かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館~:シューリヒトとパリ音楽院管弦楽団によるベートーヴェン交響曲全集4

東京の図書館から、シリーズで取り上げている、府中市立図書館のライブラリである、カール・シューリヒトとパリ音楽院管弦楽団によるベートーヴェン交響曲全集、今回はその第4集をとりあげます。

この第4集には、第6番と第8番が収録されています。ともに長調で明るい作品ですけれども、その明るさがこの演奏では際立つのが特徴です。底抜けに明るい部分がベートーヴェンでもあるんだと教えてくれます。

20世紀はベートーヴェンを「神格化」した時代だと、私は思っています。確かに私自身もベートーヴェンを理想化していた時期がありますが、しかしそれではベートーヴェンが甥カールを追い詰めたことをどう説明するのか?ということは両立しなくなってしまいます。

むしろ、様々なマイナス面を抱えながらも、表現者として生き抜いた人、と捉えるほうが、さらに多くの人の共感を得るのではないか?という気がします。むしろベートーヴェンのような境遇の人は今でもたくさんいますし、決して昔のことではないということを想起するとき、だからこそベートーヴェンの芸術は普遍性を持つ、と言えます。

とにかく明るい演奏は、そういったベートーヴェンの「真の姿」をつまびらかにした、素晴らしい演奏であり、まさに名演の誉れにふさわしいと思います。どこか神聖な部分だったりとかがないと「精神性がない」とか言われますけれど、それがなければ精神性がないのか?と多分普通にいきていれば思うかと思います。それはむしろ人間性の否定ですし、ベートーヴェンの芸術の本質から外れた評論だと私は思います。

ベートーヴェンの芸術は、人間の内面性を、絶対音楽という縛りの中で精いっぱい表現したもの。ですから、そこに精神性がないなんてありえないんです。少なくとも、普通に演奏すれば自然と精神性は浮かび上がるわけで、問題はその「自然と浮かび上がるもの」をどう自分たちの歌として表現するか?ではないか、と思うのです。

その点で、この演奏は第3集同様、ぴか一ではないかという気がします。真に生きずらさを感じたことがない人が、ベートーヴェンが抱えていた「生きづらさ」を受け止めて、評論することは可能なんだろうかという気が、この演奏を聴きますと思うのです。そして1950年代後半という時期において、生きづらさという点を考慮して、ベートーヴェンの明るい部分にしっかりフォーカスするという姿勢は、さすがヨーロッパだと思います。

さて、この全集、本来は第5集までありますが、今回はここで終わりです。なぜなら、第5集はすでに、「神奈川県立図書館所蔵CD」のコーナーでご紹介済みだから、です。

ykanchan.hatenablog.com

まだヤプログ時代に書いたこのエントリですが、この一枚を神奈川県立図書館で借りていたことが、府中市立図書館で全集を借りることにつながっています。本当にル・クプルではないですが、「縁は異なもの」だと思います。ぜひとも第5集の紹介として、上記のエントリもお読みくださると幸いです。

 


聴いている音源
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」
交響曲第8番ヘ長調作品93
カール・シューリヒト指揮
パリ音楽院管弦楽団

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