かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:リゲティ 協奏曲集

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、今回はリゲティの協奏曲集のアルバムをご紹介します。

多分ある時期、リゲティの作品をまとめて借りたのではなかったかと思います。前回「リゲティ・プロジェクト」なるアルバムをご紹介していますが、それとまとめて借りたように思います。

このアルバムは協奏曲を集めたもので、ピアノ協奏曲は「リゲティ・プロジェクト」と重複するものながらも、別の演奏が聴きたくて選択したのだと思います。

とにかく、不思議なことに、リゲティの作品はどれも拒絶反応しないんです、私。不思議な世界を興味深く覗いているみたいな。

とはいえ、最も古い作品であるチェロ協奏曲は、指示にメトロノーム設定があるのですが、後年のピアノ協奏曲とヴァイオリン協奏曲にはそれがなく、古典的な指示となっています。けれども、不思議な世界は同一で、しかしそれぞれが個性を放つ作品となっています。

この3つの一緒のようで異なる個性は、聴いていて面白く、しかも不協和音が嫌味じゃないのが好印象です。おそらく、たとえばFMなどで紹介するナビゲーターの人が、あまり音楽をわかっていない人が多かったことが理由かもしれません。

大抵、こういった20世紀音楽、あるいは現代音楽は、FMが導入であることが多いわけなのですが、NHKの場合、けっこうアナウンサーが誰かが書いた原稿を読み上げる、ということが多いのではないかと思います。しかしそれでは、その作品にどんな魅力があるのかが、ほとんど忘れられているように思うのです。

だからこそ、たとえばなぜ不協和音が多用されているのか、それはどんな表現を狙っているのか、あるいは狙っていないならば、どのように作曲家や演奏者が私たち聴衆に聴いてほしいのかが、不明瞭になってしまうのではないか、と思います。聴き手にゆだねますでも全然かまわないのに、どこか芸術だから見たいなマウンティングがなかったか、と思うのです。

音楽がどんなに芸術であろうとも、それが音楽であれば音楽以外のものではありません。しかし音楽以外のものではないけれども、音楽以外のものまで語りだす・・・・・よくあることです。特に複雑な現代音楽においては、作曲家のストーリーだけではなく、作品の背景の解説もまた、後期ロマン派と同じように必要なのではないかという気がします。そうじゃないと、現代音楽あるいは20世紀音楽は、後期ロマン派以前とは全く別物の音楽と構えて聴いてしまいかねないのではないかという気がします。

現代音楽とは、表現手法が多彩なのである・・・・・このことに気が付くと、何かの囚われから解放され、自由に音楽を聴くことができます。そうなると本当に面白いんです。このリゲティでも同じことが言えます。例えばヴァイオリン協奏曲。時に機械的で、時に歌うその作品は、現代音楽というもののとらわれから解放してくれます。

特に現代音楽は、演奏者の技量にも左右される音楽ですが、このアルバムではブーレーズとなじみあるアンサンブル・インテルコンテンポラインが演奏しています。指揮はそのブーレーズ。自身が設立したアンサンブルですから、当然と言えば当然かもしれませんが、その解釈の応答性の良さ、そして何よりも、作品の精神を深く掘り下げた共感力が魅力的な演奏です。決して音を粗雑に扱わず、丁寧に紡ぎだすことにより、一見すると無機質に見える作品の中にある「人間性」を浮かび上がらせます。

ja.wikipedia.org

新型コロナウイルス感染拡大という今、こういったアンサンブルの時代ではないかという気がしています。現代音楽演奏が今後クラシック音楽シーン全体に何をもたらすのかは、注目する動きとなることでしょう。その意味でも、このアルバムが持つ重要性は今後高まることでしょう。

 


聴いている音源
リゲティ・ジェルジュ作曲
ピアノ協奏曲
チェロ協奏曲
ヴァイオリン協奏曲
ピエール=ローレン・アイマルド(ピアノ)
ジャン=ギュエン・クェイラス(チェロ)
サッスヒコ・ガウリーロフ(ヴァイオリン)
ピエール・ブーレーズ指揮
アンサンブル・インテルコンテンポライン

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。