落涙するところなのですが、クレンペラーのこの演奏にはそれがないんです。いや、よく耳を傾ければあるのですが、入りきっていない。これは正直減点だなあと思っています。

この楽章があって、最後「今から後、主にあって死ぬ死人は」なんですよね。それは幸いである、なぜなら生きている間の苦しみから解放されるから、です。よかったね、もう苦しまなくていいよ、と生き残った私たちが言えるところで私たち自身も癒されるわけなのです。ドイツ・レクイエムとはそういう作品です。そういうテクストです。

これはかなりクレンペラーが曲解した演奏だと思います。もちろん、悪くはありません。しかし、テクストを十分踏まえているかと言えば、それは違うと私は考えます。その意味でとても残念な演奏です。

音質はクレンペラーが残した録音の中ではいい方だと思います。今回もソニーのMusic Center for PCでDSEE HXをきかせて、同じくソニーのSRS-HG10で聴いていますが、ハイレゾ相当で聴くと本当に臨場感がある録音です。

こう実際に聴いてみれば、クレンペラーにだっていいもの悪いものがあり、カラヤンにもいいもの悪いものがあるので、私は一概にカラヤンを悪者にはしません。特に晩年に録音した有名なレクイエムを聴いてみると、カラヤンがそれほど外形的ではないことは明白です。むしろ晩年まで自分の表現をするのをじっと待っていた、という気がしてならないのです。

こういう録音を置いておくのは、小金井市立図書館の司書さんも結構いいセンスをしていると思います。使わない手はありませんよ!もちろん減点対象ですが、カラヤンの演奏が意外と悪くないと気が付ける、良資料だと思います。

 


聴いている音源
ヨハネス・ブラームス作曲
ドイツ・レクイエム 作品45
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウバリトン
エリザベートシュワルツコップ(ソプラノ)
フィルハーモニア合唱団(合唱指揮:ラインホルト・シュミット)
オットー・クレンペラー指揮
フィルハーモニア管弦楽団

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